フリースクールは「学校」である [2019年01月05日(Sat)]
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2019年
明けましておめでとうございます。今年も全国の学校外で学ぶ子どもたち、不登校の子どもにとって幸せな1年であることを心から祈っております。 *さて、さっそくですが、私はぼーっと正月のテレビを見ていたところすっごいことに気がつきました。それは、フリースクールを学校ではないと言っていたことの誤りです。なんでこんなにわかりやすい言葉を避けていたのか?理由は簡単で、自分が学校が嫌いだからです。学校じゃないと言った瞬間に、なんだこれはわかりにくい面倒臭いところだなあ、と思われたに違いありません。本当は、学校と重なる部分もあります。だからあえて学校ではないというよりは、学校であると言った方が大勢の人の共感を得ることができたのです。この20年間、もっと多くの子どもたちと出会えたかもしれないのに、なんてもったいないことをしてしまったのだろう。「つまらない、意地やこだわりを早く捨てないと」というのは私の口癖でもありました。危うく私も、昭和の博物館の中に収蔵されるところでした。(苦笑) *学校は、大勢の子どもに学びを提供しました。 *学校は、貧しい子ども達を労働から解放し、学びの機会を与えました。 *学校は、身分や出自の違いを超えて、学ぶことへの平等な機会を提供しました。 *学校は、子どもたちに丈夫な体と栄養を与えてくれました。 *学校は、好きなだけ本を読む空間や大勢の人と知り合う機会さえも提供しました 上に書いた学校を私は決して否定していません。むしろ、学校は必要な場所だったのです。問題は、学校に対する周囲の期待が高まりすぎた事と、先生方や行政が期待に応え過ぎようとしたことにあると思います。 私は、学校を否定しません。むしろ、学校本来の姿をもう一度考えるために、フリースクールを20年前につくったのです。私がつくったのは、教育基本法にのっとった1条校ではないですが、学校なんです。 さまざまな理由から、いままでの学校に通いたくない子どもが、自分にとって組み立てやすい学びのある学校です。ただこの学校は、学びさえも自分でつくることが出来るので、先生を選ぶ自由も、あえて先生につかない自由もあります。テストを増やして競争をしない代わりに、徹底的に話をします。憂さ晴らしにゲームもしますが、憂さがなければ、自分でギターを弾いてご機嫌な時間を創り出します。やりたくないことを無理にやりませんが、必要であればやりたくないことも行います。 自分で考える時間をたくさんとっていいので、無理に他人に合わせたくないときは、家で自分で学んでもいいのです。倫理的に許されないことは、教師も生徒も守ります。個人情報も保護され、ジェンダーや性的マイノリティーへの配慮もされます。 私たちは、そんな学校なんです。この事で少し、みなさんとの距離が近くなればいいなあと思います。 |



