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«障がいを持った子どもと地域づくり(ネットワークオレンジ 小野美厚さん) | Main | 当事者が語る自分研究»
ダメで悪いのかな〜 [2014年12月15日(Mon)]

私たちの日常は、「評価する目線にいつもさらされている」ような気がします。
この事に気づかされたのは、
一人の若者の意見からでした。私のであった若者は、子どもの頃から評価する目線にずっと耐えてきました。どんな言葉を浴びせられても、鈍感に耐えてきました。彼は、本来鈍感な性格ではありません。生きるために、鈍感さを装ってきたのです。心を無にしてどんな屈辱にでも耐えようと。彼は、不登校でも、ひきこもりでもありません。
 自分をふりかえれば、私は天然の鈍感なこどもでした。評価されるのは「いつも背が大きいね。」「色白だね。」姉がいたので、その友達には可愛がられていました。つまりあまり自分を隠したり、虚勢をはる必要はなかった人生です。
 わが子も含め、子どもたちもいつも評価される視線におびえているような気がします。低い評価を受けにように気を使い過ぎています。むしろ、公教育はその怯えの中で、秩序を保っているのかもしれません。私のような鈍感な大人が、子どもや若者を「評価する」視線で見られる事は当事者ににとっては耐えられないのだと思います。この耐えられなさ、視線を避けたいという気持ちは、元ひきこもりの私には十二分に理解できます。
 「自分は評価に値しない人間」だとおもうから必死に努力するのだとしたら、なんとネガティブな努力なんだろうと思います。ひるがえって、自分を見ると、私はそのような視点を最近受ける事が多くなりました。それは、「優秀な若者たち」からです。彼らは、一流と呼ばれる大学を出ています。「このおっさんの仕事のしかたなんだろう〜」という視点をつきささるように感じます。
 「たしかに私の中に、さまざまな論理の飛躍や直感が渦巻いております・・・・。」「そんなに順序良く考えないんだよ」と言いたいです。

 若者たちにつらさは、このような評価なんだろうと思います。

私ぐらいのおっさんになれば、開き直り、ウソをつき、ごまかしまくりますが、若者にはそれができない。

ダメでいいのにな〜。ダメさに味がある大人になって欲しいのに。

 もしかして、世の中の親父たちはダメさをダークスーツで隠しているのかもしれません。

もしかして、それってせっかくのいいキャラクターなのにね。

 若者たちが気になる評価する視線からいかに自由になるか??


これは、うーん。他人の視線を変える事はできないから、自分が変わるしかない。評価をはね返すには、・・・・。みなさんに私にも知恵を下さい。




タグ:評価
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