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学校には行きはじめましたが [2022年03月19日(Sat)]


 不登校の親が子どもが学校に合わない時にどうすればいいのか?と悩みます。「合わない」ことが一時的ではなくずーっと続くことが不安なのだと思います。一時的に学校に合わないということも、ずーっと学校に合わないということも、親からすれば実はあまり変わりがないかもしれません。
 
 人と同じでないと不安な人にとっては、同じ場所に通えないだけで不安なのだと思います。


学校には行きはじめましたが、これはずーっと続くのでしょうか?質問が寄せられます。

私たちは、占いもできないし、予測もさほど正確にできないので、「なんとも言えません」と正直に答えます。子どもが決めて行動することに対して、誰であってもコントロールはできません。親からすれば、コントロールできないものが、不安なのだと思います。

 神のみぞ知ることもたくさんあるはずなのに、親は自分が一番不安なので、安心させてほしいというのが、言い分なのでしょう。

 学校にゆくも、行かないのも自分のため。

社会に出るのも自分のためだと思えば、自分で考えて出てゆきます。自分で考え、行動することを、信用してあげれればいいことです。学校にはゆきはじめましたが、いつまた不登校になるのか不安でしょうがない人もいます。自分はなぜ不安を感じるのか?ぜひ、向き合っていただきたい。実は、親自身が、自分を震央していないのかもしれません。









ただいま息子は大学入試真っ盛り [2022年02月02日(Wed)]

昨日から東京におります。
息子は今日からと今日での受験を3連戦おこないます。
全て都内の大学です。地下鉄を使って歩いているのですが、結局頼りになるのは親よりもGoogleマップなのです。いくら私が、昔東京に住んでいたとはいえ、もはや街並みは変わっているので、息子は昨日の段階で、父親の直感的行動に強い疑問を感じていました?(これは全く正常)
よって、二人ともグーグル先生の指し示すままに、今日は行動しました。おかげで予定より20分も早く入試会場に到着しました。
その昔、地図を片手に大学を探したなどという人間はもはやどこにもおりません。

話を巻き直します。

不登校でも高校中退でも、受験資格の要件さえ合えば、大学入試は可能です。息子は通信制高校の卒業見込みです。高卒認定試験の合格でもいいいです。その二つの「合わせ技」でも可能です。要件さえ満たせば、その子がどんな子でも大学に入れます。いわゆる高校の成績(内申書)などというものは大学入試にはほとんど関係ありません。いや全く関係ないと思います。
不登校の子どもは、集団学習は苦手で、自分が興味のない学習もほとんど手付かずですが、自分が興味があれば、勉強します。うちの息子も歴史に興味があったので、西洋史や政治史の勉強をすると言っておりました。

 不登校の子どもは社会が苦手でも、勉強が嫌いでもありません。学校に行っている子どもの中にも、勉強嫌いはいるので、学校にゆかない子どもにも、それと同じ比率ぐらいに勉強がどうしても合わない子どももいます。
 この受験真っ盛りの中で、誰もが試験を受けます。その子がどこの高校出身か?などということは制服を着ている子どもしかわかりません。よって、大学入試では、一切過去のことは関係なくなります。ある意味、これは素敵なことなんです。ルールの前には全員公平に判断されます。
 そして、大学生になればまた、楽しく自分の勉強の世界に入ればいいだけです。残念ながら、親の不安だけはグーグル先生も消すことができません。
多くの人と関われないのは、無価値なのか? [2021年07月07日(Wed)]

子どもが不登校した時に、親が心配するのは人と一生関われないのではないか?

大雑把で、かつ大胆な宣告です。

人と関わって仕事ができないとすれば、仕事を一生できないのではないか?と思う大人は実に多いです。大勢が嫌い、合わせるが嫌い、全員で目的を達成できなくてもいい。

やりたい目標を、自分で達成するだけでもいい。

誰もが個人として、生きたいように生きればいい。

私は、逆に問いを出したいのですが・・・・・。


誰かと協調性があっても、やりたいことのない人はただ流されるだけではないか?

