地震被害 高齢世帯増で拡大も 等(NHKオンライン、毎日新聞)
[2011年01月18日(Tue)]
2011(平成23)年01月18日(火)
毎日新聞 地方版
トップ>地域ニュース>兵庫
阪神大震災:発生16年
車椅子で探す希望 激震はすべてを奪い去った/兵庫
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20110118ddlk28040314000c.html
◇石上さん、心折れそうな時も
16年前の阪神大震災を思い、
多くの人々が犠牲者の鎮魂を祈った17日。
神戸市中央区の東遊園地で、
車椅子の石上歩(あゆむ)さん(63)=須磨区=
もまた目に涙を浮かべ、竹筒のロウソクにともる灯(あか)りに
手を合わせた。
がれきの下敷きになった足に後遺症を抱える
「震災障害者」だが、因果関係は書類上特定されず、
行政の調査対象には含まれていない。
自身の身体だけでなく、阪神大震災は親や友人を、
住み慣れた土地や仕事を、一瞬にして奪い去った。
「なんで自分だけ生き残ってしまったんやろう。」。
16年間自問し続けるその答えを、
石上さんは、いまだ見つけられずにいる。
●
「歩(ふう)さん、大丈夫か。」
ほこりまみれの顔をした隣室の男性にあだ名で呼ばれ、
東灘区の自室で意識を取り戻したのは、
震災発生から4時間以上が過ぎた午前10時ころだった。
造船所下請けの職場に出勤しようと、
台所で一服しているときに激震に襲われ、
柱とタンスの下敷きになって気を失った。
男性に引きずり出してもらい、
はうようにしてベランダに避難した。
7階建てマンションの5階。余震のたびに柱がギシギシきしみ、
今にも倒壊しそうに思えた。漏れたガスのにおいが鼻を突いた。
怖くなって裸足のまま階段を下り始めたが、
思うように足が動かない。転がり落ちて両手の小指を骨折した。
男性の車で病院をいくつも回ったが、遺体や重傷者であふれ、
とても診断してもらえるような状況ではなかった。
1カ月後に左足と腰が骨折していることが分かったが、
その時は包帯を巻く程度の応急処置しかできなかった。
●
中学校の体育館に避難し1週間が過ぎたころ、
淡路島の実家が全壊し、米寿を迎えたばかりの
父が亡くなったことを、自転車で駆け付けた兄に聞かされた。
工場の仲間は震災で職を失ったことから立ち直れず、
やがて酒におぼれ、最期は灯油をかぶって焼身自殺した。
北区の仮設住宅で知り合った男性は、
消費者金融の借金がかさみ、踏切で列車に飛び込んだ。
●
震災が原因で大切な人たちが次々にこの世を去ってゆく。
「生きとってもつまらん。なんもええことあらへん」。
自分も手首を切ったが、死にきれなかった。
震災で人生が大きくゆがめられた石上さんを置き去りにする
かのように、神戸のまちは復興へ走り始めていた。
骨折した左足は3年後に手術し、警備員などの職にも就いたが、
やがてつえなしでは歩けなくなった。
06年8月、「下肢機能の著しい障害」と認定され、
障害者2級の手帳を取得。
翌年から作業所に通い、鍋敷きやアクセサリーを手作りする。
現在の市営住宅は、98年に仮設住宅から移り住んだ。
トラックの運転手をしていた20代のころから住み慣れた
東灘区には戻れず、近所付き合いもほとんどない。
独身で誰と会話をすることもなく、
数十棟が建ち並ぶ集合住宅の一室にひとり暮らす。
兵庫県と神戸市は昨年、震災障害者の実態調査に動き始めたが、
石上さんは調査対象から漏れている。
震災から10年以上が過ぎて身障者手帳を取得しているため、
震災との因果関係が特定できないためだ。
震災後の混乱などで診療を受けられず、石上さんのように
対象外となっている障害者は相当数に上るとみられる。
周囲から孤立し、さらに障害者になって
心が折れそうになることがある。
10日ほど前、中年男性に歩道を空けてもらうよう頼むと、
「誰のおかげで飯食わしてもらっとるんや。」
とののしられた。
「誰も好きで障害者になったわけやない。
自然災害やから何を恨むこともでけへんけど、
悔しい。」
ひとりむせび泣いた。
●
「1・17」が近付くと、いつも死んだ父や友人が
夢に出てきて言う。
「けえへんの? おいでよ。」
毎年、車椅子に乗り、導かれるように東遊園地を訪れる。
「まちはずいぶん変わった。
でも自分は16年前のまま取り残された。
障害を抱えひとり生きるのはつらい。
おやじや友人に連れていってほしかった。」
長い間、手を合わせ続けた石上さんは、
周囲の高層ビルを見上げ、そうつぶやいた。
【重石岳史】 〔神戸版〕
毎日新聞 地方版 2011年01月18日(火)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2011(平成23)年01月17日(月)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>社会
