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無差別殺人は、社会的弱者の構造の中に [2019年05月29日(Wed)]

5月28日朝におきた無差別の殺人事件は、子どもたちを預かる立場とても他人事とは思えない事件でした。何と言っていいかわかりません。この事件の加害者意図の背景はわかりません。まして、子供という弱者を狙った殺人については、強い怒りを感じるだけではなく、なんともいえない無力感も感じます。
 昨日、私の若者の自殺増加を危惧するSNSでの投稿に対して、書き込みがあ理ました。「死にたい奴は一人で死ね」というものでした。生まれてきて、本当に死にたい人などいないと、私は思っています。ただ、生きる力や肯定感を蓄えられなかった人がいると思います。この人たちが、何らかの挫折感を持って、生きながらにして、社会への復讐や絶望を感じているのだと思います。
 この悲しみや絶望を、私たちは深く理解することなしに、軽々に「警察官を学校に配備せよ」というような議論をするのは危険だと思います。私たちは、池田小学校の事件からもわかるように、絶対的に子どもを安全に通学させることなどはできません。だから、孤独や孤立をしている人を受け入れる。引き受けることが必要なのだと思います。
 おそらく、子どもの笑顔。温もりを感じていれば、このような行動に走ることはないと確信しています。私たちは無力化もしれませんが、社会が過剰に反応することの方がはるかに怖いと感じています。
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