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子どもを犠牲にしない大人。子どものためと言い訳する大人 [2019年06月25日(Tue)]

子どもと本気で遊べる大人。こどものためにといいながら、自分自身の感情や理屈をこどもに押し付けてします大人。えてして。大人は、自分の正しさだけを言います。こどもに自分の正しさを押し付けることがいいことだと思います。大人になることだと。                   正しさの裏側には、大人の隠れた狙いがあります。このままなんとか、自分に迷惑をかけないで育ってくれというような。子どもは、大人以上に大人の気持ちを察してしまうので、はじめから大人の能力を超えるお願いをしなくなります。「大人はそれでいいんだよ」ということもできます。ただ、こどもの諦めがあることをわかってあげることは大事です。大人だって万能じゃないと子どもは知っています。だから子どもに寄り添いつつ考え、行動することが大事だと思います。
自由に妄想している時間 [2018年12月08日(Sat)]

若者は就職活動に一生懸命です。どうしてこんなに組織に所属したがるのだろうか?ふと考えます。
1、組織にいると安心できる(給与、待遇)
2、自分自身で考えることが少なくても、組織で支えてもらえる
3、生活に困ることがない

 これからの社会で就社したり、組織に従属させられることは、もはや消えて無くなると思います。人の人生を受け入れる会社なんて存在しなくなります。誰もがその人の人生を引き受けることなんてできないからです。
 個人が自分の考えやセンスで自由に生きる社会になります。

ちょっと前置きが長くなりましたが、そこで大事なのは妄想力。自分の責任で自由に考え、行動してゆく力がとても大事です。ちなみに私は、毎朝、朝にあるとしわせな気持ちでいろんな夢を見ていました。
起業する人間のほとんどは、直感と妄想力だけは研ぎ澄まされています。ここだよね。
大事なことは、妄想をすることも楽しい、仕事をすることも楽しい。決して苦行ではないということです。
人を動かす熱量 [2018年07月07日(Sat)]

ここにかける情熱、想いってその人の中のエネルギーの発露だと思います。人が動かされるのは、なんらかの形でそれを感じた時かそもそも自分の中にもマグマがあってそれが反応した時ではないでしょうか?
 私たちが、このマグマにどれだけつながっているのか?つながろうとしているのか?そこが大人に問われているような気がします。
動けない人待つこともない [2018年01月19日(Fri)]

 仕事をしてゆくのに、「あれだったらできない」、「これだったらできる」とか誰かの動き方を見ながら行動するようなことをいまだにしている人たちがいる。じつは、それを待っていては「何も変わらない」、「変化をつくれない」自分が動けないことを周りのせいにしながら生きることも後ろ向きな話でしかない。
 私たちは、自分の意思で動けないのに、人のせいにしている人を待ちすぎていないだろうか?待つことを、親切だと思ってはいないだろうか?実は、待たれていることを、負担に感じる人がいることを知っておく必要があると思う。
 ようは、水に溺れそうな時、まず自分が助かることが大事なだけだと思う。同じことが団体間や地域、個人の間にも言えるのに、一見優しそうな顔をした人が、実は自分のことしか考えていないことはよくある話だ。
 不登校の問題もこれと同じで、自分の子どもが不登校である状態から変化すると、われわれの活動に関心を持たなくなる人もいる。何も言わなくとも支援を続けてくれる人もいる。でも、みんなが同じように行動できるわけでもない。誰もが一緒に行動することがいいという発想は、相手を窮屈にする事にもつながる。
 人は、まず自分が立つ事が大事だとつくづく思う。
気では考えない、けれども気分は大事 [2017年05月01日(Mon)]

連休の中日になりました。なせか私は農作業をおこないつつ、本日は東京に出張です。新しい事業が始まる時期でもあるので、私自身は5月の連休はほとんど休みません。
 時折、レスキューで呼び出されるのは、ほとんどが人間関係の事です。

世の中は、これほど人間関係が大事なんだ〜と。50歳にして思いました。多くは、働く日の不安にあるのだと思います。私がやっている事が正しいのか??そもそも、これは誰が責任を持つのか?自分は関係ねいよね。などという不安が仕事を止めてしまいます。正しい事をやっていただく事は大事ですが、正しくない事でも進んでゆけます。
 カレーをつくるのに、肉から炒めるのか?タマネギから炒めるのか?

