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悪意がなくても「いじめ」はおきる [2019年04月05日(Fri)]

 いじめの調査を見ていて感じるのは、「いじめ」は特定の悪意に基づいて行われると思われていることに気がつきます。先入観です。貧しい人はボロボロの服を着ていると同じくらいに、それは思い込みでしかありません。しかし、多くのいじめはそんなに極端でかつ悪質のものは少ないです。金品を脅し取るものや、死に至るような暴力はむしろ「まれ」です。
いじめようとも思わない、先生は生徒指導をしようと努力している。しかし「いじめ」はおきる。嫌な感情やストレスのはけ口が示されたりすれば、溜まったストレスは一気に流れます。嫌な感情、場合によっては本人の不安さえも怒りになることがあります。
 学校でのマネジメントは、不安を安心に変えてゆく本人へのアプローチの必要性なのです。関心に寄り添うということです。関心に寄り添い、そこに価値をみいだせば、解決の糸口が見えます。多くの先入観を排除しながら、真摯に子どもと向き合えるのかどうか?
 悪意のないいじめでも、子どもはきずつき、「絶望を感じる」ことを私たちは甘く見てはいけないし、ましてやそれを本人のせいにするなどは言語道断です。
タグ:いじめ
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