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不登校の名前を変えると、もっと考えやすくなる [2020年09月22日(Tue)]

不登校という名前は、「登校できない子ども」という表現なので、登校できる子どもを基準見ている。
登校できるのは普通かどうか?という表現になるとどうも思考の枠が広がらなない。

不登校=かわいそう?になるか?

不登校=怠けになるのか?

不登校=解決すべき問題になるのか?


いづれも、登校からしかものを見ない限界を感じている。

不登校=これでもいいんだよ

ただし、学校教育システムの中で学ぶ時には応援するから。

という肯定的なまなざしが欲しいなあ。





人ごとは、自分ごとにはなかなかなりにくい [2020年07月21日(Tue)]

「お昼何食べたい?」
「なんでもいいよ?」   「本当になんでもいいの?」  「何食べても変わらないから。」


本当はパスタを食べたかった子どもが、ピザトーストを食べる。ピザトーストを食べている時はどこか受け身になる。進学先や就職の問題は、こんな風にはなかなかゆかない。しかし、知識がない子どもは、知識がある大人に頼ろうとする。知識がある大人も自分のことではないので、本当にこの選択でいいのか?確信がない。
不登校の問題も、他人事と自分ごとの壁がある。物事の理解が、当事者家族とそれ以外でも違うし、家族の中でも分かれてしまう。不登校の問題をそれぞれに自分ごとにすると、それぞれの自分ごとが違うのだ。

不登校で困っている親は全国で、毎年16万人以上いる。「自分は学校に戻す」という結論を持っている親もいる。「学校にくればなんとでもしますから」という先生。「学校に行くことが正しい」と思い続けて苦しんでいる子ども。

 哲学者の國分功一郎さんは、スピノザの研究をとうして「人間の本質とはその人の潜在的な力であり、どうしたらそれを発揮できるかを考える自由の哲学」の必要性を言う。何か正しいのか?誰の責任なのか?突き詰めると苦しくなる。そのどれにも属さない、「言われてみればこうかもしれない」と中動的に動く自由さが、自分たちに新しい思考や気づきを提示してくれるという。

 子どもにはいつも潜在的に何かを考える力がある。これを大事にしたいと私は思う。そして大人は決めつけないで、中道的に動ける自由さをいつも子どもに対しても、仕事に対しても持っていたいと。

 学校にゆかないだけで、人生は多少変わるが、さほど不幸にはならない。大きな不幸は、学校という生きる手段にいつまでもこだわり続けることだと思う。そこから逃れられなくなる不幸である。
不安で眠れない子どもに安心を [2019年12月05日(Thu)]

 不登校の子どもたちには不眠を口にする子もいる。なんか学校がきになる。周りと自分。家族の中の自分。自分への不信感。大きな渦が心の中に生まれている。グダグダとした時間がすぎてゆく。眠れない。
 早く寝ても、明日が充実していると思えない。閉塞感が子どもを襲います。親から見れば、「怠けている」「だらしない」と思われる。このすれ違い。いっそ学校にゆかないつらさを、消せるものなら消しゴムのように、消し去りたい。
 でも、「心に残ったまま」の鉛のような感情が動かない。私は、この気持ちがわかるけど、ほとんどの人はわからない。苦しさに目をやりたくない。苦しさは、あなたのためだけにあるわけじゃないし、誰も受け取る義務があるわけでもない。
 でも、苦しみを受け取っていることに、満足する人がいる。「ほれ、俺が言ったとおりじゃないか〜」という人。この人こそ、恐ろしい。この人のために不愉快を背負わされている。さて、その人は不特定かつ、複数である場合も多いのでわかりにくい。
 雰囲気を悪くする人を、否定するのは容易いが「自覚させる」のはものすごく大変である。でも、それは私かもしれない。その自覚が、全ての大人にとって必要だと思う。
悪意がなくても「いじめ」はおきる [2019年04月05日(Fri)]

 いじめの調査を見ていて感じるのは、「いじめ」は特定の悪意に基づいて行われると思われていることに気がつきます。先入観です。貧しい人はボロボロの服を着ていると同じくらいに、それは思い込みでしかありません。しかし、多くのいじめはそんなに極端でかつ悪質のものは少ないです。金品を脅し取るものや、死に至るような暴力はむしろ「まれ」です。
いじめようとも思わない、先生は生徒指導をしようと努力している。しかし「いじめ」はおきる。嫌な感情やストレスのはけ口が示されたりすれば、溜まったストレスは一気に流れます。嫌な感情、場合によっては本人の不安さえも怒りになることがあります。
 学校でのマネジメントは、不安を安心に変えてゆく本人へのアプローチの必要性なのです。関心に寄り添うということです。関心に寄り添い、そこに価値をみいだせば、解決の糸口が見えます。多くの先入観を排除しながら、真摯に子どもと向き合えるのかどうか?
 悪意のないいじめでも、子どもはきずつき、「絶望を感じる」ことを私たちは甘く見てはいけないし、ましてやそれを本人のせいにするなどは言語道断です。
公平と平等が人を傷つける [2018年12月06日(Thu)]

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 平等であるとか、公平ということは、私たちに大きな価値であると思ってきました。しかし、反面「平等にしなければならない」といわれることが同調圧力を生んでいることも事実です。
 同じであることが平等なのか?ではなく、機会が平等であることが大事なことだと思います。しかし、参加しない自由も認めないと息苦しさが不登校やその保護者を抑圧することがあります。
 学校の宿題をやらない。運動部に所属しない。髪の色が違う。制服を着ない。この自由を平等や公平の名前の下に、子どもたちは受け入れています。私たちはこれを、権利侵害とはあまり言いません。不登校の子どもが、本当に卒業アルバムに写真を載せたいのか?卒業証書を受け取りに行きたいのか?
 おそらく、NOだと思います。
なぜ、この気持ちをわかってもらえないのか?
学校は誰を大切にしたいのか?
何を大切にしたいのか?

