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政策を練りあげてゆく [2018年08月03日(Fri)]

 あまり数字にふりまわされるのは好きではないのですが、最近非常に気になるのは虐待の件数です。昨年実績で虐待に関する相談が福島県内で一昨年の倍になります。虐待の件数が増えたのは。虐待死が非常にセンセーショナルだからということもありますし、子どもの死を防ぐという視点も行政からすれば、取り組まなければならない問題です。
 その際に、これまでの政策と新しい課題解決のための政策をそのように整合性をつけてとりくむのか?一旦整理が必要になります。この整理をしながら政策転換してゆくスピードが遅いとき私たちは子どもの死、や大人の責任という問題を考えます。
 相手の懐に飛び込んで政策を変えてゆくということは容易ではありません。ただ目的は共有できるので、できるだけ迅速に行いたい。役所の人にも当事者意識を持って対応していただきたい。やりたいことはたくさんあるのですが、政策を練りこんだりすることは私たちにはできない。うーん、どの手を使えばいいのか?考えるところは満載です。
疲弊する地域と高校が再生してゆくには [2017年06月25日(Sun)]

 教育と地域という関係性は、実はとても大事な関係にあります。コミュニティーに希望を持てない子どもは、自分や家族にも希望を失ってゆくということです。当然、何のために、誰のために学ぶという動機づけがされないので、簡単に学ぶ目的を失います。子どものころから「自分さえよければいい」という大人を目にしているのと、夢や希望を持った大人と関わるのでは、子どもの大人観やコミュニティーへの期待感が全く違います。
 コミュニティーに期待しない子どもが大人になると、「お金のために働いて、自分のために使う」発想しか生まれなくなります。組織や社会が、自分の外にあるものだという疎外された感覚を身につけます。「自分は、もっと社会をよくすることができる」という希望を持つことが教育の目標であるとすれば、残念ながら、今の地域と学校はその遠くにいるのではないかと思います。
 地域が子どもの参画を求めると、学校は部活や学力向上(受験指導)での負担感をいいます。高校を管轄する県教育委員会や高校自体は、市町村の事を【管轄外】だと思っているふしがあります。小学校や中学時代から学力で差別化されてきた子どもの意識が、コミュニティーから離れてゆき、過疎、人口減少地域の高校は統廃合をまぬがれないほど受験者の減少を生みます。地域と高校の共倒れ現象がはじまっています。
 これに竿をさしている高校もあります。私のみじかなところでは、金山町の川口高校です。川口高校では、15年ほど前から人口減少の金山町との連携をはじめています。町が寮を立て、遠方から通う子どもに交通費の補助を行い、地域の行事への参画を促しています。結果的には姉妹都市の埼玉県の鴻巣市をはじめとして全国から子どもたちが集まりはじめています。
 クラブ活動の指導には、OBが手弁当で参加しています。学校は地域の文化センターですから、そこから情報が発信されるだけではなく、地域が変化してゆく。地域の人が希望を寄せる場でなければ、地域も学校もその場にある意味がないと思います。いま互いに想いを寄せ、行動に移すときが来ていると考えます。
前川喜平 元文部事務次官  私はあなたに勇気づけられた [2017年05月26日(Fri)]

昨年(2016年)の12月24日、早稲田大学で、法案成立の学習会を行った折に、前川文部事務次官のお話を伺うことができました。日本の憲法における学習権の補償、子どもの権利(嫌なことは強制されない)の話から、不登校の問題に言及されました。
 学校教育の中で、「子どもが主体的に学ぶ」ということが本当に行われているのか?「不登校の子どもたちが何も言わないことに教育関係者は甘えていないか?」などという真摯な子ども視点からの言及がありました。私たちは、受け手の子どもにどれだけ真摯に向き合っているのだろう?ということをあらためて考えさせられました。
 私の感想は、市民活動で公教育の外部にいる私が、むしろ官僚の前川さんに勇気づけられたという思いをしています。基本にこだわった子どもへの支援が必要であることを、私たちは考えさせられました。そして、勇気を持って基本的な確認をするということの大切さも学びました。
 前川さんは、現在首相、国家と向き合って「国としての意思決定の原則論」を展開しています。
 素直に、この真摯な官僚の姿勢を応援したい。私はそう思います。
教育機会確保法案成立 学校以外の場での学びをひろげる [2016年12月08日(Thu)]

中1の次男、中3の長男、それに私。我が家は不登校の経験者がたくさん。私は、自分自身の経験から学校に行かないことを、否定的にとらえず生きてきました。むしろ学校に行かない人生を一つの選択だと言い切ってきました。
 しかし、まだまだ世間は、さほどモノわかりが良くはありません。制度やしくみに左右されるということを嫌というほど思い知らされました。私たちは、次代を生きる子どもに、可能性を提供したい。少しづつ、社会が生きやすく、学びやすくなるように力を出す時です。
 学校外の学びを模索して糸みなさんが、子どもに選択される学びをつくり合う次代の到来を感じています。
学校外の学びをすすめるために  法案衆議院へ [2016年05月11日(Wed)]

「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保に関する法律案」という不登校の子どもを支援する法案がようやく衆議院に提出されました。そもそも不登校がうまれてくる学校に問題がる等々の犯人探しの議論もありますが、子どもたちは学校外で学びはじめているという実態に合わせ、学ぶ場つくるための法案です。
 この法案にによって、学校外で学ぶという子どもの意思が認められますように。
不登校が7,000人増えた [2014年08月21日(Thu)]

IMG_1287.JPG
今年の世界フリースクール大会の様子(2014,7,28〜8、5 韓国、光明市で)

今年の夏、前年の学校基本調査の報告が行われた。不登校が前年対比で7,000人の増。中学校では37人に1人が学校に行かない状態にある(年間欠席が30日以上)。

 学校に行かない子どもが増えてゆく原因は何ですか?
私たちはこの事を、良く問われている。

一律に同じ事をつづけてゆく学びに、希望を感じる事ができない子どもがすごい挫折感を抱えて学校に行けなくなってしまいます。「学校に行かない」という事を「良い」「悪い」という価値観で判断したり。不登校になってしまう事を、親としての子育ての誤りであると判断するのはあまりにも早い。


 もともと安定した未来を学校に行くことだけで、補償される時代は過ぎ去ったのです。


「がまん」は日本人の美徳の一つとされてきました。確かにそうだと思います。

やせ我慢でも、それを通じて人は得るものがあれば、我慢しなさいといえる。

でもストレスや屈辱、やる気を失いながら。自分の魂を売りながら人は何を得ますか?

私には、それがわからない。


だから、いっその事新しい学びを積極的につくり出したいと考えています。それは、個人により添った有機的で、支え合いのある協力の学びです。子どもの夢を踏みにじらない、子どもが学ぶ事を放棄しない。自分自身が豊かになる学びでなければなりません。

教育は、大きな転換点にたっているのではないでしょうか?

学校に通わない子どもが、増えてゆく事は時代の転換を伝え、それに対応できずにいる大人への警鐘が、この7,000人という数字なのかも知れません。