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ひたすらに関心を向けること [2021年04月15日(Thu)]

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今日は朝から頭痛がするので在宅勤務をしています。
学ぶことの目的は、幸せになる事だと思っています。「賢く見られたい」、「すごいと言われたい」という人ほどすごいと言われなかったりします。
ちょうど今は桜の時期です。
中国のことわざに「桃李もの言わざれども人、自ら蹊をなす」という言葉があります。

美しい花が咲いていれば、人は列をつくり、たくさん集まります。この花は美しいと自分で宣伝しても人は、はてな?自分は美しいと思わないがなあ。と自分の関心で行動します。列を見て人が並ぶのではなく、美しいのを見て人が並ぶのです。
小手先の技術で列をつくらせればいいというものではありません。

学校に通うということも、「学ぶ」に関心をあてれば学校に通うは、zoomを使って学ぶと同じような価値になります。むしろ、学ぶの焦点をあてれば、方法や学校がどこがいいのか?などということの議論は、どうでもよくなります。
 
人からどう見られるか?自分に自信がない時には、気になります。

関心を人から、自分が必要とする目的に向けると、解決へのアプローチが変わってゆきます。手段に惑わされなくなる。素直に、美しい花を見に集まることができるようになれば、それでいいのです。
まだ何もはじまっていない [2021年03月27日(Sat)]

子どもの失敗は、たくさんあります。何かをこぼす。こける。学校の成績をあげる。逆上がりをする。うまくゆかないことは、よくないことだと思われています。
うまくゆかないことは、考えるきっかけでしかありません。だから、それでいいんです。
 毎日の中で、うまくいくこともゆかないこともあります。大学入試に失敗した。就職先で、人間関係に不安が生まれた。いいなあと思っている人に、冷たくされた。自分のせいだと思うこともあるでしょう。でも、まだはじまっていないのです。
 だから、あせる必要はありません。
うまくゆかなくてもいいんです。

10代では、まだ何もはじまっていません。
誰もが子どものことを心配するが、何もできない [2021年03月23日(Tue)]

どんどん自分の身を削ってでも一生懸命に考えると、人のことを思いやる余裕を失ってしまいます。
一生懸命なので、寛容になれない。
私の場合は、自分のことなのに自分のことと考えてもらうことを、子どもの頃から重ねることが必要だと思っています。もちろん周りの人の寛容さに甘えてもいいのです。でも決めるのはあなたです。あなたが決めれば、自分が一番ハッピーになれます。
周りもハッピーにになれます。この繰り返しが大事です。
周りは許してくれる。だけど、できるだけ自分も力を出す。

親は、何もできないです。
子どもが存分に力を出す。親も応援する。この繰り返しですね。
中学校ゆかない、高校ゆかないでも偏差値は取れる かといってそれが偉いわけでもない [2020年12月11日(Fri)]

私の次男は現在16歳。まもなく17歳になります。社会的に言えば高校2年生の年齢です。
彼は、中学校1年生の5月にはもう学校に行かなくなっていました。
彼に親が何をしたか?
特に何もしていません。フリースクールに通って、塾に通って、通信制高校に通っただけです。
それでも、来年大学受験に必要な勉強は進められます。

今の学校教育の中では、オンライン学習等のツールが発達しているので、特に、先生の授業を一方的に受けたり、キレイにノートを取らなくても勉強はできます。本人の読解力があればしかも効率的、かつ上質の学びができます。それを実証した元不登校児童生徒は、エジソンから落合陽一までたくさんいます。

実証はできていますが、誰もが同じ条件で大学に入れるのか?

それは一律ではありません。

試験の偏差値だけが独立してとらえられがちです。

でも、問題はそこにはないのだと私は思います。

コロナ感染症にかかるとなぜ責められる?不登校に似ています [2020年10月09日(Fri)]

10月9日付朝日新聞の記事
コロナ感染者が非常に責められた。「自分にとって迷惑だ」「反省しろ!謝罪しろ」
恐ろしいくらいの仕打ちが当事者にやってきた。
なぜ、責められなければならないのか?
なぜ、責める権利があるのか?
好きで感染した人など誰もいないのに・・・・。

このバッシングの構造は、不登校の子どもへの批判に似ている。俺はガマンして学校に通っているのに、なぜ学校にゆかないんだ?

みんな心配しているんだから、ご心配をかけてすみませんぐらい言え。

勝手に怒ったり心配したりしている。
自分の中の出来事を、他人に押し付ける。

世間から自分を守るために、心の垣根をどんどんあげてゆく。
容赦なく他人を責めるが、自分は責められたくない。強い人には服従して見せるが、責めるときには容赦無く攻撃する。自分から迷惑を減らさない限り生きてゆくのが辛くなってしまう。

お互い様なんてとても言えないこの社会には、不登校ではなくとも、絶望を感じます。

この絶望、恐怖を目の当たりにした子どもは、生きているのに、希望を感じないですよね。

私たちの、この負の個人主義の源は何か??
この恐怖を私たちは、感じるから、服従するんですよねえ。
強いものに逆らわないほうがいい、を実感するのだと思います。





みんな失敗を自慢してみよう! [2020年08月17日(Mon)]

