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松の力 (01/19)
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廃食油で世界一周! [2010年10月18日(Mon)]
ビリンバウの丸山祐一郎さんから、「てんぷら油を再生したバイオ燃料で世界を走っているスゴイ人がいるから是非会うとイイヨ」と話しを伺っていた山田周生さんとお目にかかりました。

25歳の時にバイクでサハラを単独縦断、そのまま約2年間、世界放浪の旅を続け、これを皮切りに、現在まで地球50周ほどの距離を旅されているバイオディーゼルアドベンチャー&フォトジャーナリスト。
廃食油のみで既に世界一周され、現在は日本一周中です。
COP10目指し祝島から歩いている人たちと名古屋で合流された山田さんと、運よくお目にかかる機会が持てました。



「玉虫色の車で、夜はLEDランプが点いて、まるで映画のBack to the Futureみたい!」と伺っていましたが、本当にスゴイ!の一言でした。







愛車のランドクルーザーに自作の廃食油精製装置を積み、天ぷら油等廃食油をバイオディーゼル燃料にして世界一周され、現在日本一周中。
いわばガソリンスタンドを積んで走っているようなものです。行った先々で、廃食油を頂いては地球を走っておられます。




サハラ砂漠や、アフリカ、アマゾンの密林等、普通ではガソリンスタンドがないので走れないような所でも、自作の燃料があるので、いろいろな所へ行く企画を頼まれるとのことに、なるほど!でした。


潟qカリの平井社長さんは、60歳を超えて、A級ライセンスを取られ、長年の夢のレーサーデビューされた方なので、山田さんの話に、目がキラキラ。話が尽きません。

夜、いろいろお話を伺うことができました。
何千キロも砂漠が続き、前後左右すべて砂の中にいても、ある時、自分が風であり、空気であり、砂粒になり、進むべき道筋が1本見えるそうです。あとはその道を進むだけ。

そんな圧倒的な大自然の中で会得されたことは、「受け入れること、感謝すること、赦すこと」とのこと。
すべてが有難いことばかりで、たとえ失敗したり、馬鹿なことをしても、失敗できるのも命があるからだし、失敗できることも有難いこと、神様は失敗できない、人間だからできることといったお話、都会にいてもバイクの乗ると、自然を感じるスイッチが入ること等々素晴らしいお話ばかりでした。
中でも、問題の答えはすぐ近くにあり、難しい問題ほど足元に答えがあるとの言葉に、仏教でも脚下照顧と言い、ヨガでも今、ここに集中することの大切さを言われていることと同じなのだと深く頷くものがありました。

大自然と会話しながら生きておいでの人は、自然そのものになってゆかれるものと思いました。その経歴からもっと激しい方を想像していましたが、とても静かで、穏やかな方で、やはり極めた人は違うものと感じ入りました。

翌日は、レストランにんじんさんで昼食。
伊勢戸さんも大喜び。今度は、この辺をぜひ走って、とラブコール。

素晴らしいお話で、私たちだけで伺うのは勿体なく思われ、沢山の人に聞いて頂きたいと思いました。次、名古屋界隈に起こしになる時は、講演会を、と念じています。

嬉しかったのは、油を扱っているので、汚れが落ちなくて困っていると伺い、Dr.BIOをちょっと試したらきれいになったので差し上げました。
翌日頂いたメールに、「廃油を扱うので、車も人もいつも油まみれになってしまうのですが、つけておいておいたところはみるみるベタつきが落ちました。やはりバイオにはバイオくん!」とメールが入りました。バンザァ〜イ!です。

バイオ燃料もすごいし、バイオ君もエライ!



ほめ言葉のシャワー [2010年02月02日(Tue)]
ほめ言葉のシャワー」がNHKのクローズアップ現代に取り上げられました。

1月26日の放送され、その3日後、御講演される為名古屋に来られた水野スウさんとお目にかかれました。

7年前のべてらーず市場でお目にかかって以来でした。スウさんとは、「幸せ気分」の笹田雪絵ちゃんとのご縁でした。
通信のみのやりとりで、やっとお目にかかれたのですが、主催者でしたから、「初めまして、ようこそ」という程度で、今回初めてゆっくりお話できました。

紅茶の時間」という出会いの場を、ご自宅を開放して30年近く続けてこられ、そのお仲間と
原発について勉強会をひかられたり、コンサートをしたりとさまざまな活動をしておられます。

「ほめ言葉のシャワー」は、これまでやってこられたワークショップで、参加された人から生まれた言葉をまとめられた本です。その中に、こんなことが書かれています。

「あなたに、お聞きしますね。あなたが言ってもらいたいほめ言葉は、なんですか。
ふつう“ほめ言葉”というと、あなたのすてきなところを認めてくれる言葉のこと。 でもそれ以外に、こんなふうに言ってもらうとうれしい、って意味もあると思います。 今日は、ほめ言葉を『言ってもらえたらうれしくなる言葉』とうけとめて、ちょっと考えてみてください    」


お世辞と混同したり、人を思うようにコントロールする道具として利用しがちだったり、ほめるって、簡単なようで、とても難しいです。

ほめシャワーの本の中に、かわいいミニ封筒がついていて、中に、自分に贈りたい言葉は何ですか。という問いかけがあります。
それを見て、考え込んでしまいました。
私が私に贈りたい言葉・・・・。すごい内観だなぁと思いました。

