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NPO法人国際ビフレンダーズ 宮崎自殺防止
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なお、このブログは、自死等の相談に応じるものではありません。


NPO法人宮崎自殺防止センター
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■ 毎週 日・水・金曜日
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広島県警、東部検視係を新設(読売新聞/広島) [2011年03月24日(Thu)]
2011年03月24日(木)
読売新聞
ホーム>地域>広島

広島県警、東部検視係を新設
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20110324-OYT8T00016.htm

事件性の有無を判断する検視体制を強化するため、
広島県警は3月25日、広島県東部運転免許センター(福山市)
に「東部検視係」(3人)を新設する。

昨年の変死体件数は過去最多を数え、
背景には誰にも見取られずに死亡するなど、
〈無縁社会〉の広がりがあるとみられる。 (児玉圭太)





捜査1課によると、昨年1年間に取り扱った変死体は
3,350件(交通事故関係を除く)で、
2001年の2,232件に比べて約1.5倍増。

検視官の臨場率(出動割合)は20・3%
(全国平均27・8%)だった。

全国的な傾向でもあり、高齢者の孤独死や
自殺などの増大が拍車をかけていると考えられる。

07年に起きた愛知県の時津風部屋での力士暴行死事件で、
死因が病死と誤認されたことが発覚。
警察庁は検視体制の強化を打ち出した。

また、有識者でつくる死因究明の研究会は
「臨場率50%を目指す。」
とした。



この動きを受けて、広島県警は
昨年4月に検視官1人(警部)を、
今回新たに補助役2人(巡査部長)を増員して計12人配置。
うち3人を東部に置く。

これまで福山市など県東部で変死体が発見された場合、
約100キロ離れた広島県警本部から出動。
今後はより迅速できめ細かな検視ができるという。

事件性の有無が判然としない場合は、
コンピューター断層撮影法(CT)や血液検査に合わせて、
発見された現場の状況などを詳しく調べる
「環境捜査」も重視している。



府中市の団地販売事務所で
1月30日朝、会社員男性(29)の変死体が見つかった。
周辺の状況から、男性は近くの川に転落後、
事務所までたどりついたが、
そのまま力尽きて死亡した可能性が高いと広島県警は判断。
司法解剖したが、事件性はないと結論づけた。

司法解剖の件数は06年の78件から、昨年は39件に半減。
的確な検視効果が表れているともいえる。

捜査1課の検視担当者らは
各署の刑事課員らに検視の手法や心構えを講義して
技術向上に取り組んでおり、

「死因究明には初動が重要。
 臨場率と技術レベルを上げていきたい。」
としている。

読売新聞 2011年03月24日(木)
第56回読書感想文コンクール:作品紹介 高校・自由読書/愛媛(毎日新聞) [2011年03月24日(Thu)]
2011年03月24日(木)
毎日新聞 地方版
トップ>地域ニュース>愛媛

第56回読書感想文コンクール:
作品紹介 高校・自由読書/愛媛
http://mainichi.jp/area/ehime/news/20110324ddlk38040468000c.html

◆愛媛県最優秀賞

◇狂気と正気のはざまで−−県立三島高3年・喜井万理乃さん

今回『地獄変』を読んで感じたことは2つ、
良秀の絵に対する異常な狂気への畏敬(いけい)と、
それに劣らず狂気に満ちていた大殿様への共感だ。

まず良秀についてだ。
彼の絵への執着に、不思議と尊さを感じた。
愛娘が目の前で無惨(むざん)に死んでゆくのを
目の当たりにすることが、良秀を常人にはたどり着けない
境地にひと飛びに連れて行ってしまったのではと思う。

燃える車の中で悶(もだ)え苦しむ娘を
恍惚(こうこつ)とした表情で見つめる良秀は
まるで先行者だった。

何らかの真理に向かってただ突き進む彼の
後ろ姿を見ている気分になった。

愛娘を殺されるという極限の精神状態にいたということは
恐いが、恐いという一言では形容できない別のものも感じた。

理性も本能も超えて人間の精神を支配するものを
狂気であるとするなら、私は芸術に限らず、
何かの道を極めているような人は
心の中にどこか狂気をはらんでいるものだと思っていたが、
地獄への道を一気に飛び超えられるほどの狂気とは、
全く想像がつかない。

