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NPO法人宮崎自殺防止センターを応援したい

NPO法人国際ビフレンダーズ 宮崎自殺防止
センターでボランティア活動を始めました。
いろいろと勉強中です。

なお、このブログは、自死等の相談に応じるものではありません。


NPO法人宮崎自殺防止センター
■ TEL 0985(77)9090
■ 毎週 日・水・金曜日
   午後8時から午後11時まで(3時間)


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究・求・救・Q:自死遺児支援へプロジェクト発足/岡山(毎日新聞) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成22)09月18日(土)
毎日新聞 地方版
トップ>地域ニュース>岡山

究・求・救・Q:
自死遺児支援へプロジェクト発足/岡山
http://mainichi.jp/area/okayama/news/20100918ddlk33040530000c.html

◇地域に根ざし「現状変える」
−−声聞ける体制を

自殺で家族を亡くした子供たちを支える支援プロジェクトが
岡山市で発足し、第1回会合が23日に開かれる。

自死遺族の支援団体「Live(リブ)on(オン)」
が呼びかけ、当事者や犯罪被害者サポート団体の関係者が
ゆるやかなネットワークを築いてサポートの方法を模索する。

中心メンバーで自らも自殺で父親を亡くした
渡辺雅斗さん(23)=岡山市=は

「地方と都市部では支援のニーズが違う。
 いろんな当事者の声を基に
 地方で求められているものを考えたい」

と話す。 【石戸 諭】



支援プロジェクトは、渡辺さんや
NPO「犯罪被害者サポート・ファミリーズ」
で被害者支援を続けてきた川崎政宏弁護士らが中心になって
進める。

ファミリーズにも自死遺族の問い合わせは多くあり

「突然、大事な人を失った苦しみは犯罪被害者だけに限らない」

とサポートに乗り出している。

今月も「Live on」の尾角(おかく)光美さん(26)
を招いたイベントを津山市で開いた。



渡辺さんは愛媛県出身。高校入試を目前に控えた03年、
父が借金苦で自殺した。その後、岡山大に進学し今年3月に卒業。

現在は児童福祉施設と学習塾のバイトを掛け持ちしながら
活動を続けている。

渡辺さんは

「地方では近所のうわさがしつこかったりする。
 支援団体が整いつつある都市部と異なり、
 支援が行き届かない場合が多い」

と話す。

自殺遺児の相談を受ける窓口や対応の体制づくりを目指す。

さらに渡辺さんは
「予備校に通うお金があれば選択肢は広がった」

という思いもあり、奨学金制度の充実や金銭的支援を
提言としてまとめる考えだ。



プロジェクト発足のきっかけは今年3月、渡辺さんが、
神戸市で開かれたビジネスプランコンペ「edge(エッジ)」
で尾角さんと出会ったことだ。

尾角さんとともに自死遺児の文集編集、発行を手がける中で、
地域に根ざした支援のあり方を考えるようになった。

渡辺さんは
「経済的な理由や人間関係の問題で
 遺児の選択肢が減る現状を変えたい」

と話す。

==============

第1回会合は23日午後1時から、
北区奉還町の国際交流センターで。
プロジェクト参加希望者はEメールで
「Live on」(m.liveon@gmail.com)まで。

==============

■ことば

◇日本の自殺者

自殺者数は98年から12年連続で3万人を超えている。
同時期の県内自殺者数は380人〜450人前後で
推移しており、98年以前よりも増加傾向にある。
うつ病や生活苦を原因とする自殺が多いとみられる。

今年、厚労省は初めて自殺やうつ病などに伴う
経済的損失額を2.7兆円(09年)と発表。
さらなる自殺対策が求められている。

毎日新聞 地方版 2010年09月18日(土)
宮崎 復興応援のコンサート(NHKオンライン) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成22)年09月18日(土)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>暮らし・文化

宮崎 復興応援のコンサート
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100918/k10014076971000.html