地震被害 高齢世帯増で拡大も
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110117/k10013438431000.html
今後30年以内に大きな地震が起きるおそれが高い地域の
高齢者の世帯は、40年後には現在より60%増えて
316万世帯になり、今の想定よりも被害が大きくなる
おそれのあることが国土交通省の推計で分かりました。
○
阪神・淡路大震災では、死亡した人のうちの58%が
60歳以上で、高齢者は災害時に避難が遅れたり、
支援が必要になったりするいわゆる災害弱者とされています。
国土交通省は、首都直下地震や東海地震などで
今後30年以内に震度6弱以上の激しい揺れに襲われる
おそれのある地域で、65歳以上の高齢者がいる世帯が
どのくらい増えるか推計しました。
その結果、こうした地域で高齢者がいる世帯は
現在の198万世帯から年々増加して、
40年後の2050年には現在より60%増えて
316万世帯になることが分かりました。
一方、若い年齢層は減少するため地域の救助活動が難しくなり、
今の想定よりも被害が大きくなるおそれがあるということです。
国土交通省は、この推計を基に高齢者が住む住宅の耐震化や、
地域支援の在り方など具体的な対策を検討していくことに
しています。
NHKオンライン 2011年01月17日(月)06時17分
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2011(平成23)年01月17日(月)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>社会
震災16年 被災地で追悼行事
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110117/k10013453521000.html
6,434人が亡くなった、阪神・淡路大震災から
16年となった17日、被害を受けた地域では、
犠牲者を追悼し、震災の教訓を伝える行事が行われました。
○
神戸市中央区の公園「東遊園地」では、
早朝から、震災で家族や友人を亡くした人などが集まり、
17の日付、「1.17」の形に並べられたろうそくに
火をともしました。
そして、地震が起きた午前5時46分に合わせて、
犠牲者に黙とうをささげました。
また、神戸市中央区の「人と防災未来センター」では、
およそ2,000人が参加し、兵庫県などが主催する
「ひょうご安全の日のつどい」が行われました。
参加した人たちは、地元の小学生が鐘を鳴らす中、
正午から黙とうして、犠牲者を悼みました。
○
そして、ことし成人になった兵庫県芦屋市の
長谷拓郎さんと米川沙羅さんが、県民を代表して壇上に立ち、
「あの震災でどんな犠牲があったのか、
人や街がどうやって復興していったのか、
そして『人と人とのつながりの大切さ』を
次の世代へ伝えていきたいと思います。」
と述べました。
被害を受けた地域では、各地で犠牲者を追悼する行事のほか、
震災を知らない子供たちに震災の体験や教訓を伝える
催しも行われました。
NHKオンライン 2011年01月17日(月)17時36分
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2011(平成23)年01月16日(日)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>社会
神戸 大震災の追悼行事へ準備
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110116/k10013437171000.html
阪神・淡路大震災から17日で16年になるのを前に、
神戸市の公園では、追悼行事の際にろうそくをともす
竹の灯ろうを並べる作業が行われました。
○
神戸市中央区の東遊園地では、毎年、震災が起きた日に合わせて
ボランティア団体などが竹の灯ろうに入ったろうそくに
火をともし、震災で犠牲になった人たちを追悼する行事を
行っています。
会場では17日に向けた準備が進められ、
ボランティアら300人余りが県内外の団体や個人から募った
およそ1万本の竹の灯ろうを震災が起きた日を示す
「1995 1.17」の形に並べていきました。
そして、灯ろうに「絆」や「祈り」などといった
ことばを墨で書き入れていきました。
○
行事を主催する団体の代表を務める中島正義さんは
「16年はあっという間だった。
生きたくても生きられなかった人への追悼や、
当時、大勢のボランティアに助けてもらったことを
忘れないために、これからもこの行事を続けていきたい。」
と話していました。
17日は午前5時からろうそくに火がともされ、
地震が起きた午前5時46分に黙とうをささげる
ことになっています。
NHKオンライン 2011年01月16日(日)20時44分
