• もっと見る

農山村から『未来』を学ぶ

これからの未来に必要な智恵は、今、消えようとしている農山村コミュニティにあります。それをどうやって伝えよう?
中山間地域集落の維持再生を支援する『NPOひろしまね』スタッフの森えりかのブログです。


勤労強化月間 [2008年02月09日(Sat)]


雪雲の切れ間に、突然広がったまぶしい青空
天へ昇る積乱雲、背景には雪の山なみ
厳冬の中国山地




わたくし事ですが、今月は勤労強化月間です。
お休みの日はまったくナシ、という状況、
特に今日から約2週間はノンストップで動きまくります。

年に何度かある『ヤマ場』にさしかかっています。
気を引き締めて…よーし、やるぞ!
できるだけ、実況報告していきたいと思います。




フォーラム『2030年 島根の未来を考える』


今日は昼過ぎまで別のNPOのお手伝いに出かけ、
その足で県民会館で開かれていた
フォーラム『2030年 島根の未来を考える』に参加。
島根県立大学を中心に進められてきた研究事業の
成果報告書発刊を記念してのフォーラムです。

中山間センターの藤山課長からの報告で、
里山再生プロジェクトと、ひろしまねの話も出ていました。

そのほか、地方再生や中山間地域振興の方策などをテーマに
大学の先生や行政の方からの発表とパネルディスカッションがありました。

いずれも社会状況の分析やそれを踏まえての政策提言といった内容で、
雰囲気はかなり硬め。どれも大筋納得&賛成できる論調なんだけど
そこはかとなく評論っぽい、一歩引いた冷めた感じが伝わってくるところが
虚しかったな…。

同じ未来を語るなら、「○○○しないと島根はダメになる!」的な脅しじゃなくて、
少々無理矢理でもいいからもっと夢のある、わくわくするようなネタを出してほしい。
「こりゃおもしろいっ!」って思えて、それがたくさんの人に伝われば、
きっと島根も世の中も、大きく変わるはず。
実際、ここにはそんなオモロイことがいっぱいあるのだから。


そのあと島根大学へ行き、教育学部の作野先生と打ち合わせ。
こちらも共同作成中の報告書が完成間近です。
激務をこなす先生の予定の合間を縫って、着々と…
期日に間に合うように、こちらもあと一息。ファイト!




歴史との出会い方 [2008年01月19日(Sat)]

「田舎だから出来るものづくり塾」
石見銀山見学の様子



最初に、世界遺産センターで中田さんから
石見銀山について基本事項のレクチャーを受ける。






車で銀鉱山が集中する『仙ノ山』の南斜面中腹へ移動。
ここは来春から新たに一般公開が予定されている
「大久保間歩」の入り口地点。
大正期に大規模に掘削された場所。
冬場はコウモリさんたちのねぐらになっているので
立ち入り不可なんですって。





迫力の精錬所跡。
左上の方が見えにくくなっていますが、
階段の奥に、戦国時代に掘られた巨大な岩盤が
ダイナミックに現れます。
この辺りには家屋跡も多数出土しており、
一大銀鉱山街が栄えていたそうです。
この山奥に、当時はどんな暮らしがあったのでしょうか・・・
想像力がかき立てられます。






「露天掘り」と呼ばれる、採掘跡。
岩と岩の間が裂けたように窪んでいます。
そこにかつて銀鉱脈があり、鉱夫が手掘りで掘り抜いた跡に
土や木の葉が溜まった状態になっています。
石見銀山の中でも最も古い採掘跡の一つ。






雪の残る寒い山道を歩き、阿部家に帰ってきたら、
登美さんがホカホカの小豆ぜんざいを作ってくれましたドキドキ小
ココロもカラダも、ほこほこ〜です。
いつも立ち振る舞いがとても綺麗で可愛らしい登美さんです。




財産となる時間 [2008年01月17日(Thu)]

石見銀山大森町 阿部家のお正月のしつらえ



12〜13日は、石見銀山へ行きました。
昨年末から大田市大森町の「石見銀山生活文化研究所」で開講されている『田舎だから出来るものづくり塾』(主催:中小企業基盤整備機構)に参加するためです。

「石見銀山生活文化研究所」は『群言堂』というブランドを全国に展開するアパレルメーカー。
小さな山間の村での丁寧な暮らしの美しさ、豊かさ、地域に生きる哲学・・・未来に活きる創造力溢れるヒントを発信し続けている、あこがれの会社です。
株式会社 石見銀山生活文化研究所
http://www.gungendo.co.jp/


講座は4回連続で、研究所所長の松場登美さんから、"田舎だから出来る"ものづくりの極意を教わります。



第2回講座の今回のゲストは『世間遺産放浪記』の著者で
写真家の藤田洋三さん。(左から2人目)
登美さんが暮らす『阿部家』は県の重文指定で築230年の
代官所役人遺宅です。
写真は、土蔵と棟続きに増築された書斎で講師を囲んで談話中。
右端が登美さん。





二日目午後の講師は、大田市世界遺産センターの技師
(学芸員的役職)の中田さん。銀鉱山遺跡をガイドしてもらったあと、
会場の土蔵に戻って、登美さんも加わり、
石見銀山の価値と課題に付いて議論。
大森はいま「世界遺産正念場」なのであります。