口てい疫の被害が集中した宮崎県川南町で、
復興に向けた取り組みを応援しようと、
NHK交響楽団のメンバーらがコンサートを開きました。



コンサートには宮崎県出身のNHK交響楽団のメンバー2人と、
県内で活躍する演奏家ら4人が参加し、
クラシック音楽を次々と披露しました。

演奏の合間には、宮崎市出身の演奏家 日高 剛さんが

「口てい疫の被害が想像を絶する状況で、
 自分でできることがないかと考えていました」

と話しました。

そして、頑張ろうという意味の「きばれ宮崎」と
大きな声でエールを送り、会場いっぱいに集まった
住民たちは拍手で応えていました。

口てい疫の被害が集中した川南町では、
畜産を再開するため試験的な牛の飼育が始まるなど、
復興に向けた取り組みが本格化しています。

演奏を聞いた川南町の76歳の女性は
「美しい音楽で、元気をもらいました」

と話していました。

NHKオンライン 2010年09月18日(土)21時25分
「横浜いのちの電話」が公開講座(MSN産経ニュース) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成)22年09月18日(土)
MSN産経ニュース
ニューストップ>地方>関東>神奈川

「横浜いのちの電話」が公開講座
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/kanagawa/100918/kng1009182038003-n1.htm

昭和55年9月の開局以来、「眠らぬダイヤル」として
ボランティアによる自殺予防の電話相談活動を続けている
「横浜いのちの電話」が、10月5日から5回にわたる
公開講座を開催、受講者を募集している。

30年にわたって365日24時間体制で
自殺予防に取り組む活動は、ボランティアの善意によって
支えられている。

一方で不況などにより自殺者は減っておらず
全国で3万人以上の自殺者が12年間も続いている。



公開講座は、自殺へと傾く人々の傾向や対応、
早期発見と心のケアなどを
横浜市立大医学部の河西千秋・准教授ら専門家が詳しく説く。

受講を機に関心があれば相談ボランティア養成研修へと
進むことができる。

受講申し込みの締め切りは24日。
詳細は、横浜いのちの電話事務局
((電)045・333・6163)まで。

MSN産経ニュース 2010年09月18日(土)20時37分
自殺防止:市保健所職員が呼びかけ パンフなど配布−−和歌山/和歌山(毎日新聞) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成22)09月18 日(土)
毎日新聞 地方版
トップ>地域ニュース>和歌山

自殺防止:市保健所職員が呼びかけ
パンフなど配布−−和歌山/和歌山
http://mainichi.jp/area/wakayama/news/20100918ddlk30040523000c.html

◇来月6、20日に夜間相談も

和歌山市保健所は、JR和歌山駅前で
自殺防止の街頭啓発を行った。
職員10人が相談窓口などを伝えるパンフレットなどの
啓発グッズを配った。

啓発は、県からの補助を受けて初めて実施した。
市によると、08年の市内の自殺者は106人。
98年に過去最多の113人に達した後、
年間100人前後で推移している。
健康や経済、介護の悩みを理由に命を絶つ人が多いという。



市は10月6、20日、精神科医による夜間相談も行う。
予約が必要で、時間は午後6時以降。
相談は1人30〜40分程度。

問い合わせは、同保健所こころの健康対策班。
(073・433・2261) 【藤 顕一郎】

毎日新聞 地方版 2010年09月18日(土)
生命の温もり実感(読売新聞/山梨) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成22)年09月16日(木)
読売新聞
ホーム>地域>山梨>企画・連載>樹海 命の森

生命の温もり実感
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/feature/kofu1284556658497_02/news/20100915-OYT8T01048.htm

さまよう中眼前にリス
監視員が見回り

生い茂る木々の根と溶岩にびっしりとコケがむす樹海を縫うよう
に続く遊歩道。富士河口湖町の松井繁男さん(70)は、
すれ違う人の表情や荷物にさりげなく目を光らせながら言った。