毎日新聞 地方版
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阪神大震災:発生16年
車椅子で探す希望 激震はすべてを奪い去った/兵庫
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20110118ddlk28040314000c.html
◇石上さん、心折れそうな時も
16年前の阪神大震災を思い、
多くの人々が犠牲者の鎮魂を祈った17日。
神戸市中央区の東遊園地で、
車椅子の石上歩(あゆむ)さん(63)=須磨区=
もまた目に涙を浮かべ、竹筒のロウソクにともる灯(あか)りに
手を合わせた。
がれきの下敷きになった足に後遺症を抱える
「震災障害者」だが、因果関係は書類上特定されず、
行政の調査対象には含まれていない。
自身の身体だけでなく、阪神大震災は親や友人を、
住み慣れた土地や仕事を、一瞬にして奪い去った。
「なんで自分だけ生き残ってしまったんやろう。」。
16年間自問し続けるその答えを、
石上さんは、いまだ見つけられずにいる。
●
「歩(ふう)さん、大丈夫か。」
ほこりまみれの顔をした隣室の男性にあだ名で呼ばれ、
東灘区の自室で意識を取り戻したのは、
震災発生から4時間以上が過ぎた午前10時ころだった。
造船所下請けの職場に出勤しようと、
台所で一服しているときに激震に襲われ、
柱とタンスの下敷きになって気を失った。
男性に引きずり出してもらい、
はうようにしてベランダに避難した。
7階建てマンションの5階。余震のたびに柱がギシギシきしみ、
今にも倒壊しそうに思えた。漏れたガスのにおいが鼻を突いた。
怖くなって裸足のまま階段を下り始めたが、
思うように足が動かない。転がり落ちて両手の小指を骨折した。
男性の車で病院をいくつも回ったが、遺体や重傷者であふれ、
とても診断してもらえるような状況ではなかった。
1カ月後に左足と腰が骨折していることが分かったが、
その時は包帯を巻く程度の応急処置しかできなかった。
●
中学校の体育館に避難し1週間が過ぎたころ、
淡路島の実家が全壊し、米寿を迎えたばかりの
父が亡くなったことを、自転車で駆け付けた兄に聞かされた。
工場の仲間は震災で職を失ったことから立ち直れず、
やがて酒におぼれ、最期は灯油をかぶって焼身自殺した。
北区の仮設住宅で知り合った男性は、
消費者金融の借金がかさみ、踏切で列車に飛び込んだ。
●
震災が原因で大切な人たちが次々にこの世を去ってゆく。
「生きとってもつまらん。なんもええことあらへん」。
自分も手首を切ったが、死にきれなかった。
震災で人生が大きくゆがめられた石上さんを置き去りにする
かのように、神戸のまちは復興へ走り始めていた。
骨折した左足は3年後に手術し、警備員などの職にも就いたが、
やがてつえなしでは歩けなくなった。
06年8月、「下肢機能の著しい障害」と認定され、
障害者2級の手帳を取得。
翌年から作業所に通い、鍋敷きやアクセサリーを手作りする。
現在の市営住宅は、98年に仮設住宅から移り住んだ。
トラックの運転手をしていた20代のころから住み慣れた
東灘区には戻れず、近所付き合いもほとんどない。
独身で誰と会話をすることもなく、
数十棟が建ち並ぶ集合住宅の一室にひとり暮らす。
兵庫県と神戸市は昨年、震災障害者の実態調査に動き始めたが、
石上さんは調査対象から漏れている。
震災から10年以上が過ぎて身障者手帳を取得しているため、
震災との因果関係が特定できないためだ。
震災後の混乱などで診療を受けられず、石上さんのように
対象外となっている障害者は相当数に上るとみられる。
周囲から孤立し、さらに障害者になって
心が折れそうになることがある。
10日ほど前、中年男性に歩道を空けてもらうよう頼むと、
「誰のおかげで飯食わしてもらっとるんや。」
とののしられた。
「誰も好きで障害者になったわけやない。
自然災害やから何を恨むこともでけへんけど、
悔しい。」
ひとりむせび泣いた。
●
「1・17」が近付くと、いつも死んだ父や友人が
夢に出てきて言う。
「けえへんの? おいでよ。」
毎年、車椅子に乗り、導かれるように東遊園地を訪れる。
「まちはずいぶん変わった。
でも自分は16年前のまま取り残された。
障害を抱えひとり生きるのはつらい。
おやじや友人に連れていってほしかった。」
長い間、手を合わせ続けた石上さんは、
周囲の高層ビルを見上げ、そうつぶやいた。
【重石岳史】 〔神戸版〕
毎日新聞 地方版 2011年01月18日(火)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2011(平成23)年01月17日(月)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>社会
地震被害 高齢世帯増で拡大も