たしかに大事な問題ですが、どちらからやってもカレーはできます。この論理に、似ているような気がします。私たちは、誰かが描いたレシピどおりに行おうとしすぎて、目的を見失っているのではないかと。大事なのは目的なので、そのプロセスや手段ではありません。

良いアイディアや、工夫が生まれるように気分は上々で仕事をするのは大事だと思いますが、正しいかどうか?とかはどうでもいいのではないか?むしろ狙いや目的が大事なのだと、私は思っています。
 
 最近気がついたのは、目的を言わない大人も多いのです。だから、どうしても瑣末なところで議論が終わってしまいます。残念です。目的が大事。
徹底的に休む [2017年04月08日(Sat)]

 実はこの2週間あまり、所属団体と家族には申し訳有りませんが、メールだけは通じますが電話が通じない環境におります。(IDEC2017参加のためにイスラエル滞在)たかだか2週間ですが、この2週間が実はとてつもなく自分自身をリフレッシュさせてくれました。
 全く違う環境で考えると、受け入れなければならないこともたくさんあります。実際イスラエルでは、土曜日は全くユダヤ人は働きません。電車もバスも全く動きません。アラブ人は、関係ないのでタクシーを運転しています。
 この割り切りはすごいな〜と思います。日本だったら日曜日に列車やバスが止まったら大変なことになります。しかし、割り切ることも仕事なのではないですかね。いつも誰かに判断を求められたり、連絡をしたり。調整をしたりしていますが、これは本当に必要なことなのでしょうか?誰かが代わりに判断ができるのに、あえてお伺いを立てたりしているのではないでしょうか?
 今の社会では、何かを休むことも必要だと思います。自分で遮断する時間を決めないと、いつでも仕事がやってきます。ただし、本当に歓迎されるべき仕事はその中で多くはないのです。誰かの便宜を図るために動かされることも多くありますし。ギャラが発生しない仕事もありますからね。
 ところで、学校の先生は一体いつ休むのかと思います。授業中よりも拘束されるクラブ活動。放課後、土日のクラブ活動はやめられないのか?本当に必要なのか?いつも疑問に思います。極端な話、学校の先生がやらなくても、先生は本当にやらなければならないことが多くあると思います。クラブ活動が本当に必要なのか?という議論と教師に休みを与えるのは一体誰の責任なのか?が常に問題だと私は思っています。
 失礼ながら、先生は一生懸命に働いても、結果的に何かを生み出している気がしないのです。自分自身が擦り切れるような生活でいい教育はできません。子どもに、自分を大事にすることを伝えれないからです。ぜひ、親からクラブ活動縮小の議論をはじめて欲しいと思います。先生からは提案できないですよね。
人に関わる人は、幸せであることも仕事なのではないかな [2017年03月15日(Wed)]

学校の先生や看護師、保育士、介護士さん。人と接するする人は、基本は幸せじゃないとね。人間はあまりプラスなんて与えることはできないから、せめて笑顔や幸せ感が大事なんだと思います。うちの子ども食堂には、ボランティアを励ますボランティアがいます。「みんな元気か〜!!」って言ってあげるだけで、人間は、幸せになります。

 私たちは、幸せな存在でありたいと。

もちろん誰もがそんなに毎日、いいことばかりなんてないけれども、それでも幸せは大事。



人生の時間は短い、人が嫌がる仕事もしなければならない時もあります。


でも笑顔は大事。


生きることは、あきることのないものがたりの連続 [2016年06月16日(Thu)]

私の父親は今年85歳になる。毎日、農作業に忙しい。田んぼの草刈や、見回りを暑い日も雨の日も行っている。この父に、「生きていてあきることはないか?」と尋ねたことがある。結果は、まだまだあきないということ。当たり前かもしれないがもしあきていれば、とうに体調に変化をきたしているだろう。病気もない父親は非常に快調に生きている。
 父親は、この変わりのない毎日を生き抜く楽しみ方を知っている。周りからどう思われようが自分は楽しいのだという事を実感している。このような、老い方を近所の人は「理想ですね」とはなしかてくれる。そうか、これが生きる理想なのか?と私も思う。
 生きるのは、始まりがあれば終わりがある。毎日がイベントや楽しい事だけではない。だから、変化のない毎日でいいのだ。だからこれでいいのだ。