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公平と平等が人を傷つける [2018年12月06日(Thu)]

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 平等であるとか、公平ということは、私たちに大きな価値であると思ってきました。しかし、反面「平等にしなければならない」といわれることが同調圧力を生んでいることも事実です。
 同じであることが平等なのか?ではなく、機会が平等であることが大事なことだと思います。しかし、参加しない自由も認めないと息苦しさが不登校やその保護者を抑圧することがあります。
 学校の宿題をやらない。運動部に所属しない。髪の色が違う。制服を着ない。この自由を平等や公平の名前の下に、子どもたちは受け入れています。私たちはこれを、権利侵害とはあまり言いません。不登校の子どもが、本当に卒業アルバムに写真を載せたいのか?卒業証書を受け取りに行きたいのか?
 おそらく、NOだと思います。
なぜ、この気持ちをわかってもらえないのか?
学校は誰を大切にしたいのか?
何を大切にしたいのか?

 ここがわかれば、問題を整理をしやすいと思います。子どもにとって苦痛を与えることは学校にとっても目的ではないと思います。大事なのは、子どもの思いを支える学校であってほしいという事です。
 「学校」という組織が、誰の権利を守る組織なのか?誰の学びの意欲を高める場所なのか?この主語を抜きに運営されてはたまらないというのが、子どもの本音だと思います。
 
 


 
 
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