毎回恒例の、素朴で贅沢な夕食&懇親会。
講師、受講者、研究所社員も加わって、
滋味深い手料理・地酒に舌鼓。

研究所に集う人々はみな心優しく、強い信念を持ちながら
かつ、しなやかで力強い、味わい深い人間味に溢れる方々ばかり。
おいしい食事にたのしいお話、パワーを与えてくれる人との出会い・・・
そのすべてが心の隅々に染み渡り、自分が変わっていく瞬間を
感じられる、至福の時間です。




新年の。 [2008年01月08日(Tue)]



 新しい年!
 明けました!
 おめでとう。

 って
 遅いか。


 さて。
 「今年の抱負は・・・」
 と考えていて、ふと
  『抱負』
 という漢字が不思議になりました。

 『負け』を『抱く』・・・・
 いいなぁ。

 よし。
 今年の抱負は
 『たくさん負ける』
 にしよう。

 『負け』をいっぱい
 抱きしめよう。


 

 本年もどうぞ
 よろしくお願いします。


 もり



ゆく年くる年 [2007年12月27日(Thu)]
 


 たいへんご無沙汰しておりました、もりです。


 夏の終わり〜秋〜初冬にかけて、怒涛の仕事ラーッシュ!!
 


 で、
 気がつけば、もう今年も終わり・・・

 そんなうちにNPOの今年度分事業も、無事に8割方終わって、ホ〜ッ・・・
 
 でも、気を抜く暇もなく、次へつながる動きも、着々と始まっています。
 (来年はさらにパワーアーップ!しますよ〜音符
 


 で、
 また、ぼちぼち、ブログ書きます。
 (山陰の冬は、デスクワークが似合いますし) 
 
 遅くなってしまったけれど、
 充実した今年後半期の振り返りもかねて、
 少しずつ、もりの動きのご報告をしていこうと思います。
 


  写真:師走といってもやっぱり静かな口羽地区。
  日頃はのんびりムードのJA購買部だけは、年末特売でにわかに活気づいてました。
 
帰って、戻ってきた。 [2007年10月25日(Thu)]

都会に帰ってきました。私の生まれた街です。


人よりもイノシシやサルのほうが多い山奥にいつもいるもので、突然1週間も人ごみの中にいたら、さすがに疲労困憊・・・ それでも、たまに賑やかな都市にやってくるのは、刺激があって楽しいのも、事実。


以前は、
『日常は都会で、ときどき息抜きにイナカへ』
が理想だったけど、いつの間にか
『日常はイナカで、ときどきはしゃいで都会へ』
が自分のライフスタイルになっています。

地下鉄とか、満員電車とか、狭くて人いっぱいの地下街とか、
『大地震が来たらどうしよう』『大事故に遭うかもしれないな』
と無性に怖くなります。




先週から飼っている2頭の牛たちに早く会いたくて、急いで帰ってきました。

山の秘密に出会う旅 [2007年10月15日(Mon)]
10月7日、本年度三次市作木商工会と一緒にお仕事させていただいている『わかたの村さくぎ名人ツアー』の第1回が開催されました。

当日は好天に恵まれ、朝からハイテンションで動きました!

体験コースは
@ナバコギ(キノコ採り)体験(指導:牧原利浩名人)
A林業&循環型農業体験(指導:牧原勉名人)
B造園・剪定体験(指導:谷口尚名人)
C酪農&農産物加工体験(指導:橋本洋資名人)
の4コース。


私はスタッフの一人として、3人のお客さんと一緒に
A林業&循環型農業体験
に参加してきました。

林業体験は、名人の牧原さんについて普段素人は歩かない山道を行きます。


このあたりには、たたら製鉄のために造られた樋などの遺構がありました。



栗の木を説明中。
腐りにくい栗材は家の土台部分によく使われること、などなど。





そして、今回のツアーのクライマックス!!



『奥山のケヤキの大木』!!
息を呑むほどのモノスゴイ存在感です!!




あああ・・・ステキドキドキ小





午後はもち米の稲刈り&ハデ干しをしました。

名人の牧原さん(左一人目)、林業一筋50年!スゴイッす。
壮大なスケールで自然との共生を本気で考え、実践しています。

ありがとうございました!
歴史を物語る生物 [2007年07月12日(Thu)]
 現代では若者がすっかり都会へ出てしまい、過疎が深刻化している中国地方の農山村ですが、昭和40年代の中ごろまでは、この地域にも多くの人が住んでいました。
 
 江戸から明治、大正までは、名だたる「『鉄』の産地」として。そのあとは燃料の主流だった「『炭』の産地」として。また、「『絹』の産地」としても大変栄えたところです。

 養蚕は、戦後の高度経済成長期以前まで各村々で盛んに行われていました。現在でも点々と残る蚕さんを飼っていた建物は、独特の構造をしているのでわかります。当時のことを知る老人に聞くと、今は跡形もなく木々の生い茂る山も、むかしは一面桑畑だったとか。

ときどきその名残と思われる立派な桑の木を見かけることがあります。



ひろしまねのある日の企画会議
おやつは桑の実
再出発。 [2007年06月09日(Sat)]
長いこと更新しないままになっていたブログ。
今日からまた、再開しようと思います。

身のまわりの出来事、アタマの中の幻想・妄想、
お知らせ、報告、疑問、意見、発見、提案、宣言・・・?

農山村の再生を夢見つつ、
コミュニティ・プロデュースの修行に励む
モリエリカの日々を、少しずつご紹介します。笑い