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2020年の不登校は19万千人余り [2021年10月16日(Sat)]

 2020年の義務教育年齢の不登校が19万6千人余り、毎年増え続けています。理由は学校基本調査にあるような「無気力や不安」だけではありません。教師からのハラスメント、生徒同士のトラブルやいじめなどが占めています。
学校にある緊張感や評価の視点。知識を覚えるだけの学びの退屈さ。これらを言っても学校が変わる訳ではありません。学校にある教師の不安や多忙化、視野を広げられない超過勤務を言ってもすぐに改善できるわけでもありません。
政府は、学校で学ばない子どもにも学びの機会を保証しようと、「教育機会の確保法」(2016年)という法律をつくり、学校外で学ぶことも全く学ばないよりもましでしょう。という見解を示しました。私はもっと先に進んで欲しいと思っています。自分で学ぶ子どもを応援してください。学校に合わない子どもをもっと暖かく、送り出してくださいということです。
不登校の理由の4割を、学校の先生は無気力や不安だと思っています。そこまでやむを得ない状態にある子どもたちが、いかに復活してゆくのか?学びへの興味を復活さえてゆくのか?この道のりは容易ではありません。だから応援して欲しいのです。
不登校は、自分で考えて生きる第一歩ですから!
大人に従わなくてもいいんだよ [2021年07月25日(Sun)]

父親になって、意外なことに気がつく。
息子が自分に似ていると言われると、妙にうれしいのだ。この感覚は親になったから感じるのか?
種の保存という観点で言えば、自分に従う子どもがいるだけで安心するのか?

私自身もよくわからない。
要は、自分がこの世に生まれた証としての、子どもの存在を嬉しく感じている「だけ」の問題なのだろう?我が子から言わせれば、我が子というのもおこがましいくらいに、父親に似ていると言われることが気に入らないらしい。


これは、自分もそうだったので良くわかる。

幸いにして、私は父親に似ていない。

本題はここから。

大人に従う必要って本当にあるのですか?
子どもの頃からの悩みでもあります。
お父さん、お母さん、学校の先生のいうことを聞かないと幸せになれないのでしょうか?

結論から言えば、大人に従わない方が社会を変えられる可能性があります。現状の社会に、順応しすぎない方が疑問が生まれます。疑問をたくさん持つ子どもの方が、自分で考える力がつきます。社会への不平不満をいうことは、社会を変えることができない自分を慰めているだけであることに、気がつきます。

本気で社会を変えたかったら、大人に順応しない子どもになることです。

自分で考える、行動する変化をつくる。言語化することの繰り返しです。
「テレビに出たい」人に認められたい [2020年03月26日(Thu)]

最近ブログを書く体力が夜まで残っていません。
ほとんど何もかけていない毎日です。気持ちはいたって元気です。
朝早くから出勤して、学童保育の子どもと指相撲したり、オセロをしたり。オセロの上達度はかなり高いので容易にこちらが負けます。将棋も負けます。ある程度人生は終えている(笑)私は、この程度ではびくともしませんが。ちょっと悔しい時もあります。
 子どもと話をしていると、勝負には負けたくない。有名になりたい。という言葉を聞くとホッとします。上昇志向というか、勝ち負けにこだわる。テレビに出たい。有名になりたい。ほめられたい。ごく自然に自分を認めて欲しいという気持ちは、わかります。
 勉強も運動も嫌いという子どもは、活躍の場がない。いつも光が当たらない。子どもは誰もが認められたい。大人たちはしっかりと子どもに活躍の場を与えているでしょうか?自らを誇れる場がどの子にも与えられているでしょうか?
 ちなみに、私は今日は本気でオセロをやって、敗北しました。彼らの自尊心につながればいいなあ。大人は、歳をとると自然に能力が衰え、負けるものなんだよ。
ワクワクしながらはじけたい子ども [2020年01月10日(Fri)]