私は変な協調性で、仕事をやっても本当に、本人が誰が満足するのか??疑問です。

みんなが仲良く仕事をしている姿が、好きな人もいるのかもしれません。

仲いいのは大事誰でも、同じ目的があればこそだと私は思います。

ただ仲の良さを、強調されると私は断然少し引きたくなります。


こだわりは捨てられない、苦しむときもあるけれども、楽しみもある [2021年05月18日(Tue)]

僕らはみんな、自分でが認められないことを受け止めることが苦手です。
不登校も、学校の成績の急下落も、スポーツで活躍できないもいじめも
どれだって親は、受け止めたくはないです。

しかし、渋々受け止めるには甘いものの力を借りたり、アルコールを飲んだり、様々な力を借りて受け止めるわけです。

時に、肥満だけではなく体の痛みになったりもします。

でも、そのうち親は、生きてゆくモチベーションを子どもに依存しすぎてはないいないか問題に、ぶち当たります。そうです。子どもは親の言うことなんて、なんの頓着もないのです。いい学校も、きれいな彼女も、かっこいい車にも興味がなかったりします。

それでもいい。

少しづつ親は、「そうなんだ」という受け止めてください。
「そうなんです」
親は受け止める訓練をが必要なんだと思います。
親の受け止め力を高める!


子どもを手放したら、親はどうなる [2021年05月13日(Thu)]

 子どもが、ジブンで自由に生きたいと思った時に、親とは全く別の道を歩みます。それが、たまたま学校にゆかないという道だったら、あなたはどうしますか?とても認められないか、子どもであっても、他人なので自分の思い通りにならないと思うのか?
 どこかで子どもの判断に委ねなければなりません。
子どもの人生なので、子どもに返すだけです。しかし、子どものためを思うと、そうはいかないという親も多いです。子どものためを、親が決める。これは、異様にも映ります。

親は子どもを信用していないわけではありません。
でも、自分の判断をこ子どもが受け入れてくれないというジレンマを抱えています。

さて、どうするのか?

正しい答えは、親の中には見えているのではないか?と考えています。

 
 
させたがる親。やりたがらない子ども。 [2021年03月10日(Wed)]

「何もしないんです」
「ずっとゲームしかしない、テレビを見ている、youtubeを見ている」
という親の不平不満が相談という形で寄せられてきます。

親が認められる、子どものためになることをしてほしいという要望です。

本当にためになることはなんですか?と問います。

多くの親はわからないけれど、ゲームとテレビとyoutubeではないと確信に満ちて、います。この確信の根拠はおおむね思い込みだと思われます。(笑)
大人は自分の根拠のない思い込みに忠実ですが、子どもが何もしようとしないあり方には、真っ向から反対します。

では、どうすればいいのか?

親は、自分の思い込みで行動することをあきらめない限り、子どもと対立し続けるしかありません。
なんの問題も解決はしていないけれど、親子の対立だけはしている。こんな家族をたくさん見てきました。
子どものために必要なことは、子どもが考えていることを受け入れることだけです。あとは、子どもが自分の思考範囲で、試行錯誤すればいいだけです。試行錯誤はきっと蓄積されます。この蓄積こそが財産です。そうすれば自分は反応できなくなるのか?人と対立して、気持ちが前に進まなくなるのか?答えは、自分の中にしかありませんから。





学校という制度から見ると  [2020年09月24日(Thu)]

学校にゆかない子どもは怠けているように見えるかもしれません。

苦しいテスト勉強もしていない。偏差値も気にしていない。

学校という制度から見ると 学校にゆかない人はお気楽です。

学校にゆかない側から見ると。学校にゆかないで自分は一体どうなるのだろう?という不安にみまわれます。

大人になったら会社とかの制度に戻れるのかなあ?という不安にあえいでいます。

休んでいてもそんな不安が押し寄せてくるので気楽には過ごせません。

制度は、それぐらい影響力があるのですよ。






「学ぶ」先にあるものとは? [2020年08月13日(Thu)]

https://blog.canpan.info/egawa/img/81373223_577142576453653_5661209943479418880_n-thumbnail2.jpg

学校にゆかないなんてどうしましょう!勉強しないどうしましょう! 

