女優 音無美紀子さんのうつ病闘病記(読売新聞)
[2008年01月28日(Mon)]
からだの病気に伴ったうつ病はたいへん多い。
その中には自死を考える方がおられるのも当然である。
音無美紀子さんのようによく知られた方の
以下のようなインタビュー記事は、
たいへん重みと力がある。
がんばっているひとにこそ、
「降参、という生き方を」
「気持ちいい時間、ホッとする時間を作って
人生を豊かに」
といったメッセージが届くといいなと思う。
以下、引用
*****************
2008(平成20)年01月07日(月)
読売新聞
ホーム>医療と介護>医療>一病息災

女優 音無美紀子さん(58)
「うつ」(1)手術後に募った不安
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20080107-OYT8T00201.htm
1988年、東京都内の大学病院で乳がんと診断され、
左の乳房と周囲のリンパ節を切除する手術を受けた。
「手術後は、一刻も早く左腕を動かせるようリハビリに励み、
前向きな気持ちでした。でも、退院すると、予想外の不満や不安が
たまってしまって……」
左胸の傷をかばうため、幼稚園児の長女と保育園児の長男を
抱きしめられない。翌89年1月に始めた抗がん剤治療の点滴が
漏れ、腕がどす黒く変色、2か月たっても色が消えない。
不信感もあって点滴をやめたが、今度は再発の不安に襲われた。
そして4月。新しいドラマの衣装合わせで、監督が選んだ服に
たじろいだ。胸元が大きく開いていたのだ。乳がん手術のことは
隠し通している。
「私はこういう服が好き」
と別の服を選ぶと、監督は却下した。
衣装はなんとか決まったが、今度は、出演者全員で台本を読む
「本読み」の時、気持ちの動揺から声が出ない。
結局、ドラマは降板させてもらった。撮影が始まる前日のことだ。
「してはいけないことをしてしまった、
『精神状態がおかしい』とマスコミにばれるのでは?――と、
どんどんふさぎ込んでしまったんです」
(2008年1月7日 読売新聞)
●
2008(平成20)年01月14日(月)
読売新聞
ホーム>医療と介護>医療>一病息災
女優 音無美紀子さん(58)
「うつ」(2)死考えた陸橋の上
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20080114-OYT8T00199.htm
ドラマを降板して以来、家にひきこもりがちになった。
「元気と明るさがとりえだったのに、眠れず、食欲もなく、
何もかもが楽しくない。やる気もなくなってしまったんです」
スーパーへ買い物に行っても、献立が思い浮かばない。
食料品売り場を一周して、かごの中が空っぽ、ということも
よくあった。姉や妹、友人たちが度々、元気づけようと家に来てくれた。
にぎやかに笑うのを見て、
「なんで笑えるんだろう……」
と、ますます落ち込んだ。
料理は好きなのに、小学1年になった長女の運動会でも
弁当を作れない。前日の夕、夫(俳優の村井国夫さん)が
弁当箱に詰めるいなりずしとのり巻きを買ってきた。
娘がかわいそうで涙がポロポロこぼれた。
夫から精神科受診を勧められたが、拒んだ。
当時はうつ病の知識もなく、
「医師には治せない」
と思い込んでいた。
やがて考えるようになったのが、「死」。
幼い長男と陸橋の上を歩き、
「この子と飛び込もうか」
と考えたこともある。
「生きていても仕方がない。何も考えなくていい
世界に行きたい――。そんな思いにとらわれ、
地獄をはいずり回っているような毎日でした」
(2008年1月14日 読売新聞)
●
2008(平成20)年01月21日(月)
読売新聞
ホーム>医療と介護>医療>一病息災
女優 音無美紀子さん(58)
「うつ」(3)7歳の娘と二人三脚
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20080121-OYT8T00313.htm
うつ状態になって数か月が過ぎた夏休み。車を運転していた時、
助手席の小学1年生の娘に突然こう言われた。
「ママ……ママは、どうして笑わないの?」
ドキッとして、とっさには返事ができなかった。
「○○ちゃんのママはいつも笑っていて、かわいい」
とも言われた。
「まだ7年しか生きていない子が、自分のせいで小さな胸を
痛めている。『これは何とかしなきゃ』と思いましたね」
鏡を見るのは嫌いだったが、以来、鏡の前で笑顔を作る練習をした。