子どもは、つまらなくなると行動をやめます。
楽しいことはワクワクしながらやっています。大人は、あいさつをしたり、はつらつとしている子どもを求めます。元気でいて欲しいんです。でも、大人が求める理想像を押し付けると子どもは容易にやる気を失います。楽しく無くなるとそこから出て行ってしまいます。
 大人が、子どもに対して、ある形にはめようとしたくなる欲求から自由になれば、子どもに強制することがなくなります。自由を手に入れた子どもは、どんどん自分で行動します。考える、集中する。これを大切に私たちは大切にしています。
変化は、人から見えるもの [2019年01月07日(Mon)]

 子どもは、大人を本当によくみています。私に対して一番辛辣な意見をいうのは子どもです。それは、ありがたくもあり、自分の分身を見せられているようでもあるので、子どもを通じて私自身が自分を理解することもあります。
 人が変化するというのは、知識の問題ではありません。道具の問題でもありません。行動の問題です。あのひとの変化わその人の発言や行為によってしか表せません。自分がいくらいいことを言っていても、行動が伴わない人、結果を出そうと工夫をしない人は、そこまでだと思われてしまいます。
 教育を通じて、行動が変化してゆくことが学びの成果です。たくさんの学び方がありますので、どれがベストかどうかはわかりません。ただ、教育実践の中で学び方の公開を意外とされていないこと、(これはフリースクールも同じです)は大きな反省です。私たちは日々何を気づいてどんな実践から行動を変えているのか?もっとオープンにしてゆくと、そこに議論が生まれます。
 公教育かフリースクールか?子どもへのアプローチを考えると、そこはあまり議論しなくてもいいところです。まずは、変化を見せることは、教育に携わる者の責任だとも思います。
不登校という選択 [2018年12月07日(Fri)]

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不登校は非常に消極的な生き方だと思われています。実際、残念ながら、物言わず、学校を去るこどもを異常視する視線を変えることはできません。どう言っても、異常だと思う人の価値観は変えられません。
 私は、不登校も選択だと思います。学校に行かない選択をするこどもがいるという事実です。問題なのは、この選択をするのが精神的に異常であるとか、容認できないという人たちです。こどもをいつまでも判断力のない未熟な存在だと思いたい大人が、たくさんいることに驚きもします。
 こどもは、自分の魂が殺されるのは叶わないと思うらしいです。学校に行くも地獄家にいるのも地獄。どうすればいいのかと途方にくれるこどもたち。私は、「むしろ学校に行かないことを選んだのです」と積極的に発言したほうが社会も理解しやすいのではないだろうかと思います。
 少なくとも、大人が思うよりもこどもには、何かを選ぶ目があるのだと信じて欲しい。正解を探すだけの学校に、あまり意味はありません。正解は、人生の中にあるのであり、正解かどうかよりも、今を幸せに生きるほうがいいと思って子供達は不登校になっています。こどもは、考えた末の不登校です。何も考えない大人が、他人の人生にとやかく口を挟むのは、いかがなものかなあ。
 こどもだからとバカにしちゃいけないと思います。人は、年齢で価値が決まるわけでも、学校で価値が決まるわけでもありません。
大人は子どもに甘えていないか? [2018年09月08日(Sat)]

 学校に行かない子どもの中には親や教師に迷惑をかけていると「思わされている」人がいます。あえて、ここで思わされている、と書いたのは、子どもは自分の人生の選択を他人に委ねていないので、学校に行かなくても、誰にも迷惑をかけていないというポジティブな意見を私が持っているから。
 しかし、控えめに自分を責めている子どもに、大人たちはなぜか反省を迫ります。人に迷惑をかけていると。なぜ迷惑ですか?どうして、自分のことを自分で決めることが迷惑なのですか?困っているのは、大人の勝手ではないですか?
 私たちは、大人たちに迫られて、やむをえず反省の言葉を口にさせられる子どもに出会います。この反省の言葉に、大人たちは安堵の表情と勝ち誇ったような目をします。学校に行かないのも子どもの選択だから、それを引き受ける勇気ぐらい持って欲しいと、単純に私は思います。
 子どもは反省の言葉を口にするときに、少しづつ大人に対して諦めの感情を持ちはじめます。あ〜大人って自分勝手なんだと。大人は子どもに甘えて生きているのもいい加減にしてほしいと強く言うことは簡単だが、大人の私への評価はすこぶる悪いです。
 ただ、子どもを説得したつもりになっているだけで、反抗の牙を同時に磨いていることを忘れてはいけないと伝えたいです。子どもは決して愚かではないと。
 
