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自分の嫌なところに気がつきたくはないのは、子どもも同じです [2021年02月19日(Fri)]

自分の声を録音して聞くと異和感を感じる人が多いと思います。
撮影された動画を感じて、自分ではないという異和感を感じる人もいます。

私は仕事柄、自分が何を話していて人にどう伝わっているのか、何度か繰り返し聞くくことがあります。正直嫌なこともたくさんあります。しかし、それでも繰り返してゆくうちに自分の話し方を変えるきっかけをもらえます。

大事なことは、「周りから見える自分は、そう見えているよ」ということに早く気がつくことです。

これを認識する大事な機会が、録画を見たり、録音を聞くことなんです。自分がどう思われているか?自分が自分を理解ができないという前提を忘れてはいけません。


子どもも同じです。自分の嫌なところに気がつく必要はないですが、自分がどう見えているかを理解することで、周囲を変化させるためにもっと有効で戦略的な対応も可能になります。ここに気がつくと、仕事もやりやすくなります。

子どもも、社会に対してアピールする力が出てきます。周りを知り、自分を知るということですよね。
学校にゆかない子どもの可能性がないのではなく、大人が見ていない [2020年11月24日(Tue)]

学校にゆかなくても、多くの子どもは社会人になっています。

 でも、多くの人は学校にゆかないと、「いろんな困ったことがあるよ」という方に注意が向けられます。東京から来る人はコロナウイルスに感染している確率が高い?という事と実際に感染している事とは違います。あくまでも一定の価値観で測ったリスクにすぎません。
 自分がいくら注意していても、院内感染など避けられないリスクもあります。

「不登校になったから可能性がない」のではなく
不登校が応援されたり、機会を与えられないと社会で活躍する可能性が減るという事です。

大人は、マイナスの注意を子どもに向けるのではなく、いかにプラスの注意を向けてゆくのか?
問題はここにあるような気がしています。
応援できるのに応援しない。逆に子どもをけなしてしまう。応援してくれる大人が珍しい。

こんな状況では子どもはどんどんめげてしまいます。

大人が、できる応援はたくさんあります。

応援する大人を増やすことが大事なんです。

教育は共に育くみあうこと [2020年02月23日(Sun)]

コロナウイルスが流行っているからではないですが、各自に自宅から参加できる学び方を考えていると、オンラインでフリースクールができないだろうか?という自分の中の気持ちが生まれています。すでに先行して試行錯誤している事例からも可能性を感じます。お互いに、つながり合う。共感する、肯定することはオンラインでも十分できます。                          
 同じ場所で、同じ時間に集まれることだけが、学びを成立させる要因ではありません。むしろあるときはつながり合いながらも、離れている時からは自宅からも学ぶことは、学びの可能性を広めてゆくと思います。
 音声が途絶えたり、動画が見えにくいという、環境も改善されて、オンラインですが相手の感覚も伝わるように改善されています。知識は一人でも身につきますが、気づくことは一人ではできません。だから、オンラインで学ぶことの効果もあると思っています。昨日フェスブックでつぶやいたら。大勢の人が、サポーターとして参加表明いただきました。一緒に、何かできそうな予感です。
自分で「メシが食える」大人にする [2020年01月22日(Wed)]

「花まる学習会」の高濱さんの講演を聞いたときに、まず響いたのが、「ここでは「メシを食える」大人が育てるんだー。」という強い意思です。誰もが、自分の未来のために学びたい。幸せになりたい。それでいいと思います。正しい答えも、もっと高い偏差値や志望校も、本当に本人が望むものではなく、周りの期待に合わせたものでしかないからです。
 「自分でメシを食う」ことを目的にしすぎて、ずるいことをして捕まっては、本末転倒です。会社や組織から給料をもらうのも手段の一つ。自分の仕事に値段をつけることも手段の一つです。本当に納得した人が、お金を払ってくれます。人を納得させるというのはとても大変なことですが、やりがいがあります。この「やりがい」が大事です。希望と勇気と喜びの源です。(少なくとも私にとって)
 自分でメシが食えるようになるには、人に納得してもらわなければいけません。「納得」させるのが口先だけのことで無理です。行動を伴わないものは信用されません。まして、うわさ話しか言えない人も論外です。
 自分でメシを食うということは、実はたくさんのハードルを超えて初めて成り立ちます。「メシが食える」だけを目的にするのは、さまざまな誤解を生みます。要は、お金儲けをすればなんでもいいのか?という偏見にもぶつかります。お金を払う方も納得しながら。むしろ、喜んでお金を払ってもらえることが大事なんだと思います。
 これは、フリースクールでも当然目的の一つになってもいいんだなあと思います。ただ、どこのフリースクールも言わないなあ。
ミネルバの梟はせまりくる黄昏に飛び立つ [2020年01月02日(Thu)]