ウソでもいいから笑顔を見せたい。もう、子どもを悲しませたく
なかった。
夏休み中、自分のうつのせいで娘はどこにも出かけられず、
絵日記に描く題材が見つけられなかった。娘に聞くと、
「一緒に料理したい」
と言う。
戸惑いながらも、目玉焼きを作ることにした。
フライパンが重い。油を引き、卵を割って落とす。
「うわあ、できたね」。
子ども以上にはしゃいでいた。
「次はご飯をたいて、おにぎりを作り、その次は
子どもたちと水鉄砲で遊びました。毎日、少しずつ
小さなことに挑戦し、『やればできるんだ』と
自信がついていったんです」
(2008年1月21日 読売新聞)
●
2008(平成20)年01月28日(月)
読売新聞
ホーム>医療と介護>医療>一病息災
女優 音無美紀子さん(58)
「うつ」(4)ホッとする時間大事
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20080128-OYT8T00180.htm
家事を1つ1つこなしていくことで、うつ症状は少しずつ消えた。
夏休みが終わるころには、すっかり元気を取り戻した。
「いつも見守ってくれた夫(俳優の村井国夫さん)
の存在も、とても大きかった」
「死にたい」
と訴えていたころ、布団の中で夫が手を握り、
朝まで話をしてくれた。
「何もしなくていいから、僕のそばで子どもたちを
一緒に見守ってほしい」。
温かい涙があふれた。
「うつになったのは、頑張り過ぎて、つらさを打ち明けない
私の性格にも原因があったのかもしれません。今でも
『頑張らなきゃ』って言うと、夫は
『頑張らなくていいから。(またうつになるかと)
ゾッとする』『降参、と言う勇気を持ちなさい』って
諭されるんですよ」
あれ以来、うつにはなっていない。女優と主婦業で
どんなに忙しくても、編み物、タップダンス、料理と
いった趣味の教室に通い、楽しんでいる。
「主婦は家だけにいると逃げ場がありませんから、
気持ちよくなる時間、ホッとする時間を作ることが大事。
その方がきっと人生が豊かになりますよ」
(文・山口博弥、写真・関口寛人)
(次は俳優宍戸錠さんの長女しえさんです)
(2008年1月28日 読売新聞)
*****************
以上、引用終わり
その中には自死を考える方がおられるのも当然である。
音無美紀子さんのようによく知られた方の
以下のようなインタビュー記事は、
たいへん重みと力がある。
がんばっているひとにこそ、
「降参、という生き方を」
「気持ちいい時間、ホッとする時間を作って
人生を豊かに」
といったメッセージが届くといいなと思う。
以下、引用
*****************
2008(平成20)年01月07日(月)
読売新聞
ホーム>医療と介護>医療>一病息災

女優 音無美紀子さん(58)
「うつ」(1)手術後に募った不安
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20080107-OYT8T00201.htm
1988年、東京都内の大学病院で乳がんと診断され、
左の乳房と周囲のリンパ節を切除する手術を受けた。
「手術後は、一刻も早く左腕を動かせるようリハビリに励み、
前向きな気持ちでした。でも、退院すると、予想外の不満や不安が
たまってしまって……」
左胸の傷をかばうため、幼稚園児の長女と保育園児の長男を
抱きしめられない。翌89年1月に始めた抗がん剤治療の点滴が
漏れ、腕がどす黒く変色、2か月たっても色が消えない。
不信感もあって点滴をやめたが、今度は再発の不安に襲われた。
そして4月。新しいドラマの衣装合わせで、監督が選んだ服に
たじろいだ。胸元が大きく開いていたのだ。乳がん手術のことは
隠し通している。
「私はこういう服が好き」
と別の服を選ぶと、監督は却下した。
衣装はなんとか決まったが、今度は、出演者全員で台本を読む
「本読み」の時、気持ちの動揺から声が出ない。
結局、ドラマは降板させてもらった。撮影が始まる前日のことだ。
「してはいけないことをしてしまった、
『精神状態がおかしい』とマスコミにばれるのでは?――と、
どんどんふさぎ込んでしまったんです」
(2008年1月7日 読売新聞)
●
2008(平成20)年01月14日(月)
読売新聞
ホーム>医療と介護>医療>一病息災
女優 音無美紀子さん(58)
「うつ」(2)死考えた陸橋の上