 
自然に変化してゆく自由な存在 [2018年08月17日(Fri)]

 夏休みを十分に楽しんでいる子どもさんが多いと思います。おそらく、毎日が夏休みでも、子どもは困らない。毎日夏休みで困るのは、家族ぐらいかも知れません。大人は夏休みに成長してゆく子どもを目の当たりにして喜び感じます。
 おそらく、自分で学びつづけるだけでも子どもは成長します。成長の限界をつくっているのは、意外と大人だったりすることもあるからです。子どもを難しく捉えたり、成績で判断してしまったりするからです。
 自分の人生を無駄にしたい、ダメにしたいという子どもはいません。同じように、そこを信じる大人がいれば。もしくは子どもとともに悩んでくれる人さえいれば人は元気になれるものです。子どもとは生きることを引き受けてきた存在であると私も思います。

ゲームをしていても自分を責めている子ども [2018年01月27日(Sat)]

不登校の相談で、必ず出てくるのが「ゲームばかりしている」というセリフです。私たちは、子どもが学校にも行かず、おもしろ、おかしくゲームばかりしていると思いがちです。ゲームばかりしているのか、ゲームしかすることのがないのか??
 ここは議論の分かれるところです。しかし、学校に行かない子どもの多くは、確実に自分を責めています。それは自分自身が置かれている立場を、相対化することができな子どもにとっては、学校は行かなければいけないところであり。それ以外の選択肢が見つけられないからです。子どもは、ゲームをしながら試行錯誤しており、むしろその時間は自分を責めています。
 大人はこれでいいのか〜〜〜〜〜といいますが。ゲームをしながらでも、自分を責めるぐらい日本の学校はとても重いんです。
 
少年兵の話と会津 [2018年01月05日(Fri)]

 白虎隊と少年兵の問題を年末にここで書きました。非常に反響が大きく、自分でも少し驚いています。うちの子どもたちと、この話をすると豊臣と徳川の対立、西日本、東日本という大和朝廷以来の政権対立の構造の問題だと言います。明治以降の日本政府はまさに、西日本の地域の人たちが政権をつくってきました。現政権は、九州北部や瀬戸内も含めた太平洋エリアのがつくり出した政権です。
 私たち会津の人間は、この政権をつくり出すときに悲劇のヒーローとしての象徴が白虎隊だと思います。その他、年長者の兵やたくさんの人が亡くなってゆきました。多くの民は会津藩が、度重なる戦争を行ったので、重税に苦しんでいた人もいたようです。
 士族は、その後斗南にうつされ、たくさんの苦しみにさいなまれました。その後、会津では、明治政府の重税に苦しみながら、自由民権の運動もおきてきます。私たち民の側から見れば、戊辰戦争は、観光の視点から「敗者の悲惨」さだけが伝えられています。これも観光的な美談だと思います。 現実に会津に住む人たちが死の代償に徳川に忠誠を尽くしたかったわけではありません。忠誠のために、命を投げ出したかったわけではありません。
 そこには、民を生かす思想もあったと思います。子どもが、この部分をしっかりと理解しないで、命を投げ出すのが美しいという教育だけされることが、私は恐ろしいと思います。これは、人の死をしっかりと受け止めないことにつながるのではないか?という恐怖です。
 人の命を、建前ではなく、現実を踏まえないで伝えることが怖いと思います。少なくとも、我が子には、命を粗末にしてほしくないと強く思っています。
 
 
 
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