そんな未知の感覚があったから、読んでいて恐怖を、
いや正確には畏敬の念を感じたのかもしれない。

そこまで自らを芸術に向け、狂気に没入させられる能力、
それは誰もが得ようとして得られない
(あるいは精神の平和や常識の方を求めるので
得ようとは思わない)才能ではないか。

人を殺してまで絵を描こうとする人間に
尊さを見出すのは自分でもどうかと思うが、
私が心のすみで感じたのは畏敬だった。



次は大殿様についてだ。
私はこの話が良秀と大殿様の精神的な戦いのような気もする。

良秀にはそのような意識は全く無かっただろうと思うが、
大殿様にはあったのではないか。

初めは、風流好みで肝の据わった大人物という以外、
大殿様の印象は持たなかったが、
終盤の炎の場面でかなり印象が変わった。

喜びに立ち尽くす良秀を皆が息を呑(の)んで見つめる中、
大殿様だけは苦しそうにあえいでいた。

彼がなぜこんな反応をしたのか理解に苦しんだ。
だが、良秀と大殿様の戦いという構図で考えると、
1つの結論が生まれた。
大殿様は、良秀のあの並外れた狂気に敗れたのである。

大殿様が良秀のもつ狂気に気づいたとき、
同時に大殿様の狂気にも火が点(つ)いたのだと思う。
良秀の狂気に対して、破壊衝動にも似た感情が芽ばえ、
また、良秀の狂気と自らの豪胆、
どちらが上か確かめたいという気持ちも生まれたのだ。

そのために、狂気と相反する人間としての側面
(たとえば、娘を心から愛したりするような)に訴えた。

しかし、なんと良秀は大殿様の一撃必殺の技を
自らの糧としてとり入れた。
父としての愛情を利用しているつもりが、
逆に絵師としての非人道的側面を、
つまり狂気を後押ししてしまったのだ。

これは大殿様の決定的な敗北であり、
彼にとって相当衝撃的だったに違いない。
それゆえ、あのような反応をしたとも言える。



だが、私が重要だと思うのはそれだけではない。
この戦いによって、2人にとっての
狂気と正気の間の距離が変わった。

2人は事件の以前からずっと、
狂気と正気のはざまをさまよっていたのではないだろうか。

良秀はこの事件で、きっと狂気から戻れなくなったのだろう。
絵の完成後に彼が自殺するのも、
娘が死にながら自分は生きながらえるのに
耐えられなかったというだけではない気がする。

そして、大殿様は苦しそうにあえいでいたあの時、
自らの狂気をはっきりと認識したのではと思う。

良秀との戦いに感じた高揚、敗北によって受けた衝撃が、
狂気に起因することによって気づいた。

そして何より、彼はこれ以降も
自分が狂気と正気のはざまを歩かなければならないことに
恐怖したのだ。
あの反応の最たる理由はそこにあるのではないかと私は思う。

敗北の衝撃という狂気による作用、
またその狂気自体を自覚した正気による作用、
2つがないまぜになってあの苦しみの原因となったのだ。



良秀と大殿様は狂気という1つのテーマに異なる結論を出した。
良秀は自らの絵への執念、いや情熱のために
狂気に染まりきってしまうことすらいとわなかった。

大殿様は自らの中に狂気を認めつつも、
人間として正気を失わないよう
2つの間を生きていかなくてはならない。

私は、良秀には畏敬を感じたが、
大殿様には狂気と正気のはざまで揺れる者として共感した。

私たちも生きる中で、狂ったように自らの全てを捨てて
ある事に臨むこともあれば、
その中でも正気の自分を保たなくてはならない事もあるはずだ。

そう考えると、読者である私と大殿様は、
実は良秀に対して同じような立場にあったのではないかと思う。

私も大殿様も、良秀の狂気に圧倒され、
また、狂気と正気のはざまで揺れながらも
生きていく哀しみを感じたのだ。

『羅生門・地獄変』芥川龍之介(ポプラ社)=おわり

毎日新聞 地方版 2011年03月24日(木)
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