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夏休みという天国を大事にしよう [2021年07月29日(Thu)]

学校にゆかない子どもにとって、学校が休みなんて関係がないと思うかもしれません。
どうせ学校にゆかないのだから、休みだろうが、試験をやっていようが関係ないだろうと思うかもしれません。

でも、学校のことは気になるのです。
不登校の子どもは、学校を気にしている。
それくらい学校は、まだまだ不登校の子どもに影響力があると思います。

だって学校は、社会と同じだから。

子どもは日本の社会が怖いんです。

それは、異質なものを受け入れないという怖さです。

積極的に反対もしないけれど受け入れない。

なんと不気味なことか・・・・。

受けれ入れらないと、多くの人はめげます。
不登校の子どもだってめげます。

めげてもいいから、夏休みは思い切り楽しんでほしいなあと思います。

楽しみまで奪われることは、誰も望んでいませんから。
争えば伸びるという幻想 [2018年12月20日(Thu)]

 とにかく、努力したり、頑張ることが好きな私たちの上の世代からの妄想に、私たちは悩まされています。努力をしてもそれはいつも続く事ではありません。特別なことは、特別の時間しか続きません。要は、努力しない時間で行なっている事が、成果なんだと思います。私たちは、日常の中に成果があります。
 日常をいかに楽しくするかが大事で、お祭りや、飲み会、花火に頼らなくてもいいような日々の毎日の送り方が大事のではないかなあと思います。私は、大して勤勉ではありませんが、今日も大勢の人に囲まれながら日々を過ごしています。
 誰かの思いをどこかでつなげられることが大事なんだと思います。終わりなき日常を楽しく生きてゆきたいと思うこの頃です。
不登校という「オーバーヒート」 [2018年07月04日(Wed)]

 ワールドカップサッカーも一段落。日本中が熱狂した2週間でした。
ここで、「頑張れば未来は開く」というような単純な議論が生まれなければいいなあと私は思います。4月からはじまった学校生活も7月になると、いろんな課題も出てきます。頑張ろうという気持ちがあっても頑張れないこともあります。人はそんなときに、不登校になります。気持ちは、頑張りたいけれど体がついてゆかない。
 心と体が逆を向いている状況ですよね。このまま走り続けると、確実に不登校になります。不登校は、学校ぎらいの子どもがなると思いがちですが。実は学校を一生懸命に好きになろうとする人が陥る状態です。
 車でいえば、冷却しないで走り過ぎて、エンジンがオーバーヒート状態になっていると思います。私たちは、子どもをしっかりと休ませ、状況を認識し、感情や思いを大事にした生き方、学び方にシフトチェンジする必要があります。いやそれだけで、人が元気になれますから。
 学校に行くだけでは、なかなか議論にもならないことを考えることで人は生き返ります。ただ走らせればいいのではなく、本人が何をしたいのか?自分の人生で何を実現したいのか?そんなことをしっかり育てることが大事なんですよ。
 逆に、それが育てばへこたれない、目的意識のある生き方が出来るようになります。「己の欲するところで」生きるわけですからね。

 
教育は、自分で考えることができたらそれが成果だと思う [2017年12月26日(Tue)]

年末で、白虎隊の再放送が行われています。私は、会津に住んでいますが、君主のために命を捨てる白虎隊を美しいと思ったことは、一度もありません。どれだけ自分を痛めつける事とがいいのか?自分を捨てるという事が美しい。その発想自体がいただけない。それを美談、という人の気もしれません。
 君主のためには命を差し出す事が美しいという思想は、まったくもって誤りでしかないと私は思います。誰が、他人のために命をさし出すのか?と。生きる事こそが教育です。自分で考ええられないように、上から知識だけを注入して、思考力を奪う事。命の危険を顧みない事を「男らしい」という事。いづれも嘘だと私は思います。
 いまでも、アフリカの内戦やイスラムの内戦で少年兵が、内面の葛藤やPTSDに苦しむ姿を見ると、白虎隊という少年兵が美しいとはとても思えないです。自分の事を自分が大切にできる。これは教育の成果だと私は思います。自分の命を粗末にするような教育を「美しい」という事はとても非人間的です。命はとことん惜しむことこそ大事だと私は思います、競争になんか負けたっていい。生きろといいたい。そして、どう生きるか自分の頭で考えろといいたいです。
 北朝鮮やアメリカの愛国主義、反イスラムの人たちにも同じ香りがします。自分を捨てる事が美しいという美談です。こんな地域に、未来を感じないなー。
部活動と学校教育は切り離さないと共倒れになります [2016年12月29日(Thu)]