「1人で夕方頃に来て、脇目も触れずに
 森に入ろうとする人には注意が必要ですね」

松井さんは、県が昨年秋から樹海で始めた自殺防止の監視員。
自殺を図ろうとする人をいち早く見つけて声をかけ、
警察に保護してもらうのが任務だ。
月の半分以上を朝から夕まで樹海での見回りに費やす。

樹海では、原則として毎日、6人の監視員が活動。
このほか、県の緊急雇用対策で富士吉田署に配属された
地域安全パトロール隊員が連日2人1組で樹海を含めた
署管内をパトロールし、署員と監視員、パトロール隊員が
連携して保護に取り組んでいる。

地元住民にも協力を求め、自殺に訪れる人の特徴や声かけを
学んでもらおうと、県富士・東部保健福祉事務所が
2008〜09年に計5回開催した研修会には
延べ計350人が参加した。

同事務所の三科進吾次長は
「樹海のイメージを変えたいと思っている地元住民は多く、
 自殺しようとする人の保護に協力してくれている」

と話す。

県警によると、樹海で見つかった遺体は
03年に105体に上ったが、
06年に 73体、
07、08年はともに64体、
09年は 45体と減少した。

これに対し、樹海で自殺を図ろうとして保護された人は
06年に115人、
07年に126人、
08年に161人、
09人は195人

と着実に増えている。
自殺を水際で食い止める活動は効果を上げつつある。



青木ヶ原樹海の竜宮洞穴周辺をパトロールする
監視員の松井繁男さん(15日、富士河口湖町西湖で)

声かけ有効

東京の大手自動車会社に契約社員を解かれ、
約200社に履歴書を出しても不採用になった男性(48)は
今年3月、かつてテレビで見た樹海へ来た。

1週間ほど樹海周辺で車上生活をしていたところを
警察官に見つかった。

「思い詰めてるね」。
穏やかな警察官の言葉に涙があふれた。

「心のどこかでまだ死にたくないという気持ちがあった。
 樹海まで来る人は迷いがあるはず。声かけは有効だと思う」
と話す。

病気で千葉県の会社を解雇され、仕事が見つからないまま
借金を重ねた男性(47)も、樹海で死のうとした1人だ。

07年11月、男性はロープとカッターを用意し樹海に向かった。
飲まず食わずのまま樹海をさまよい、
手首を切ったが死にきれず、そのうち足が凍傷になった。

約2週間後、樹海で倒れているところを地元住民に発見され、
警察に保護された。

男性は現在、東京で職を探す傍ら市民団体に所属して
自殺防止活動に携わる。

「生き延びても現実は変わらない。今でも死にたくなる」
との思いと闘いながら、自立の道を探っている。

男性がいまも、鮮明に覚えている樹海の光景がある。
樹海に入って2日目の朝のことだ。寒さで衰弱して倒れた
男性の目の前を体長10センチほどのリスが通りすぎた。

「おっリスが来たぞ」。
ふと口にした言葉に、生き物を慈しむ心が
自分に残っていることに驚いた。

「あの瞬間、自分が生きているということを実感した。
 樹海には生命の温(ぬく)もりがあった」



青木ヶ原樹海に多く生息するニホンリス(中川雄三さん撮影)

■50年前連載『波の塔』

青木ヶ原樹海が「自殺の場所」とイメージされるようになった
きっかけは、松本清張さんの小説『波の塔』といわれる。

1959年5月から約1年にわたって週刊誌に連載された
新任検事と人妻の悲恋を描いた作品はベストセラーになった。

ヒロインは物語の最後、独り樹海に入る。
自殺を連想させるこのシーンが影響を与えたとされる。

50年ほど前の秋、松本さんは波の塔の執筆中に樹海を訪れ、
今はなき西湖畔のユースホステルに立ち寄った。

当時、高校生だった渡辺勝人さん(67)は、
ここで管理人をしていた父を手伝っていた。
来訪の目的を尋ねると、松本さんは「取材旅行です」と答え、
父に樹海について質問した。
渡辺さん愛用のギターにサインもしてくれた。