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20080114-OYT8T00199.htm
ドラマを降板して以来、家にひきこもりがちになった。
「元気と明るさがとりえだったのに、眠れず、食欲もなく、
何もかもが楽しくない。やる気もなくなってしまったんです」
スーパーへ買い物に行っても、献立が思い浮かばない。
食料品売り場を一周して、かごの中が空っぽ、ということも
よくあった。姉や妹、友人たちが度々、元気づけようと家に来てくれた。
にぎやかに笑うのを見て、
「なんで笑えるんだろう……」
と、ますます落ち込んだ。
料理は好きなのに、小学1年になった長女の運動会でも
弁当を作れない。前日の夕、夫(俳優の村井国夫さん)が
弁当箱に詰めるいなりずしとのり巻きを買ってきた。
娘がかわいそうで涙がポロポロこぼれた。
夫から精神科受診を勧められたが、拒んだ。
当時はうつ病の知識もなく、
「医師には治せない」
と思い込んでいた。
やがて考えるようになったのが、「死」。
幼い長男と陸橋の上を歩き、
「この子と飛び込もうか」
と考えたこともある。
「生きていても仕方がない。何も考えなくていい
世界に行きたい――。そんな思いにとらわれ、
地獄をはいずり回っているような毎日でした」
(2008年1月14日 読売新聞)
●
2008(平成20)年01月21日(月)
読売新聞
ホーム>医療と介護>医療>一病息災
女優 音無美紀子さん(58)
「うつ」(3)7歳の娘と二人三脚
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20080121-OYT8T00313.htm
うつ状態になって数か月が過ぎた夏休み。車を運転していた時、
助手席の小学1年生の娘に突然こう言われた。
「ママ……ママは、どうして笑わないの?」
ドキッとして、とっさには返事ができなかった。
「○○ちゃんのママはいつも笑っていて、かわいい」
とも言われた。
「まだ7年しか生きていない子が、自分のせいで小さな胸を
痛めている。『これは何とかしなきゃ』と思いましたね」
鏡を見るのは嫌いだったが、以来、鏡の前で笑顔を作る練習をした。
ウソでもいいから笑顔を見せたい。もう、子どもを悲しませたく
なかった。
夏休み中、自分のうつのせいで娘はどこにも出かけられず、
絵日記に描く題材が見つけられなかった。娘に聞くと、
「一緒に料理したい」
と言う。
戸惑いながらも、目玉焼きを作ることにした。
フライパンが重い。油を引き、卵を割って落とす。
「うわあ、できたね」。
子ども以上にはしゃいでいた。
「次はご飯をたいて、おにぎりを作り、その次は
子どもたちと水鉄砲で遊びました。毎日、少しずつ
小さなことに挑戦し、『やればできるんだ』と
自信がついていったんです」
(2008年1月21日 読売新聞)
●
2008(平成20)年01月28日(月)
読売新聞
ホーム>医療と介護>医療>一病息災
女優 音無美紀子さん(58)
「うつ」(4)ホッとする時間大事
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/sokusai/20080128-OYT8T00180.htm
家事を1つ1つこなしていくことで、うつ症状は少しずつ消えた。
夏休みが終わるころには、すっかり元気を取り戻した。
「いつも見守ってくれた夫(俳優の村井国夫さん)
の存在も、とても大きかった」
「死にたい」
と訴えていたころ、布団の中で夫が手を握り、
朝まで話をしてくれた。
「何もしなくていいから、僕のそばで子どもたちを
一緒に見守ってほしい」。
温かい涙があふれた。
「うつになったのは、頑張り過ぎて、つらさを打ち明けない
私の性格にも原因があったのかもしれません。今でも
『頑張らなきゃ』って言うと、夫は
『頑張らなくていいから。(またうつになるかと)
ゾッとする』『降参、と言う勇気を持ちなさい』って
諭されるんですよ」
あれ以来、うつにはなっていない。女優と主婦業で
どんなに忙しくても、編み物、タップダンス、料理と
いった趣味の教室に通い、楽しんでいる。
「主婦は家だけにいると逃げ場がありませんから、
気持ちよくなる時間、ホッとする時間を作ることが大事。
その方がきっと人生が豊かになりますよ」
(文・山口博弥、写真・関口寛人)
(次は俳優宍戸錠さんの長女しえさんです)
(2008年1月28日 読売新聞)
*****************
以上、引用終わり










