どこまでやれば「健全」か?
[2008年05月20日(Tue)]
5月20日、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)の基準策定委員会が開催されました。今話題の、違法有害情報から青少年を守る動き:民間自主規制バージョンです。
現在の携帯フィルタリングのうち「ブラックリスト方式」と言われるものは、サイトを(ネットスターという会社が)カテゴリー分類した上で、各通信事業者が、カテゴリー単位で「見せる・見せない」を決める、という方法を採っています。「見せない」カテゴリーに分類された場合は、全く問題ないサイトでもフィルタリングにかかって見えなくなってしまうのです。そこで、ブラック・カテゴリーの中から、「見せても問題ない」サイトを個別に救い出してフィルタリングの対象から外そう、ということで、「問題ないかどうか」を判断する第三者機関としてEMAが設立されました。
この、「問題ないかどうか」を判断するための基準を決めるのが、今回私が参加させていただいた基準策定委員会です。成り行きで副委員長をお引き受けしてしまったものの、若干(いや、かなり)荷が重いです。マーク制度や格付けと異なり、サイト運営事業者にとっては、OKと判断されない限り、青少年がアクセスできなくなる=ユーザが大幅に減る=広告価値が下がる=収益基盤を失う という、とてつもない損失が約束されてしまう訳ですから。
青少年の安全が脅かされる状態を放置することはできないとしても、これは相当、乱暴な対応策のように思います。青少年保護のあり方にはもちろん様々な議論があり、その実現方法についても、教育や技術開発など、やるべきことは他にもたくさんあります。その中で、有望と考えられているフィルタリングの「網の目が粗過ぎる」という副作用をなんとかして、より有効な保護策として機能するようにしよう、ということだと理解しています。
最も問題が先鋭化しているコミュニティサイト(ブログやSNS、動画投稿などの表現系サイト)については、EMA設立前の準備段階から、WGにおいて基準作成の議論が進んでおり、既に相当細かい案ができています。初回の今回は、その成果をご説明いただきました。まだ検討途上のものですので、詳しい内容のご紹介や、個別論点についてのコメントは差し控えますが、この検討の過程で、現在起こっている問題を知り尽くし、現場で対応してきた事業者の「知恵とノウハウ」が可視化され、共通化されてきたという点に、かなり意義があるのではないかと思います。相対立する価値(典型的には、犯罪対策vs.個人情報保護)をどうバランスしていくかという問題の深堀りや、市場全体の底上げという意味でも、透明に議論を行うことで、より有益なものにできる、と感じた次第です。
現在の携帯フィルタリングのうち「ブラックリスト方式」と言われるものは、サイトを(ネットスターという会社が)カテゴリー分類した上で、各通信事業者が、カテゴリー単位で「見せる・見せない」を決める、という方法を採っています。「見せない」カテゴリーに分類された場合は、全く問題ないサイトでもフィルタリングにかかって見えなくなってしまうのです。そこで、ブラック・カテゴリーの中から、「見せても問題ない」サイトを個別に救い出してフィルタリングの対象から外そう、ということで、「問題ないかどうか」を判断する第三者機関としてEMAが設立されました。
この、「問題ないかどうか」を判断するための基準を決めるのが、今回私が参加させていただいた基準策定委員会です。成り行きで副委員長をお引き受けしてしまったものの、若干(いや、かなり)荷が重いです。マーク制度や格付けと異なり、サイト運営事業者にとっては、OKと判断されない限り、青少年がアクセスできなくなる=ユーザが大幅に減る=広告価値が下がる=収益基盤を失う という、とてつもない損失が約束されてしまう訳ですから。
青少年の安全が脅かされる状態を放置することはできないとしても、これは相当、乱暴な対応策のように思います。青少年保護のあり方にはもちろん様々な議論があり、その実現方法についても、教育や技術開発など、やるべきことは他にもたくさんあります。その中で、有望と考えられているフィルタリングの「網の目が粗過ぎる」という副作用をなんとかして、より有効な保護策として機能するようにしよう、ということだと理解しています。
最も問題が先鋭化しているコミュニティサイト(ブログやSNS、動画投稿などの表現系サイト)については、EMA設立前の準備段階から、WGにおいて基準作成の議論が進んでおり、既に相当細かい案ができています。初回の今回は、その成果をご説明いただきました。まだ検討途上のものですので、詳しい内容のご紹介や、個別論点についてのコメントは差し控えますが、この検討の過程で、現在起こっている問題を知り尽くし、現場で対応してきた事業者の「知恵とノウハウ」が可視化され、共通化されてきたという点に、かなり意義があるのではないかと思います。相対立する価値(典型的には、犯罪対策vs.個人情報保護)をどうバランスしていくかという問題の深堀りや、市場全体の底上げという意味でも、透明に議論を行うことで、より有益なものにできる、と感じた次第です。