その後、渡辺さんは20歳代で地元の足和田消防団に入り、
約20年間にわたって富士吉田署の署員らと
樹海を捜索することになる。

波の塔が、樹海やユースホステルなどをロケ地にして
何度も映画やドラマにリメークされるにつれ、
徐々に樹海で見つかる遺体が増え、そのうち、
毎年50〜100体見つかるようになった。

渡辺さんは
「当時からファンなので清張先生を責める気持ちには
 なれないが、複雑です」

と話す。

■『ゼロの焦点』舞台も

清張作品の影響で自殺者が増えた場所は、
青木ヶ原樹海だけではない。

波の塔とほぼ同時期に連載された『ゼロの焦点』の舞台となった
能登半島の西岸、石川県志賀町の能登金剛の断崖(だんがい)
も、そうだった。

60年5月、がけ下の波打ち際で女性の遺体が
遺書とともに発見された。

町の記録によると、女性は生前、
「失恋を清算したい」
と周囲にもらし、東京からこの地を訪ねたのだった。

自殺防止のため、地元で石碑を建てる計画が持ち上がり、
町は松本さんに協力を求めた。
松本さんは快諾し、思いを歌に詠んだ。

〈雲たれて ひとり たけれる荒波を かなしと思へり
 能登の初旅〉

翌年8月、能登金剛のがけの上に、この歌を記した歌碑が
建立された。その脇には、

「女性の冥福を祈り再びこうした悲しみが繰り返されぬことを
 念じて」と刻まれた地元観光協会の石碑が建っている。



能登金剛に建つ松本清張さんの歌碑。
自殺者の冥福を祈る気持ちが込められている(石川県志賀町)  

地元の住民や警察によると、かつては年に10数件の自殺が
あったが、今はほとんどなくなった。

能登金剛で45年にわたって土産物店を営む
木谷茂治さん(72)は

「偉大な作家のおかげで能登が観光地として発展できた。
 自殺が増えたこともあったが、
 それは既に過去のことになった」

と話す。

文芸春秋の編集者として約30年松本さんの担当を務めた
松本清張記念館(北九州市)の館長、
藤井康栄(やすえ)さん(76)は

「先生は好きになったからこそ樹海を小説の舞台にした。
 意図せず樹海に悪いイメージがつき、
 心を痛めていたはずだ」

と語る。

読売新聞 2010年09月16日(木)
変わる負のイメージ(読売新聞/山梨) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成22)年09月18日(土)
読売新聞
ホーム>地域>山梨>企画・連載>樹海 命の森

変わる負のイメージ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamanashi/feature/kofu1284556658497_02/news/20100917-OYT8T01046.htm

樹木の葉とコケで深い緑に包まれる青木ヶ原樹海。
遊歩道の脇にコケに覆われたツガの大木が倒れていた。
朽ちかけた倒木の表面からは、
ヒノキの幼木が高さ20センチほどに伸びている。



7月、湘南学園小学校(神奈川県藤沢市)の5年生108人が
参加した樹海での野外体験教室。

倒木の前で、案内をしたNPO「富士山エコネット」
(富士河口湖町)の峰 愛華(あいか)さん(31)が説明した。

「倒れた木に落ちた種は芽を出し、
 倒木の養分をもらって育っていく。
 倒木更新と呼ばれる現象です」

子どもたちはうなずきながら幼木に見入った。
峰さんの声のトーンが上がった。

「命を落とした木は次の世代に命を託す。
 ここは次々に新しい命が生まれるところ。
 生き物の聖地です」

参加した飯森優斗君(10)は

「樹海は自殺が多い場所と聞いたけど、
 植物や動物が元気に生きていた。
 怖くはなかった」

と語った。



倒木から伸びるカエデの幼木。倒れた木の上に落ちた種は、
芽吹くと倒木から養分をもらって成長する。
樹海では、こうした命のリレーが至るところで見られる
(富士河口湖町の樹海で)