 多くの子どもは大人は失敗しないと思っています。実際、私は子どもの頃そう思っていました。時間がたつに、大人が失敗をするのはいいにしても、失敗を隠すエネルギーが、とても大変なことに気がつきました。
 失敗こそ学習の材料です。

そう考えれば、失敗こそ公表されなければならない。

むしろ自慢されてもういい。
最大の失敗は、「失敗を隠して」同じ失敗の再発がくりかえされることだと思います。

視点を変えて考えてみましょう。不登校は失敗と考える?こともできます。
問題は、なかなか自慢されるほど語られないことです。もっとオープンに語り合える場をつくりたいですねえ。少し考えてみたいです。どんどん意見を入れて、ひらくと可能性が生まれます。


 
大人という限界 [2020年03月27日(Fri)]

子どもの頃はあんなにのびのびしていたのに。大人になると自由に物が言えなくなる?制約が多くなる?つまらなくなる?だんだん元気が無くなってゆく大人を見て、「子どもは楽しそうじゃないなあ」と大人を思いはじめる。
楽しそうかどうか?は子どもの判断次第です。「あれをやってはいけない」という禁止が多ければ多いほど、人生はつまらなくなると私は思っています。どんどんやって行こうよ!「失敗なんか地下に埋めちゃえ」というと人生は楽しくなります。
大人の限界は、大人がつくっています。その限界がありながらも、意識しないように努める大人はいますが、まさにえらくなればなるほど限界だらけで、何もできません。そのうち自由に何かをするという発想さえなくなります。通常が不自由なのです。
 「不自由」という産物をいとも容易く自分の中に取り入れることのできる大人。自由を制約されまいと思って逃げる子ども。この両者の闘いが、大人の物理的勝利で終わってしまっています。教育の限界はここにあります。子どもをダメにしないように制約を減らしたい。自分で考えるエネルギーを高めたい。大人という限界を、大人は壊せるのでしょうか?教育の課題はこちらにある気がします。
学校にゆけない子どもが、あえて学校にこだわりつづける理由 [2020年01月25日(Sat)]

「学校にゆきたくない」と言いながら泣く泣く、学校にかよっているんです。これは、特別新しい話ではないのです。「子どもの行動が不可解」だという人もいます。大人には、不可解かもしれないけれど、子どもの側からすれば、合理的な理由があります。
 学校に行きつづけるということが、自分のこだわりであり、自分が自分であるという証明になるからです。学校に行かないということが、まだまだ一般的なことではないので、そこから外れてしまうことに対して、「不安を感じる」ことは当然です。
 学校に通う以外に、自分が自分であるということを証明できる何かに出会えば、学校に行かないという選択肢も出てくると思います。それが見えない子どももいます。かわいそうでもなんでもなく、自分が納得するまで通い続ければいいのです。納得がなくとも通い続けたところで見えるものもあるでしょう。個人の経験として、それはとても大事なことです。
 こだわる力を持っている証明ですから。自分が自分である。これは先生の押し付けではなく、ある意味自分の判断なんです。変えようとすると、子どもはよけいに学校にこだわります。気持ちを理解することでしか、子どもは自分自身とも出会えないと私は思います。
対話は、不登校の子どもをツナグ [2019年08月30日(Fri)]

ここ数年「対話」をすることに力を注力しています。
子どもは、「理解された時に」動き出すからです。大人は、子どもの自ら動く力をあまり信用していません。人によれば、そんな力は無いと思っています。何かをさせたがることばかりなのは、その証だと私は感じています。
人はつながり、人に肯定されるだけで自分の関心が満たされます。修正されることばかりであれば、全くもって不安になります。学校教育は、修正が大好きなので、修正されればされるほど、子どもは元気を失います。自分を嫌いになります。
 人はツナガルことと、肯定されることで、「自分を取り戻します」「自分の可能性を信じます」この関心の持ち方や、思いの深さから人は自分のやる気をどんどん伸ばしてゆきます。実は、これは不登校の子どもだけではなく、大人たちも同じことなのです。しかし、自分がやられて嫌なことを無意識にやってしまう大人が非常に多いのは残念です。
 私たちは、日々この大人の無力感を、肯定感にかえる関わりも行なっています。子どもにとっての未来は、いつも開かれているのに、その道を閉ざさないでほしい。
眠れない夜にはジャズを聴く高校生 [2019年05月08日(Wed)]

今年の春から当団体に入ったIくんは、ずーっと眠れないということに悩んできました。はじめは羊を数えました。羊で頭が満杯になった後は、Utubeでいろんな音を聞きました。それでもなかなか眠れません。苦しいまでに、眠れない。
 彼はあるとき、お母さんが好きなJAZZを聴くようになりました。中でもピアノの音が好きなそうです。はじめは眠れないことが辛くて、苦しかったのですが、少しづつ眠れるようになる。そして、JAZZが好きになりました。
 人が、少しづつ変化すると、ある意味偶然ですが、眠れないと言う苦しみが、JAZZを聴く楽しみに変わってゆく。柔軟に変化できるIくんはとっても素敵でした。
 人って、こうして自然に変化してゆくもんなんですよね。
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