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心は病んでおりませんが、不登校です [2017年03月17日(Fri)]

ここでも何度も言っておりますが、不登校は、学校が合わないだけです。けれども、対応するのはスクールカウンセラーとソーシャルワーカーだけです。。学校しか行き場がないから苦しいのに、学校に戻す仕組みしかありません。いわゆる逃げ場がありません。
 逃げ場がないという事を大人はいい事だと思っています。

子どもから、どんどん逃げ場を奪ってゆきます。逃げ場を奪うといい子になると思っているようです。
 
 私は、逃げ場を奪われて病んでいった子どももたくさん見ています。不安にさいなまれて生きるのをやめようとする子にも会います。大人が逃げ場を奪った責任を誰も取ろうとはしません。


 子どもは逃げ続けないと、大人に潰されるかもと考えます。
地震が頻発する日本から途上国格差を見る [2016年11月22日(Tue)]

 今日もまた、東北で地震が起きました。6年前のことが昨日のことのように思い出されます。私たちは、災害を日常にしなければならない。
 これは、貧困を日常にしている途上国の問題ともある意味重なります。貧困であることは特別なことではありません。経済格差、が貨幣価値や物価の格差になります。私たちは、この格差を引き受けて生きてゆかなければなりません。格差を認め。格差が次の世代の困難につながらないように、社会で格差の課題解決をしなければならないことに誰もが同調します。
 しかし、中間層と呼ばれる人の中には、「能力格差」はやむを得ない。「努力格差」「生きる力の格差」格差を否定すれば誰もが努力しなくなくなると言う人もいます。格差を誰もが否定することだなんて一概には言えない。
 むしろ、格差を肯定しろという意見さえあると私は感じています。

 これは、人を差別することさえも肯定することにつながらないか?私は、少し疑問です。人は差別されるのはやむを得ないと。

 私も含めて、多くの人は困難を引き受けて生きている。しかし、この苦しみは人をいじめないと解消できないものなのか?ふと考えると、孤独と猜疑心にとらわれた自分がいます。

 一筋縄では個人の苦しみには寄り添えないと。それが、「差別の核心」ではないと私は、考えているところです。


 
子どもにまかせようよ [2016年09月23日(Fri)]

秋祭りシーズンです。幕末を再現する会津祭りの藩公行列も行われます。子どもたちの出店も盛んです。しかし、子どもの出店でせっかく子どもがいろんなことを考えたり、失敗できるのに、大人がですぎてしまって、失敗さえもできない状況があります。子どもは本当にかわいそう。
 子ども時代にたくさんの失敗が出来るから大人になっても楽しいのに、失敗ができないなんてかわいそうすぎます。大人は、子どもに、地域を背負う大人になって欲しいと言いながら、必要な学びを提供しようとはしません。むしろ機会を奪っている。
 もっと、子どもの世界を大事にしましょうよ。と心からいいたい。