野外体験教室を前に同校が保護者に行った説明会で、
行き先が樹海であることを伝えると、
どよめきが起き、心配そうな顔をする保護者もいた。

富士山エコネットの代表、三木 広さん(59)は

「大人は樹海イコール自殺という固定観念を
 なかなか払拭(ふっしょく)できない。
 子どもは柔軟です」

と話す。

富士山エコネットは、エコツアーを始める前に子どもたちに
「樹海と聞いて何を思い浮かべるか」

と質問してきた。答えは決まって「自殺」だった。

だが、最近は「自然」などと答える子どもが増え、
質問するのをやめることにした。



青木ヶ原樹海で富士山エコネットが行ったエコツアーに参加した
湘南学園の児童たち(7月15日、富士河口湖町で)



8月、県のイベント「健やか樹海ウオーク2010」で、
約400人が樹海での散策に汗を流した。

10歳代〜80歳代の参加者296人から回答を得た
県のアンケート結果は、樹海のイメージが変わっていることを
裏付けている。

参加前の樹海のイメージは、
「自然豊か」が48%、
「楽しい」が15%だったのに対し、

「自殺の名所」は23%、
「怖い・恐ろしい・危ない」は9%にとどまり、
6割が良いイメージを持っていた。

樹海を歩いた後のイメージは、
「良くなった」が69%、
「来年も参加したい」は80%に上った。

県の担当者は
「特に若い人が樹海に最初から良いイメージを持っている」

と話す。

いま、樹海を巡るエコツアーは人気だ。
富士山エコネットのエコツアーには設立した05年から
毎年、小中高校の修学旅行や企業研修などで
100団体・計1万8,000人ほどが参加している。

県によると、樹海でエコツアーを主催している団体は
少なくとも19団体に上るという。

04年から始まった富士河口湖町公認のネイチャーガイドによる
樹海ツアー(1時間500円から)にも、
年間約1万2,000人が参加する。

当初20人だったガイドは退職した地元住民を中心に
53人に増えた。

樹海を訪れる人が増え、エコツアーの主催団体と県は
04年、生態系を守るため、木の根やコケを踏みつけない
などの指針を定めた。

樹海で自殺者を増やすきっかけとなったとされる
小説『波の塔』の作者、松本清張さんのファンでもある
富士山エコネットの三木さんは言葉に力を込める。

「清張さんの作品で負のイメージがついたと言われるのが
 残念だった。
 でも、命を育む森という樹海の本来の姿が知られるように
 なり、みんなで樹海を楽しみ、守る意識が高まってきた。
 樹海のイメージは確実に変わっている」



この連載は、前田遼太郎が担当しました。

読売新聞 2010年09月18日(土)
認知症について語る催し(NHKオンライン) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成22)年09月18日(土)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>暮らし・文化

認知症について語る催し
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100918/k10014075501000.html

認知症への理解を深めてもらおうと、
認知症の人や介護にあたる人が認知症について語る催しが
東京で開かれました。



この催しは今月21日の世界アルツハイマーデーを前に
東京・品川区が開いたもので、およそ400人が参加しました。

はじめに札幌で認知症の介護施設を運営する
看護師の武田純子さんが講演し

「認知症になってもできることは多く、
 希望をもって生きられるよう支援することが大切だ」

と話しました。

このあと武田さんの施設に通う若年性認知症の男性2人と家族ら
でつくる楽団が「上を向いて歩こう」などを演奏しました。

演奏した男性の1人は認知症になってから
クラリネットの練習を始め、演奏できるようになったということ
で、演奏が終わると盛大な拍手が送られていました。

会場では品川区の介護スタッフが寸劇も演じ、
お金の計算ができなくなった認知症の人への対応のしかたなど
を、ユーモアを交えながらわかりやすく伝えていました。

主催した品川区の木下 徹健康福祉事業部長は

「認知症の人が安心して暮らせるよう
 多くの人に認知症の人とのかかわり方を知ってもらい、
 さりげなくサポートをしてもらいたい」

と話していました。

NHKオンライン 2010年09月18日(日)19時35分
臓器提供受けた女性 心境語る(NHKオンライン) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成22)年09月18日(土)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>科学・医療

