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不登校という選択 [2018年12月07日(Fri)]

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不登校は非常に消極的な生き方だと思われています。実際、残念ながら、物言わず、学校を去るこどもを異常視する視線を変えることはできません。どう言っても、異常だと思う人の価値観は変えられません。
 私は、不登校も選択だと思います。学校に行かない選択をするこどもがいるという事実です。問題なのは、この選択をするのが精神的に異常であるとか、容認できないという人たちです。こどもをいつまでも判断力のない未熟な存在だと思いたい大人が、たくさんいることに驚きもします。
 こどもは、自分の魂が殺されるのは叶わないと思うらしいです。学校に行くも地獄家にいるのも地獄。どうすればいいのかと途方にくれるこどもたち。私は、「むしろ学校に行かないことを選んだのです」と積極的に発言したほうが社会も理解しやすいのではないだろうかと思います。
 少なくとも、大人が思うよりもこどもには、何かを選ぶ目があるのだと信じて欲しい。正解を探すだけの学校に、あまり意味はありません。正解は、人生の中にあるのであり、正解かどうかよりも、今を幸せに生きるほうがいいと思って子供達は不登校になっています。こどもは、考えた末の不登校です。何も考えない大人が、他人の人生にとやかく口を挟むのは、いかがなものかなあ。
 こどもだからとバカにしちゃいけないと思います。人は、年齢で価値が決まるわけでも、学校で価値が決まるわけでもありません。
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