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教育は創りあうものなのに [2017年05月09日(Tue)]

 教育は、大人と子どもがつくり合うものだという実践を行っているので、一方的に受け身である事もないし、一方的に教える事も違和感がある。成果は、お互いの気づきであると思っている。自分の中に気づきがおきる事が学びだとすれば、子どもと学び合う事で、大人の中にも様々な気づきがおきなければ、その人は学んでいないという事になる。
 「学ぶ」という事を拒否した大人と向き合う子どもは「辛いのではないか」と勝手に想像してしまう。たとえて言えば、自分はもう学ばないのだから未熟な子どものアラ捜しで終わってしまい、それ自体が教育しているなどと錯覚してしまうからである。まさに「ひきょうな大人」が子どもの前に立ちはだかる事以上の不幸はない。
 権力とアラ探しで、子どもの方は本当に参ってしまう。もう、大人になんか金輪際なるものか?子どもなんか持つものか?といった具合である。気づけない大人は、どこか老化している。成長してゆく可能性を自らが否定しているかのようである。
 せっかく子どもと、学び合える仕事をしているのになんて不幸なんだと、私には感じてしまう。私たち、子どもとの学びをつくるスタッフも同様に可能性を否定する人とはとても仕事ができないし、アラ探ししかできない人とは、とても一緒に仕事ができない。

 
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