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子どもが、学び成長する権利 [2014年06月26日(Thu)]

 子どもの「学ぶ権利」を守ろうとはじめた「多様な学び支援法」http://aejapan.org/wp/
を実現する活動を行っている。「公教育」だけの学びに「公金」を支出する事に対して、果たして学びを公教育だけが規定していいのか?という疑問がオルタナティブ教育の側から出され、この運動にこたえたかたちで、フリースクール、シュタイナー教育やサドベリーのデモクラティック教育、ブラジル人学校等と連携して「多様な学び」は、子どもが学びを選択する活動であり、それを補償するのが多様な学び支援法であるという運動をしている。
 今年6月3日超党派で「フリースクール議連」が立ち上がり、与野党の区別なくこの法案の成立に多くの議員が支援してくれている。公教育がさまざまな課題をはらんでいる事は誰もいうことだが、教育の主体は誰なのかを明確にしない議論が実に多い。「子ども」なのか?「親」なのか?、「教師なのか?」
 われわれ、オルタナティブ教育の立場からすれば。「自分がどのような教育を受けるかは子ども本人が決めるものではないだろうか。」とずっと考えてきた。知識を学ぶのではなく、課題解決を学んでゆく事が子どもにはより具体的で必要な学びであろう。
 「いじめ」をとめるしくみ、家でも十分に学べるしくみ、不登校という「自分を守る権利」を選択を許すしくみ。多様な学びを支援する上で、「子どもの学習権を守れ」という大人が多い事に違和感を感じる。そもそも過去の日本の教育の中(戦前はもとより、戦後を通じても)で子どもの学習権はつくられてこないし、守られてもいない。私たちは、子どもの学習権を守るのではなく、あらたにつくる試みに着手したといった方が適切なのではないだろうか。
 子どもは、自分の権利や正当性に気がついた時に強くなれる。私は、権利をつくる運動に多くの子どもが参加できるようにしたい。その過程でこそ、子ども自身が自分の自尊心に気がつくと思うからだ。自分で勝ち取ってこそ権利であり、与えられたものは以外と活用されない。
 
 
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