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110117/k10013438431000.html
今後30年以内に大きな地震が起きるおそれが高い地域の
高齢者の世帯は、40年後には現在より60%増えて
316万世帯になり、今の想定よりも被害が大きくなる
おそれのあることが国土交通省の推計で分かりました。
○
阪神・淡路大震災では、死亡した人のうちの58%が
60歳以上で、高齢者は災害時に避難が遅れたり、
支援が必要になったりするいわゆる災害弱者とされています。
国土交通省は、首都直下地震や東海地震などで
今後30年以内に震度6弱以上の激しい揺れに襲われる
おそれのある地域で、65歳以上の高齢者がいる世帯が
どのくらい増えるか推計しました。
その結果、こうした地域で高齢者がいる世帯は
現在の198万世帯から年々増加して、
40年後の2050年には現在より60%増えて
316万世帯になることが分かりました。
一方、若い年齢層は減少するため地域の救助活動が難しくなり、
今の想定よりも被害が大きくなるおそれがあるということです。
国土交通省は、この推計を基に高齢者が住む住宅の耐震化や、
地域支援の在り方など具体的な対策を検討していくことに
しています。
NHKオンライン 2011年01月17日(月)06時17分
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2011(平成23)年01月17日(月)
NHKオンライン
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震災16年 被災地で追悼行事
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110117/k10013453521000.html
6,434人が亡くなった、阪神・淡路大震災から
16年となった17日、被害を受けた地域では、
犠牲者を追悼し、震災の教訓を伝える行事が行われました。
○
神戸市中央区の公園「東遊園地」では、
早朝から、震災で家族や友人を亡くした人などが集まり、
17の日付、「1.17」の形に並べられたろうそくに
火をともしました。
そして、地震が起きた午前5時46分に合わせて、
犠牲者に黙とうをささげました。
また、神戸市中央区の「人と防災未来センター」では、
およそ2,000人が参加し、兵庫県などが主催する
「ひょうご安全の日のつどい」が行われました。
参加した人たちは、地元の小学生が鐘を鳴らす中、
正午から黙とうして、犠牲者を悼みました。
○
そして、ことし成人になった兵庫県芦屋市の
長谷拓郎さんと米川沙羅さんが、県民を代表して壇上に立ち、
「あの震災でどんな犠牲があったのか、
人や街がどうやって復興していったのか、
そして『人と人とのつながりの大切さ』を
次の世代へ伝えていきたいと思います。」
と述べました。
被害を受けた地域では、各地で犠牲者を追悼する行事のほか、
震災を知らない子供たちに震災の体験や教訓を伝える
催しも行われました。
NHKオンライン 2011年01月17日(月)17時36分
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2011(平成23)年01月16日(日)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>社会
神戸 大震災の追悼行事へ準備
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110116/k10013437171000.html
阪神・淡路大震災から17日で16年になるのを前に、
神戸市の公園では、追悼行事の際にろうそくをともす
竹の灯ろうを並べる作業が行われました。
○
神戸市中央区の東遊園地では、毎年、震災が起きた日に合わせて
ボランティア団体などが竹の灯ろうに入ったろうそくに
火をともし、震災で犠牲になった人たちを追悼する行事を
行っています。
会場では17日に向けた準備が進められ、
ボランティアら300人余りが県内外の団体や個人から募った
およそ1万本の竹の灯ろうを震災が起きた日を示す
「1995 1.17」の形に並べていきました。
そして、灯ろうに「絆」や「祈り」などといった
ことばを墨で書き入れていきました。
○
行事を主催する団体の代表を務める中島正義さんは
「16年はあっという間だった。
生きたくても生きられなかった人への追悼や、
当時、大勢のボランティアに助けてもらったことを
忘れないために、これからもこの行事を続けていきたい。」
と話していました。
17日は午前5時からろうそくに火がともされ、
地震が起きた午前5時46分に黙とうをささげる
ことになっています。
NHKオンライン 2011年01月16日(日)20時44分