 非常に大げさに言えば、日本中の大人たちは、悩んでいます。問題があること?はダメなこと。隠すことになっています。私は、むしろ家族の中で、回復する力がよみがえる時かもしれないと思います。病や死産、貧困。昔からこの国だけではなく、世界中がこの問題を向き合ってきました。しかし、困難は必ず、支え合うこと、思いを寄せ合うことで回復します。
 命を奪われるような困難は、めったにありません。

大切なのは、何のために悩むのか?この「何のため」を誰もがわかるように、はっきりとさせておくことです。学ぶの先にあるものは、「生きる」ということです。どう生きるのか?この答えのない問題に挑戦することが大事なことです。
だいたい失敗もある。いや、失敗がほとんどかもしれません。進学も。結婚も。事業も。就職も。おおむね、はじめの思惑とは違います(笑)。しかし、いつまでもこんなはずではなかったと後悔していても、しようがありません。いかに、そこに参加している家族やパートナーと目的を共有しながら、同じ目的のために動ける環境をつくるのかの方がはるかに大事です。
 誰もが、動く力を持っている。指示されるより、自分で動いた方が心地がいい。心地よく、自在に動く家族、地域、組織づくりはとてもクリエイティブで面白いです。
 



子どもへの信頼感 [2020年07月19日(Sun)]

子どもを信頼していますか?問われると多くの親は「はい」と答えます。
どれくらい信頼していますか?
多くの親にとって、考えたこともない問いです。自分の人生について子どもが100%決めているのか?親が関与しているのか?平たく言うとどれくらい親は口出しをしているのか?と言うことにもなります。ほとんどの親は口出しをします。私も例外ではありません。
 でも、口出しをすることは、親にとっては当たり前です。よくみているとどうしても歯がゆくなる。口出しをしたくなる。ダメ出しをしたくなる。どうすればいいですか?と問われたら。
よく見ないことです。検査の視点を持たないことです。常に前向きに考えることです。

前向きとは?悪く解釈しないと言うことでもあります。子どもが勉強しなくとも、昼夜逆転をしていても前向きに考えることです。私は、16歳で昼夜逆転をしておりましたが、今はよく飽きて多動のように動き回っています(あまり参考にはなりませんが)人には行動が楽しくなる時期にがあります。これは、だれかに与えられるものではありません、
信頼とは、時期を待つことでもあります。私は56歳にして今が時期だと思っています。
親は、子どもの信頼の上にいる [2020年07月15日(Wed)]

学校に通えないと子どもが言うときに、親は試されます。
学校を休ませるべきか?本人を厳しく指導するのか?なんでも受け入れることでいいのか?
最近、水辺でカヌーに乗っていて思うのは、泳げない自分がこうして水の上で楽しめるのは、自分が何かをしているからではなく、水に押されているからではないか?私たちは水は特別の感情やサービスを提供していないことをいいことに、水をないがしろにしがちです。しかし、薄いプラスチックの底には明らかに水面があります。
水の性質をよく理解しないと、人間は死ぬことさえあります。
このことを親子関係で、考えてみましょう。私たち親は、子どもが生まれながらに親を信頼してくれていることを当たり前の前提にしています。親には上から目線で子どもを見ます。子どもをコントロール可能な存在だと思いがちです。子どもは、親に与えられた条件や、環境を受け入れて生きています。それが素晴らしい環境なのか?最悪の状況なのか?子どもにはわかりません。しかし、親といい関係を築くことを大事に生きているのです。
一方、親はどうでしょう。子どもをしっかりとみているでしょうか?子どもとの信頼関係は当たり前だと思っていないでしょうか?
湖の水は、嵐の時、気温が下がった時。様々に表情を変えます。私たちは、条件が良い時に楽しく遊ばせてもらっているだけです。子どももいつも同じ状態にはありません。荒れる時。苦しい時。辛い、悲しい時があります。これを受け入れること。荒れているときは、無理をしないで見守りことも大事な親の役割だと思います。親子は、まずは子どもの信頼から成り立っていることを大事に考えたいです。
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