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私は、子どもに困らされている [2021年11月07日(Sun)]

「この子が私を困らせるんです」
「この子どもさえ学校にゆけば、私たち家族は幸せになれるのに」

うつむく子ども。ヒステリックに話をする親。誰もが祝福されているようには見えない。この状況がつくられているのは誰のせいなのか?
ひどく、落ち込んだ状況をつくった犯人は誰なのか?

親を困らせようとして、不登校になっている子どもがいるのかなあ。
親を困らせようと思って生まれてきた子どももいないのではないのかなあ。

「親がつらい」と思っているだけなのですが、その辛さは子どもが作為的につくりあげたものだと感じている人がいるとということはわかります。親がつらいのはわかります。
誰かのせいにしたいのもわかります。

できればそれは、自分の子ども以外を悪者にしていただきたいものです。
でも、人間は自分の自由にできるものが周りにしかないので、自分の一番身近で、本当は一番大好きな子どもを悪者にしてしまうのです。

つらいなあ。

結果大人はその不幸を子どものせいにします。子どもからすればやりきれないなあ。

犯人は誰もいない。

犯人は、親を苦しめている社会であるし、会社であり地域なのかもしれません。しかし、具体的に名前が出ない。それが苦しくてやりきれない。


教育虐待 [2015年07月28日(Tue)]

夏休みのラジオ体操の音楽が流れています。この夏、暑い中で日本の子どもたちは毎日を過ごしています。この中で塾に行ったり、習い事を一生懸命に行っています。ある意味これは教育における虐待ではないかと思います。子どものためと言いながら大人が正解を求めて試行錯誤している。
 教育における正解は、子ども自身が「自分のためになった」かどうか?
自分で決めるのだと思います。親が不安なあまり子どもをいじくりますのが「教育」ではなく、親の不安で子どもをふりまわしているだけではないでしょうか?
 自分が自分である事を、子どもである事を誰かに奪われたりしない自由を認める大人が増える事が大切だと思います。教育という名前の虐待をやめよう。