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教育を受ける事ができない、子どもの「卒業」 [2017年03月13日(Mon)]

今日は、福島県内の中学校はほぼ一斉の卒業式を迎えています。一つ一つの教育課程を終えて成長してゆく事は、とても素晴らしい事だと思います。反面、この3年間ほとんど学校に行けなかった子ども。いじめにあい登校できなかった子どももいます。全国で、年間12万人(義務教育年齢)いる不登校児童生徒のどの程度が、今年卒業してゆくのかわかりません。
 この卒業式に出る事ができない子どもがいる事を、多くの人は見逃しています。中には「可愛そうだからそっとしておきなさい」という人もいます。不登校の子どもに「気の毒になあ」という視線を向ける人はおおくあります。
 私は、長年不登校の子ども接していて可愛そうだと思った事は一度もありません。むしろ、これだけの子どもが教育を受けいないのに、国家や地方行政は無視し続けるのかと思っています。教育を受けたくなかったわけではありません。さまざまな要因から、学校で教育を受ける事ができなかった子どもに、「教育行政」こそがしっかりと向き合わなければならないのにと。じくじたる思いをしておりました。
 もっと、違う教育をつうじて本人を励ませないか?私たちフリースクールの教育の原点は、ここからはじまっています。教育関係者は、毎年このように大量の子どもたちに、教育の機会をつくれなかったことを痛みと感じ、その教育のあり方を試行錯誤しなければなりません。教育は儀礼と学歴の場だけに落ちていないか?その修行に耐えることのできない子どもをただふり落とし、「弱い子」というラベルを貼って終わりにしていないか?もっと卑怯なのは「哀れみの眼」をむけて我が身を省みることをやめてはいないか?
 今日、卒業式に出ることのできない子どもの気持ちを、しっかりと私たちはふまえたいと思います。
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