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罪悪感の捨て方 [2019年05月06日(Mon)]

 いよいよ、「連休最後」の日です。
自分自身が経験した強烈な休みは、イスラエルでの経験です。金曜日 日没から土曜日の日没まで安息日でした。ユダヤ教では、安息日は大事な聖なる日。1週間に一度お正月があるような具合です。誰もがこの日は家族でともに集い、労働はしません。路面電車もバスも動きません。食料品店も全て閉まって、誠に徹底しています。
 日本人は、労働の前の準備として休む人が多いと思います。勉強の準備。仕事の準備。兼業農家は農作業をします。ユダヤ教に学べということもありませんが。もっと真剣に休んだほうがいいです。休みがあるから働けるのであって、働くために休みがあるわけではありません。
 勤勉な人は、休むことに罪悪感を覚えます。もしくは、休み明けのことを考えて憂鬱になります。学校の先生も休み下手。会社の上司も休み下手。休めない人は、休むと強烈な罪悪感を持ちます。だから一緒に休んで、罪悪感を軽減しようとしているのかもしれません。(俺だけじゃないよ症候群)。ここからが本題です。罪悪感をどう捨てるのか?ということです。休みは、何も考えない。家族や大事な人を思う時間にすることだと思います。部活動も会社の飲み会も共同作業も禁止。もし、休みを食べに来る人があったら無視していい(この法律をつくりたい)
 「休日維持法」
私たちが、徹底的に休むことができたら、この国は思考の転換ができて、「人間本位」の社会に近づきそうな気がします。この日本の中で「休む」ことを責める社会に問題があるというキャンペーンを行いたい。「さあ休もう」そして、「自分を粗末にするような罪悪感を捨てよう」休めば多少の罪悪は罪悪は許されるような社会にしたいです(笑)
 苦しい思いをしている、学生さん。積極的に休んでください! そして、自分を犠牲にしない生き方をまず学んでほしい。自己犠牲なんて、何も生まないですから。自分を大事する。それこそが休みです。さて、私はあしたからが本格的なoffになるようにしようかなあ。個人的なことですが、休みでもなんでも、他人に合わせることが私自身は非常に苦手です。
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