臓器提供受けた女性 心境語る
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100918/k10014068861000.html

先月、国内で初めて、書面による本人の意思表示が無いなかで
脳死からの臓器提供が行われました。

愛知県の病院で臓器の提供を受けた女性が、
18日の退院を前にNHKの取材に応じ、

「ほんとうに感謝しています。
 臓器を大切にしながら生きていきたい」

と心境を話しました。



取材に応じたのは、先月、国内で初めて書面による
意思表示をしていない20代の男性から臓器の提供を受け、
愛知県内の病院ですい臓と腎臓の移植手術を受けた
50代の女性です。

女性は順調に回復して、18日、退院することになりました。
女性は退院を前にNHKの取材に応じ、臓器を提供した男性と
その家族について、

「ほんとうに感謝しています。
 本人の無念さや、悲しみの中で決断してくれた家族のことを
 思うと、涙があふれてきます。
 提供された臓器を大切にしながら生きていきたい」

と心境を話しました。

また、女性は、臓器を提供した男性が以前から
家族と話し合っていたことを報道で知ったということで、

「本人の意思がわかり、気持ちが楽になりました」

と述べ、臓器提供についての考え方があらかじめ示されている
ことの大切さを訴えました。



臓器移植法の改正後、これまでに8人が、
書面による本人の意思表示が無いなかで
脳死と判定されています。

女性は

「家族で話し合う人が増え、
 移植に対しての議論が深まっていけば」

と話していました。

NHKオンライン 2010年09月18日(土)04時26分
悩む「君」に歌のメッセージ(朝日新聞/静岡) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成22)年09月18日(土)
朝日新聞
asahi.com>マイタウン>静岡>人 ひと

【人ひと】
悩む「君」に歌のメッセージ
http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000191009210001

「悩み・苦しみ 迷い・心配 生ある限り 誰にもあるさ」
「四方八方 ふさがれたって 青い空は あいている」……。

自殺防止を訴える歌「勇気は君のもの」を作詞した。

「自殺について向き合うことが防止につながる。
 暗いテーマを明るい歌で考えてもらえたら」



自殺防止ソングを作詞 斎藤 康行さん(68)

建設会社を営む傍ら、保護司も務める。
作詞は60歳を過ぎてから始めた。

テレビの歌謡番組で、字幕で流れる歌詞を見ながら、
「おれにもできるんじゃないか」。

仕事の合間を縫って筆を走らせた。

これまでにしたためた詩は100作品を超える。
刑務所を出所した人、闘病生活を送る患者、
夫を亡くし孤独に悩む女性……。

身の回りの人に
「勇気を出して前を向いて生きて欲しい」
とつづってきた。



3年前、知り合いの2人の女性が相次いで自殺した。
経済的なことや病気のことで悩んでいたらしい。

「独りぼっちで考え込まないで打ち明けて欲しかった。
 気持ちも整理できただろうに」。

救えなかった自分を悔いた。

歌で自殺を思いとどまらせることができたら。
すぐ詩を書き、友人の作曲家に曲をつけてもらった。
今年6月、CD500枚を製作した。

県内では、2009年に804人が自殺するなど、
ここ10年間は毎年700〜800人が自殺している状況が
続いている。

「死んだら終わり。
 いつか死ぬんだから、あわくって死ぬことはない。
 悩んでいる人の耳にこの歌が届いて、
 ふと立ち止まってくれたら」

と願っている。 (山田知英)

朝日新聞 2010年09月18日(土)
訴訟手続き10年放置(朝日新聞/山形) [2010年09月18日(Sat)]
2010(平成22)年09月18日(日)
朝日新聞
asahi.com>マイタウン>山形