 ここがわかれば、問題を整理をしやすいと思います。子どもにとって苦痛を与えることは学校にとっても目的ではないと思います。大事なのは、子どもの思いを支える学校であってほしいという事です。
 「学校」という組織が、誰の権利を守る組織なのか?誰の学びの意欲を高める場所なのか?この主語を抜きに運営されてはたまらないというのが、子どもの本音だと思います。
 
 


 
 
「いい人」をやめると悪い人にならず、「正直な人」になる [2018年06月15日(Fri)]

大人は、明るく元気なこどもが望ましいと思っています。ハキハキ発言する、思慮深いこども。運動ができるこども。勉強ができるこども。
 いずれも、これは勝手な大人の願望にすぎません。こどもはどこまでも、これに答えると大人は喜びますが、自分はいつしか苦しくなります。それは本当の自分の姿ではないから。本当の自分は、やりたくないことはやらないし、自分自身の好奇心でしか動けないかもしれません。
 そもそも、自分で生きることが不安でしょうがないかもしれません。人間は非常に複雑です。だから、その複雑さをありのままに出しながら、こどもから生きることができたら、こどもは自分を偽らずに、正直に生きることができます。
 「いい人」をやめても決して悪い人にはなりませんので、どうぞ安心してください。
不安だから、それをエネルギーに変換できる [2018年03月19日(Mon)]

 将来について、不安しかないという大人がいます。生きてきて不安は実はつきものです。確実のものが、何も戦略や仕掛けもなく手に入るとしたら、それは逆にどうしてそんなに簡単に手に入るのか聞きたいくらいです。
 不登校=不利益という発想を持った子どもは、学校に行かないことがいかに恐怖で、不利益かを大人が植えつけています。私は、不利益も利益も不確実なものであることには変わりないと思います。実は大人になって、確実に予想できるものなんてないと思っています。
 自分が挑戦する価値があると思うものに、挑戦できる。むしろ挑戦することが楽しいと思います。不安をエネルギーに変えて欲しいですよね。

自分への必要なプレッシャーと不必要な焦り [2018年02月21日(Wed)]

平昌オリンピックも終盤戦に入ってきました。どの選手も、自分との戦いと記録に挑戦しています。自分と闘うということは、かなりメンタルの部分で負荷がかかります。自分が自分でなくなるような不安です。このプレッシャーをエネルギーにかえることができたら、自分でもすっきりとプレッシャーを消化してゆけるのだと思います。
 不登校のこどもにとっても同じことが起きています。学校に行かないというだけで、周りに合わせろというプレッシャーが生まれ、個人の目的は「メダルの獲得」があたりませになり。「頑張れ」を強制されるようになります。周りはみんないい人です。みんなが、羽生選手のように、プレッシャーを自己目標やエネルギーと変換できればいいですが、日本人の情の世界では、期待に応えることが無言の圧力にもなります。
 不登校のこどものオリンピック選手も、自分の人生を歩きたいだけなのだということをもっと理解してほしいと思います。自分の人生に挑戦する権利は、本人だけの特権です。周りが応援するのはいいです。しかし、お仕着せではいけない。押し着せられた人生に、幸せはありません。
 周りは、応援しつつ、一歩下がる努力がほしいです。その暖かさこそ、実は最大の応援だったりします。
受験の時期は、子どもよりも親が焦る [2018年02月01日(Thu)]

 3月に向けて、不登校は日々増えてゆきます。同時に、親の子どもの将来が見えないことに対する焦りもピークに達します。なんと、親というのは子どもに任せることが苦手な人たちなのか?私は、日々、この問題で発電できたら(心配力発電)日本は世界一かもしれないと思ってしまします。
 冗談はさておき。子どもの将来が見えない。しかし、これは子どものだけではなく、老人や私たちの将来も見えないのです。なぜ、子どもだけ?それも不登校の子どもだけピックアップして考えるのか?これは、周りの子どもと違う生き方だからとしか言いようがありません。周りと違う生き方をする子どもは、「不幸になる」という大人の定説があるような気がします。
 この国では「周りの子どもと違うから楽しみだ」ということを言う人は極端に少ないです。私は、正直もっと違うことを楽しめたら、不登校はこんなに苦しまなくてもいいのにと思ってしまいます。
「違うって素晴らしいじゃん」「平均じゃないって面白いよね」「いや〜〜〜自分が好きなこだわりがあるって素晴らしい」ため息をつく保護者を見るたびに、こんな会話が普通にならないかなと思います。違うからいいんだよって。
受験 [2018年01月12日(Fri)]

 明日からセンター試験がはじまります。
学生さんたちは、大問題だといいます。かつて受験して失敗の連鎖を経験したがわからいいますと、若いときでよかったなと思います。もしあの時失敗しなければつまらない人生を送っていたに違いないと。確信できる。しっぱいを怖がって生きることをつまらない時間だと思う。
 逆に、成功だけ考えていてもプロセスを楽しめない。いかにプロセスを作りだすのか?これこそが創造的な仕事だと思っている。受験さえも長い人生のプロセス。だから結果だけを求めないことが大事です。
 
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