ワークでも、さぁ、書いて下さい。という声に、誰かにかける言葉を書こうとされるそうです。
自分に贈りたい言葉が見つかると、贈りたい誰かにピッタリな言葉も見つかるような気がします。

クローズアップ現代での放送途中から問い合わせ電話やメールが入り始め、あっという間に
1000件を超えるご注文が入ったそうです。
スウさんと関西にお住まいのお嬢さんのまいさんのお二人では、とても大変な数ですので、エコ・ブランチで少し発送代行させて頂くことになりました。

少しでも早く、待っておいでのお客様にお届けするために、いろいろなやりとりをする中で、
これって協働だなぁと思いました。
いろいろな人と協働して、良い品がひろがってゆくことを願っていますが、そのために仕組みを作らなければ、と思っていましたけれど、今回、ごく自然に一緒に仕事をしている状況に、
同じ方向を向いている人との協働の喜びを感じています。

これが、一段落したら、スウさんに名古屋でお話とほめシャワーのワークショップをして頂くことになりました。気持と言葉をとても大切にされておいでのスウさんの集いが今からとても楽しみです。


幸せ気分 誕生記 [2009年04月03日(Fri)]
山元加津子さんのドキュメンタリー映画「1/4の奇跡〜ほんとうのことだから〜」は、山元加津子さんと、MSだった笹田雪絵ちゃんの約束を伝えています。

幸せ気分」出版のお手伝いをした時それこそ、お金もない、経験もない中で、とにかく雪絵ちゃんの目が見える間に本にしたくて自費出版しました。
雪絵ちゃんは、本屋さんに並ばなくて読んでもらえるかしら、と心配されていましたが、必ず広まると思っていましたので、少なくとも1万冊になるまで続けるからと約束しました。

今、7刷(7000冊目)を印刷中です。

本屋さんにも、どこにも並んでいなくて、山元加津子さんの講演会と、口コミでここまできました。雪絵ちゃんは、2003年に天に帰られましたけれど、映画ができてから本のお問合せが増え、この1年ちょっとで7刷に入れました。

本を創るお手伝いをしようと、雪絵ちゃんに会いに小松へ向かった日が、ついこの前のような気がします。

本を創った時書いた誕生記です。1998年もバブル崩壊して大不況でした。今はあの頃を上回るすごい状況です。だからこそ、心に目を向け、つながること、生き方を模索することの大切さを思う人増え、1/4の奇跡も 多くの人の心に届いているのだと思います。


   
                    「幸せ気分 誕生記」


この本は多くの人の想いと協力で生まれました。“ないないづくし”の中少しづつ力を寄せ合うことで誕生した、現代のおとぎ話のような気がしています。

雪絵ちゃんこと笹田雪絵さんの文章と出会ったのは今年の春のこと、養護学校教諭山元加津子さんの“たんぽぽの仲間たち”というホームページを通じてでした。「雪絵ちゃんの文章を本にして下さる方を探しています」という一文を見て、掲載されていた文章を一読して釘付けになりました。

14歳のときMS(多発性硬化症)という難病にかかり27歳の現在迄入退院を繰り替えしている女性とは、とても信じられませんでした。思わず「心当たりの人にたずねてみます」とメールを出したことから本創りが始まりました。

4月初旬、山元先生と雪絵ちゃんに会いに小松へ向かいました。
全てを好きでいたいという強い意志と、考え深さ等からきているのかもしれませんが、やわらかな明るさに感動という一言で片づけられない衝撃を受けました。病気を武器にせず逃げないでまっすぐ見つめておいでの様子に励まされ、山元先生が「雪絵ちゃんは私の勇気です。」と言われる訳が分ったような気がしました。

雪絵ちゃんの本を創ることは、このところの不景気と閉塞感の中で行き暮れているような気分の多くの人への勇気にもなるのではと思えました。

新しい書き下ろしの文章も届きそろそろというある日、雪絵ちゃんから「今は大丈夫ですが、8月末にちょっと目が見えなくなって」との電話が入りました。行き違いなどから当初予定していた形では出版できず、本作りなどした事もないのが、資金集めから考えることになり途方に暮れましたが、なんとか早く本にしたいと印刷会社の友人に相談したところ、入力してあれば数十万円安くできるとのことに、山元先生が入力は得意だからと引き受けて下さり百編程の文章のあらかたをアッという間に入力されました。

他に加賀、岐阜、名古屋の友人たちにも数編づつ入力を引受けてもらい驚くほど早く入力原稿が揃いました。資金は3分の1に近いような額の本を予約して下さった方や、カンパして下さった方に励まされ、何とかなるに違いないとの想いで動き始めました。

編集の相談にのってくれた友人、少しでも安く、早く、ステキな本にしようと親身になって引き受けて下さった企画や、デザイナーの方のお陰で一ヶ月半ほどで雪絵ちゃんの本が生まれました。
みんなの想いと力で生まれた本です。雪絵ちゃんの文章にもありますが、協力
る心が奇跡を生むのだと思いました。
                                      1998年発行人 鶴田紀子