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競争社会に未来はあるのか? [2019年04月09日(Tue)]

 今の社会は、ものすごい競争の中で仕事をしています。日々戦略に明け暮れている。その中で、一人一人が、目的を持って活動してゆくことの大事さを感じています。しかし、現実にあるのは市場の競争だけです。競争は、やればやるほど疲れが出てきたり、犠牲が生じます。この犠牲は、過剰残業、精神疾患も含みます。
 「楽しんでいる大人に出会えない。」社会になってしまいます。競争が激しいとしわ寄せは、子育てや、生きることを楽しむことへの犠牲になります。犠牲をフォローするために、まただれかが犠牲になる。仕事にやる気を失う。この悪循環です。
 どんな時もやる気を失わないメンタルを持つほど人間は強くありません。結果的な犠牲は、社内でのやる気の減少につながってゆきます。全体で落ち込んでゆきます。精神的にも悪いことおびただしいです。私たちは、病まないで生きてゆきたい。犠牲にならないで、生きてゆきたい、だから学ぶ効率的につながるのではなく、有機的につながり「共感」を持って対応してゆくことが必要になるのだと思います。
 
学校で仲良くできるのも大切、誰もが仲良くできないのも現実 [2017年12月04日(Mon)]

 私たち、フリースクール関係者は、学校のことを批判する人たちだと思われています。私たちは、学校で育っています。学校で、楽しい経験もつまらないこともたくさん経験しています。学校が悪いなどと単純に言えるほど、フリースクールの教育文化が成熟してもいません。
 ただ、学校以外に選択肢がないことが、苦しさを生み出しているような気はしています。学校以外の選択肢の人がフリースクールであるだけなので、私たちの所には、学校で様々な息苦しさを感じた生徒が通ってきています。
 しかし、これは単純に選択肢を増やしている以上の意味もあります。複雑な感情や利害の調整を自分たちで、進めている組織でもあるからです。自らが、相手の気持ちの意図を汲み取る人もいて助けてくれます。この助け合いが自然と起きる場所。それがある意味フリースクールです。
 
 
子どもが働く [2017年04月23日(Sun)]

私の13歳と15歳の男の子たちは、毎年春になると農作業を行います。父や母が80歳を越える年齢なので、もはや彼らの労働力なしでは我が家の農業はうまくいきません。大事な労働力です。農作業をする事は、彼らにとって我が家の家族の一員である以上必須な事でもあります。親として、期待しています。
 私もそうですが、働く事でしかわからない事がたくさんあります。逆に、働く事で一人前の大人の気分も味わえます。「疲れる」ってなんだろう?「人の役に立つ」とは何だろう。「効率」ってなんだろう?一緒に力を合わせるってなんだろう。これらすべてを経験する事が、大事な学びだと思います。
 「子どもが働く」事を、私は大切にしています。それは人としての尊厳の回復行為だとも思います。子どもができる小さな労働を、大人は大事にしてあげて欲しいと。
課題を「エンジョイ」と言われる(イスラエル)IDEC番外編 [2017年04月07日(Fri)]

 今回IDECに参加していた時に、日本人の印相は?と台湾の高校生に聞いたら「慎重」という答えがやってきた、なるほど。確かに日本人は用意周到に準備してことにあたり、失敗を避けるように行動する。しかし、失敗を恐れるあまり、意思決定を自分で行うことを非常に嫌がることと、物事を先に進めるのに時間がかかりすぎることが「日常」です。
 どうも楽しんで、結果を出すために仕事をしているようにあまり思えない。この国で食事の時にウエイトレスに言われることは「楽しんでね」ということです。食事の最中もどうだ?おいしいか?とよく聞かられます。
 楽しんで問題解決することは、この国では当たり前だということに気がつきます。人脈を使い、人とつながり、課題解決に間をおかない。どんどんアグレッシブに進めてゆく。仕事は楽しいことなんです。これって日本ではとても軽視されていることだと思います。仕事を楽しく時間までに全力でやりきる事にどれだけの人が力を入れているでしょうか?
 だらだらになるか?時間を延ばすか?
仕事をしないという事を恥ずかしいと思う事もあまりない。

でも、私もわかるのですが、課題を解決している時は非常にエキサイティングです。なんでも向きあって困難であればあるほど問題に近づいているように思います。日々をエンジョイできているのか?実はここが問題なのかもしれません。問題は楽しい。
 比較で言えば、スキー場で難しいコースにゆくほど滑るのが楽しくなります。楽しく人生の問題に向き合う事ができるのかどうか?教育の目標はここじゃないですかね?
家の仕事をすること [2016年10月10日(Mon)]

我が家や米農家農家でもあります。今の時期は農作業で毎日稲刈りをしています。次男も長男も、出来る範囲で手伝います。
 この家の業を手伝うということが、大事だと思っています。自分たちの祖先がなにを作って生きてきたのか?地域とのつながりや、家族の支え合いや労働。実は、家族は仕事を通じてつながってきた側面もあると思います。
 家の仕事を手伝うと、子どもたちは少し誇らしげです。祖父母も満足です。これが家族の一つの支え合いの土壌になっています。
完璧な仕事なんて、ありゃしない [2016年08月31日(Wed)]

 「子ども」と学びあいながら成長してゆく組織なので、予想できないことが沢山起こります。失敗なんてしょっちゅうです。うまくゆかなくて当たり前でもあります。今日は大人の破綻について書かせていただきます。実は、私たちの組織は、子どもの育つ場ですが、大人はなかなか子どもほど容易に変わりません。
 ボランティアさんもたくさん来ます。みなさんどのように子どもと接していいのか悩まれる方も多くいます。大人はむしろ子どもに学ぶのだと思います。子どもに自分が壊される経験をしてみると大人は容易に子どもとの関係の大事さに気がつくのだと思います。
 大人は不完全でいい。というところからはじめたいと。
労働は子どもが役に立つ事を実感する手段 [2015年05月24日(Sun)]

「働かざるもの食うべからず」と言いながら、今は子どもに勉強だけさせています。何もしなくていいから勉強しなさいと言います。でも実は、子どもは働く事に大変興味があります。自分は果たしてどれだけ社会の役に立つのか?社会はどのように動いているのか?全てが子どもにとっては興味の連続です。
 まずは、働いてみましょう。何ができるのか?期待されている事を理解しながら働けばそこに、お金が流れるしくみや、お客さんが何を望んでいるのかがわかります。全てが勉強です。大人は、子どもが働く機会をしっかりつくる事が大事です。労働は人を育てますから。