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オリンピック選手は、感動を提供しなければならないのだろうか [2016年08月19日(Fri)]

オリンピックもいよいよ後半戦です。卓球も体操も大人気。おそらく、寝不足でみなさん一喜一憂していることとだと思います。たくさん感動されている人も多いとおもいます。私が気になるのは、選手たちのコメントです。「みなさんの期待に応えられなくて」というコメントをする選手が多くいます。場合によってはその期待は勝手な期待であり、勝手な応援である場合もあります。
 期待通りに生きるなんて、誰もができないことです。なぜなら期待は勝手だから。両親が涙しながら、期待を口にしてゆく。安堵をする。誰かの為の人生を生きることが、どこかでそれが強制されることが、すごく窮屈だと私は感じました。
 オリンピックの季節が終われば、選手たちの活躍も風化してゆきます。選手たちも自分たちの行き方は自分で決めなければならない時期が来るのだと思います。感動を収入にしているという意味では、スポーツ選手もプロだと思います。ただ、成果を求めることは、自分ができないことの代償のこういでもあると、私たちは理解しないと、大変なことを要求される若者やこどもが増えるような気がします。
 
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