2020年の新春をすこやかにお迎えでしょうか。
 私たちは、今年も新たらしい学びに挑戦してゆきます。学ぶ事は、あらゆる予測を可能にするわけではありません。どんなに知恵を使っても、経験、知識やAIを使っても予測できない未来があります。東日本大震災で、私たちは予測できない未来、しかも残酷な未来を現実に受け止めてきました。
私たちは、予測不可能な未来に向かって進んでいます。これを恐ろしいと考えてしまったら。あらゆる思考は「不安」という強いブレーキで止まります。人間の叡智は、最善の方法で思考しながら備え、生きることしかできません。未来が予測可能な時代になったと錯覚している人もいるかもしれません。むしろ、私たちは自然現象や、人間の愚かさも含めて、予測不可能な社会に生きています。
 だから、学んでも無駄なのではなく、現実、歴史から学び続ける努力を怠ってはいけません。未来におきることも、過去の経験とさほど変わらないことの方が多いのです。だから安心してもいいのです。私たちは、度重なる地震、水害、火災を向き合ってここまで生きてきました。水害の時は、その泥を活用し豊かな水田にも変えてきました。
 私たちは、さほど愚かではない。しかし、現在や過去から学ばなければ容易に愚かな罠に落ちます。時代は決して右肩上がりの経済成長をする社会ではありません。薄暗い暗闇に見えます。しかしこんな時こそ、ヘーゲルが言うように知性が問われる時です。暗い時代に、夜目がきく知性を光らせて、今年も寺子屋方丈舎は、飛び立ち、羽ばたいてゆきます。皆さんの変わらぬご支援を、ぜひお寄せください。
 
いいことも悪いことも、自分に返ってこないものない [2019年05月31日(Fri)]

いいことも悪いこともたくさんあります。
その要因を探っていくと、全ては自分自身の蒔いたタネにあります。
 最近、講演を頼まれるたびに、精一杯お勤めしようと自分の声を録音しています。後から聞き貸して修正するためです。本当に恥ずかしい。実につまらない話で、自分がよく眠れます。これじゃあいけない。あ〜〜とか。うーとかの間投詞もいらないし。
 変な脱線も余計です。一言のフレーズは長すぎる。もおこれは大手術が必要でした。毎回の録音のおかげで、少しは眠る人が減ってきました。精進ですよね。自分で自分を記録する以上の勉強が、今は見つかりません。
 自分でしっかりと自分を理解することが大事。
 
助けあって、共に育つことこそ教育 [2019年03月08日(Fri)]

どうして子どもは思うように育たないのでしょう?どうして子どもは、親のことを理解してくれないのでしょう!よく聞くお話です。
 自分のことを伝えるのに、大人は一生懸命です。子どもを動かそうとすることに、精一杯になっています。でも、大切なのは子どもの興味、関心のあり方です。子どもは、自分を肯定してくれない大人には非常に無関心です。大人の関心のありかのズレと、子どものあきらめが、お互いのすれ違いをおこしてしまいます。
 大人がもっと子どもの関心に心を向ければ、何かが変わります。理解された感情がしっかりと芽生え、自己と他者への関心が深まります。子どもを本気で変えたいのなら、まず大人からかかわることが大事ですよ。
個である時間、共有する時間 [2018年06月27日(Wed)]

 人は「個」ある時間の方が楽です、誰に気兼ねすることもないし、人からどう思われようと気にしなくてもいいからです。人から何を思われるのか気にしはじめるととてつもなく大変です。自分を覆い隠さなければなりません。
 気兼ねしない仲間との時間は共有する時間です。一緒に過ごすいい時間。私たちは、この時間を行ったり来たりしながら学んでいるのだと思います。こうかもしれない。あーかもしれないと、試行錯誤しながら時間を共有している。それがとても大事なんだと私たちは感じています。
 揺らぎがなければ、人は新しい考え方を自分の中に入れませんから。
頭と体を休ませる(効果) [2018年01月28日(Sun)]

日曜日に失礼しています。
長年の課題であった、体の体脂肪率、体重を下げ。かつ血圧まで下げようと本日からジムに通いはじめました。すごい疲労感を今感じています。体にいいことことをもっと重ねてゆきたいですよね。「今日トレーナーからオリエンテーションで毎日筋トレをしちゃだめですよ。逆効果です」といわれました。この言葉に違和感を感じるのは私だけではないと思います。
 休ませることで、筋力がつくのです。そうかと思いました。仕事も勉強もそうですが、やり続ければば能力がつくわけでもないと思います。休ませることも大事だと。自分の中にある感性がリフレッシュされることがとても大事だと思います。毎回「いやいや」ながらやっても何も効果がありません。時におもい切って休むことも大事です。
 ああ、今日は休むぞーと思っている私でした。
うまくゆかなくて当然 [2017年12月29日(Fri)]

 失敗も成功もしない、うまくもゆかない。実は私の人生だけではなく、多くの経営者は、さほどうまくいっていない。でも、誰もが経営は特別の才能であると思いたい。自分ができないのは、特別の才能がないからだと。できれば、毎日同じことを繰り返すような単純作業はやりたくはない。ただ、できるだけ楽に生きてゆきたいと思っている。
 こんな仮想の事実とは裏腹に、私の毎日は実にエキサイティングである。毎日仕事はうまくゆかない、イライラすることもある。でも、仕事が楽しい。それはなぜか?うまくゆかないところからどのように粘るのかが楽しい。うまくゆかないことを前提に、そこに次の何を仕込むのか考えることが楽しい。
 学校の中のテストだけで、私が大人になってきたら、おそらく失敗が怖くてしょうがなかったと思う。うまくゆかなくて当然。人生は、うまくゆかないことからはじまります。学校に行かないくらいで焦らずに。と申し上げます。
 こどもは若い。だから試行錯誤する力だけ付いていれば十分です。じたばた、できる力です。
 
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