中学校の先生は長期休みでも、学校へ行くのは、ほとんどが部活動の指導のためです。部活動はやらなければならない法的な根拠がある活動ではありません(課外活動)。
 学校の先生は、教科指導や生徒指導と同じ、それ以上に部活動に時間を割いています。中には、部活動が大事でそこに全力で時間をかけている先生もおります。子どもとのコミュニケーションよりも運動。教師自身の自己研鑽よりも部活動・・・。
 教師の多くは部活動よりも、教科指導をしたくて、子どもと向き合いたくて教師になったにもかかわらず、部活動に時間を割く教師がいい教師????という評価がされます。
 義務教育の不登校が12万人、認知したいじめ件数が高校まで合わせて22万5千件。10代の自殺が約300人。教師が向き合わな毛得ればならないのは、圧倒的にこの課題ではないでしょうか?
 部活動で運動をやりたい子どもは、地域のクラブチームなどにまかせ、教師から手離れさせないと、教師は多忙化で生徒も見れない状況がさらに悪化してゆきます。子どもの権利擁護、子どもの社会参画・・・。子どもの貧困への対応・・・。学校が、教師がやらなければならないことはたくさんあります。
 元気がいい子どもは、地域に任せても十分に育ちます。教師は自分しかできない仕事に十分に時間をさけるようにすべきだし、求められることに全力を挙げるべきです。教師が忙しすぎて、物を扱うようにしか子どもを扱えなくなってしまったとしたら・・・・。教師は、やめる以外に、精神の崩壊を防げなくなると思います。
織田信長は、大学受験をするのだろうか?? [2016年07月26日(Tue)]

暑いので十分に脳が働いていなくてすみません(先に謝ればすむという問題ではないかもしれないです)もし、織田信長が今の世に生きていれば、社会で身を立てようとして大学受験を行うだろうか?という疑問を自分にしてみました。(なんてバカなやつと思ってください)
 おそらく、大学に入って何かを勉強しなければ社会で活躍できないとしたらそんな、遠い道のりを歩むのでしょうか?私だったら面倒だと単純に思ってしまいます。面倒なことができればやるし、できないという選択肢もあります。
 全然話が変わりますが、明智光秀であれば喜んで受験をするかもしれませんけれどもね。
いわゆる学力競争に参加しない自由はないのでしょうか? [2016年04月12日(Tue)]

 わが子は、二人ともに学校に行ったりゆかない事をくりかえしています。学校に行かない事は子どもにとって不利益かもしれません。しかし、子どもは、目さきの利益で生きているわけでもありません。ただ、自分にとってどうしても嫌な事を無理にさせる事はいくら親や教師でも許されることでもありません。
 学校の勉強も同じ事です。競争ではない。競争させられるくらいなら勉強はしたくないという子どもがいてもおかしな事ではありません。教師や親から見て、利益になる事でも子どもが拒む権利を持っているという事を、大人はしっかりと理解する事が子どもの権利の擁護にもつながります。
 私たちは、子どもが学校にかよう事。高校や大学に進学する事。障がいがあっても学校に行く事は子どもにとっても、「利益」であるとして疑いません。ただ、私のところ(フリースクール)には、学校外の学びを選んだ子どもが来ているので、どの子も教育を受けるという点では、学ぶ権利は保障されていますが、学校外で学ぶ権利は保障されていないというのが実情です。
 私は、いわゆる点数を上げるだけの教育に参加しない自由は当然あると思っています。拒否する権利は子どもの側にあると。拒否された「学び」は、この学びを選択しない子どももいるという事をしっかりと認識してほしいとは思います。競争しない学びの選択もあるという事です。
 教育の選択の自由が子どもたちを楽にします。ひいては、子どものへの様々な思い入れからも自由にさせてくれるものと信じています。競争に参加しない子どもの自由を私たちは大事にしたいと思います。
 
 
桃じゃなくていいんです!! [2015年04月18日(Sat)]

「最近の若い奴はまとまりがない」とか「飲み会に参加しない」という親父たちのつぶやきが聞こえてきます。「だって楽しくないんだもん」と若い世代の声も聞こえてきます。「従業員は家族も同じ」という時代からずいぶん時間がたちました。
 同じ事を周りを見ながら足並みをそろえてやる事が窮屈と感じるのは私も同じです。私自身、若い時は飲み会が苦痛でお酌ができなくて、相当変な人だったと思います。みんなが同じ事をしようとするのを見るだけで、今も少しアレルギーをおこしていました。
 まとまるなんてできないけど、何か同じ方向を向いて楽しく過ごしているよね。こんな学びの場をつくりたいと私は思っています。誰かを仲間はずれにしたりするのではなく、お互いに尊重しながら違う事をする。こんな関係があればおもしろいな、と思います。
 桜の花が満開の時期に今年の楽しい計画を練っています。
競争しないで本当に勉強になるの?? [2014年07月24日(Thu)]