訴訟手続き10年放置
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001009180002

11年前にがんで夫を亡くした天童市の女性(52)が
「末期がんであることを告知されず、精神的苦痛を受けた」

として病院側に損害賠償を求める裁判を起こそうとしたが、
代理人となった弁護士が10年近く手続きを怠ったまま
放置していたことがわかった。

弁護士は
「弁解の余地はない」
と謝罪する一方で、提訴は断念。

その後、民法上の時効(10年)で請求権を失った女性は
「信頼した医師に裏切られ、弁護士にも裏切られた」

と憤っている。

女性の夫(当時40)は1999年6月、山形大医学部付属病院
で死亡した。女性によると、98年12月末に肺がんの手術を
受け、約2週間後に退院した。

執刀医は
「手術は大成功だった」
「転移はない」
と明言したという。

だが夫はすぐに不調を訴え、99年3月末の超音波検査で
膵臓(すい・ぞう)にしこりが見つかり、再入院した。

女性は病状を何度も尋ねたが、医師は
「転移かどうかは分からない」
の一点張りだったという。

5月にいったん退院したが、すぐ再々入院し、
約2週間後に亡くなった。

死亡診断書の死因は「肺がん」だったが、医師は死亡直後に
「あまりに容体が悪く、本当のことを言えなかった」

と明かしたという。

女性は
「末期の膵臓がんとわかっていたはずだ」
と考えている。

「医師は『いい方向にいっている』と言い続けていた。
 余命を告知してくれたら、
 死に向かう日々をもっと充実して過ごせた」

と悔しがる女性は同年11月、
「本当のことが知りたい」
と、山形市の佐藤欣哉弁護士に相談。

五十嵐幸弘弁護士を紹介され、損害賠償を求めることを決めた。

五十嵐氏は翌2000年、山形地裁に病院のカルテや
レントゲン写真などの証拠保全を申請して認められたが、
その後、女性への連絡が途絶えたという。

「『こちらから連絡する』
 という弁護士の言葉を信じて待ち続けた」

という女性は、昨年2月に五十嵐氏と面会。

「損害賠償は無理と判断したので、連絡しなかった」
と釈明されたという。

事態を知った佐藤氏は昨年4月、山大学長に損害賠償請求する旨
を通知し、時効とならない措置を講じた。

だがその後、専門医の知見などから改めて
「裁判は無理」
と判断。五十嵐氏を紹介したことについては女性に謝罪した。

朝日新聞の取材に、五十嵐氏は

「訴訟は無理だと早く言うべきだったが、
 お気の毒過ぎて告げられなかった。
 今後も誠心誠意、対応していく」

と述べ、訴訟を断念した理由については

「膵臓がんを見つけていたとしても延命はできなかった」
などと説明した。

山大病院は「個人情報」を理由に取材に応じていない。

▽ 「がん告知」のあり方検証する意義あった

《解説》
末期がんの患者や家族への「告知」の是非を問う裁判の機会が
失われた。遺族の代理人の弁護士が「告知をしなかった」病院を
相手取る訴訟準備をせず、遺族への連絡を忘れていたためだ。

弁護士は
「資料を分析した結果、訴訟は無理と判断したが、
 気の毒で告げられなかった」
という。

その思いはわからなくないし、
ミスを一方的に責めるつもりもない。

だが本当に訴訟は無理だったのだろうか。
医療過誤としての訴えは難しくても、
告知を巡る訴訟はできたはずだ。

がん告知訴訟は、当時から各地で起きていた。
患者・遺族側の勝訴例も多く、最高裁は2002年9月に

「医師が本人に告知しない場合、
 家族への告知の適否を検討する義務がある」

との原則を示し、「検討しなかった」病院側に
慰謝料の支払いを命じた。

手続きを10年放置した揚げ句に
「訴訟は無理と判断していた」
と言われても、説得力はないと言わざるを得ない。

告知されて自殺した患者の遺族が病院を訴えたケースもあり、
告知のありようは、医師と患者・家族にとって
難しい問題であり続けている。

10年以上前の「事件」だが、
裁判で検証する意義は十分あったのではないか。 (三浦 亘)

朝日新聞 2010年09月18日(土)
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