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当事者が語る自分研究 [2015年02月09日(Mon)]

2月7〜8日にかけて大阪で行われた「これからの子育て・教育を考えるセミナー」に参加しました。関西のオルタナティブ教育の実践者、研究者が一堂に介しての事例報告や実践研究報告は、なかなか聞き応えがありました。秀逸だったのは、教育から「逸脱した」不登校経験者による、フリースクール研究です。自分を的確に分析し、自分がいた場所としての不登校の頃、もしくはフリースクールという言語化できない場所の理解が確実に進みました。東京シューレ大学長畑洋、長井岳さんの「自分からはじまる研究」は、不登校の自分自身を「人間未満」として位置づけその意識がいかにつくられたかのかを体験の分析から明らかにしました。
 特に長井岳さんのパワーポイントは、自分の「こころ」がいかになえていったのか?自分が信じている自分と周りが期待する自分の乖離がわかりやすく説明されていました。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の吉森寛子さんは、「フリースクールにおける当事者と非当事者の役割についての一考察」を発表しました。元不登校経験者、それ以外のスタッフがフリースクールで果たす役割や認識の違いに言及し、あえて、フリースクール内部で許容されている多様性を「これまでフリースクールや不登校に関わりを持たなかった、関心のない非当事者」につないでゆく大切さを強調しています。
 フリースクール、オルタナティブな学びは、行政に教育の迷いが生じればそれだけ、関心を持たれてきました。いじめや不登校、ひきこもりの若者、多くの課題がいまだに教育の中に横たわっています。しかし、私たちは、他の人にわかりやすいように自分をひらく事ができずに、これまで苦しんできたように思います。それは、他者の理解やつながりを深める事にもつながりませんでした。自分たちの活動を伝える工夫をする余裕はありませんでした。目の目にいる子どもを大事にするあまり、活動を持続する事だけに時間を費やさざるをえないというところに、経営の弱さもあります。
 私は、当事者が、自分の声を言語化し広げてゆく試みがここまで広がった事に勇気をもらいました。若い人たちの試行錯誤を賞賛するとともに、自分のやるべき事もさらに明確になりました。IMG_1675.JPG
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