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この写真は、昨年のIDEC世界フリースクール大会に出席した時にとったものです。



今年は冷夏、エルニーニョ現象・・・・・・
などと言っていた自分が恥ずかしい。しっかり毎日天気がよいではないですか。今年の夏は暑いですよ。

私は、もうすぐ世界フリースクール大会(IDEC2014)に参加するために、韓国にゆきます。
今回の東日本大震災で、多くの子どものが被害を受けました。親との別離、家族の死。仮設住宅での暮らし。放射能から逃げる・・・・。これらは、まさに子どもたちにとっては青天の霹靂(へきれき)でした。私だったらこれを理由に、日本を脱出して学びの場を海外に移したかもしれません。

私たち日本人の中にはこんな時でも、勉強は大事という勤勉な心があります。
それは、将来の先行きが見えないから、不安であるからこそ人材育成が大事という事かもしれません。

 団塊の世代の人たちは、同級生の数も多く、大学も少なかったので受験競争を経験し、ものすごく勉強をしてきました。勉強=競争という価値観を持っている人も少なからずいます。

 
 かくいう私も、高校にはほとんど行かなかったくせに、大学受験をするための勉強をしました。これは合法的に4年間の社会に出なくても良い、執行猶予が欲しかったからですが・・・

私自身の受験生活は、まさに失敗の連続でした。少なくとも10の大学からは不合格と言われました。
しまいには、どうしたら大学に合格するのか・・・??と軽い精神的なノイローゼになった事を覚えています。

大学受験は、私にとって非常に残酷な、しかし、平等な「競争」であった言えます。ほとんど高校に通わなかった自分が、大学に入るために積み重ねた勉強は、ただひたむきな修行であったと・・・。
おそらく、これは昔の修験僧が行った「火渡り」の行に、近いようなものかもしれないと。

 私は、受験を経て30年あまり。フリースクールを主宰して15年あまりの経験から言えるのは、勉強は大事だけれども、自分の中で納得したり、考えたりする事がもっと大事であるという事です。誰かに言われたのではなく、自分で必要性を感じて行動する事が大切であると思います。

 大人になって私たちが向き合う事は、問いと答えを自分でつくり出しながら、人生を意義あるものにしてゆく事です。

私は教育において非難したり、叱責したり、競争したりする事はあまり意味がないという事に自信をふかめています。教育は自分のために行うものだから、自分との対話の連続です。自分の疑問をいかに連続的に解決してゆくのかで満足の度合いが変わります。

 多くの大人は、子どもが獰猛(どうもう)に闘っていると安心します。

 大人は、子どもがクラブ活動や運動、コンテストで人と争っているとうれしそうです。まるで、戦争中の「戦士」が今でも養成されているかのように・・・・・。日本人はいつの間にか「戦い」が好きであることを止めない民になってしまいました。

 ときどき、私も戦いに誘われるのですが「丁重にお断り」するようにしています。せっかく同じフィールドで学びをつくる事ができる「仲間」かも知れない人が、敵になってしまったらもったいないと思います。お互いに楽しい議論や、やり取りがそこになくなってしまいますからね。

 私は、依然として学ぶ事は大事で、学びをつうじて世界中がつながる重要性を大事にしたいとは思いますが、学びが「競争」であるという事については、大きな時代錯誤を感じています。

 戦国時代は、武力と軍略が大事。

 近代以降は富国強兵が大事。

 いまは、持続可能な社会が大事であると思います。


競争は、憎しみや挫折や優越感や悔しさを生みます。相手を叩きのめします。議論でも、相手をおとしめる事に終始します。これでは、楽しくない。つまらない、発展しません。

 
 私たちは、IDECで毎年議論を重ねているのは、学びをつうじて争いや差別をいかに超えるかです。
イスラエルの子どもが、アラブの子どもを理解し交流し、信頼し、親しむ事が次の戦争をなくす第一歩かもしれません。

 私は、韓国で中国や台湾の若者と議論し、ヨーロッパの普遍的な知恵と向き合う事が楽しみです。いかに交流し、信頼するかが今のアジアの危機を救うと思うからです。おそらく誰もが好きで競争をしないし、「戦士」である事を肯定もしないでしょう。みな周りの期待と要請に子どもたちが答えているだけなのだと思います。

 いつか来た道をくりかえさないために、私たちはひたすら交流し、考え続けたいと思います。