こどもは配慮しないからいい [2020年02月16日(Sun)]
遊びのプログラムのスタッフとして現場にいた時。どんぐり拾いを3歳の子どもとやっていた。小さな「どんぐり」で、人に踏まれて割れているものもあれば、お尻の部分が取れたものもあった。こどもからすれば不思議である。似ているようで似ていない。皮を剥けるのか?剝けないのかもわからない。
このわからなさを、不思議と言えることこそがとても大切だと私は思う。 最近は、遊びのプログラムに親がついてくることも多い。親は手を出したがる。子どもと一緒に遊びたがる。しかし、遊ぶには体も固すぎるし?感性も常識的すぎる。不思議だという力が弱すぎて、わかったふりをしてしまう。子どもの教育にとってこのわかったふりほど、頭に悪いものはない。疑問を持つから学び続けるのに、疑問を奪ってしまうから。 先の話に戻ると、私は硬いどんぐりの皮を剥きながら、不思議そうな顔をしている子どもに未来を感じていた。不思議を感じることができるからもっと先が見える。これを読んで「ポエムだ」と言い切る人は、人間の感性を信じていないかもしれない。感性のない人間と、私はあまり楽しく過ごせた記憶がない。 |