終末期医療 手探り続く 等(朝日新聞/富山)
[2009年12月28日(Mon)]
2009(平成21)年12月22日(火)
朝日新聞
asahi.com>マイタウン>富山
終末期医療 手探り続く
http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000000912220003
呼吸器外しが問題となった射水市民病院
射水市民病院事件不起訴
倫理 合意形成進む
射水市民病院で末期がん患者ら7人が
人工呼吸器を外され死亡した問題。
殺人容疑で書類送検された主治医2人について、
呼吸器外しを延命治療での一連の行為ととらえた地検は、
嫌疑不十分の不起訴処分という結論を導き出した。
事件は医療界に終末期医療のガイドラインづくりを促した。
伊藤医師は記者会見で、医療について主張を展開した
=高岡市戸出町3丁目
21日午後3時。地検は不起訴処分の発表をした。
「呼吸器装着と取り外しは、延命治療とその中止に過ぎない。
殺人の実行行為ではない」
地検は不起訴処分にあたり、家族が満足いくみとりのために、
あえて呼吸器を装着して延命するケースもあることを勘案した。
そのため、北海道や和歌山県で起きた呼吸器外し問題よりも
踏み込んだ判断に至った。
◇
事件の発覚から4年弱の間に、
終末期医療をめぐる環境は様変わりした。
病院側が7人の延命治療中止という事実を公表したのは
2006年3月。
これまでの延命治療の中止問題では例がないほど、
多くの患者が死亡していた事実に医療界には衝撃が広がった。
これを受け、07年5月、厚生労働省は
「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を発表。
延命治療の中止は医師の独断ではなく、
医療チームで合意形成することなどを盛り込んだ。
日本救急医学会も同年、呼吸器の取り外しも選択肢に、
延命治療の中止の基準や方法を具体的に示すガイドラインを
提言として公表した。
◇
射水市民病院では午後7時半から、
麻野井英次院長が記者会見した。
集まった報道陣を前に、
「検察の結論は、2人の医師にとって良かったと思う。
問題を契機に、医療従事者だけでなく、
社会全体が人の命の終わりにどう臨むかを
真剣に考えるようになった」
とするコメントを読み上げた。
厚生労働省のガイドラインを取り上げ、
「医療に携わる者の基本的な姿勢も明確になった」
と話した。
さらに
「取り外しに関する社会の大きな反響は、
結果的にこのような行為に対し、
医療従事者は極めて慎重でなければならないことを
再認識させたと思う」
とも述べた。
呼吸器の取り外しは、麻野井院長が問題視したことで発覚した。
記者に、取り外しのプロセスについて質問された麻野井院長は
「もう少し慎重であるべきという考えは今も変わらない」
と話した。
また、警察に判断を委ねたことを問われ、
「当時はそうせざるを得なかった」
と振り返った。
会見場所では、殺人容疑で書類送検された
外科第二部長だった男性医師(49)のコメントも配られた。
「今回の不起訴処分を、厳粛に受け止めています。
今回の事件を通して、生命倫理、医の倫理について、
改めて深く考えさせられました」
◆「呼吸器の着脱は患者・家族配慮」 伊藤医師
射水市民病院の元外科部長、伊藤雅之医師(54)は
21日までに、複数回にわたって取材に応じた。
◇
検察と医療の両方が、共通の認識を見つけられたことは当然で、
今回の検察の決定は納得している。
呼吸器の着脱に関しても、家族や患者への配慮として行ったこと
で、十分に志があったと思っている。
志があったからこそ、事件ではないと結論を出したのだろう。
だが、どういう状況で着脱したかは患者によって違う。
「呼吸器は取り外せる」
という短絡したものではない。
これから先に同じような患者がいた場合、呼吸器を外すことを
選択するかもしれない。
患者のために一番良い方法なら選択するのが、
患者の第一の味方になりたいという医者の考えることだ。
患者の人工呼吸器を外すのは、独断ではなかった。
家族や同僚とも話した。
相互が主観的に1つの合意を生み出したもので、
正義は実現されていたはずだ。
人工呼吸器を外すということにだけ
スポットが当てられてきたが、
「どうして亡くなる患者に(装置を)着けたか」
を考えてほしいと思う。
例えばみとりに間に合わない家族がいる場合、着けることもある。
それはみとりの行為であり、
(殺人といわれるような)命を縮めたのではなく、
むしろ自然に亡くなる時期を延ばしたケースだ。
この件の後、(医療界では)ガイドラインづくりなども
進んだが、ルールというのは、医師の洞察力を欠くことになる。
「罪に問われたくないから」
という姿勢は間違っている。
助けようとする努力こそ重要だ。
【キーワード】
射水市民病院の人工呼吸器外し事件
2000〜05年、射水市の射水市民病院に入院していた
50〜90代の患者7人が、
当時の外科部長ら医師2人に人工呼吸器を外され死亡した。
呼吸器を外すよう指示された看護師が病院幹部に相談して
発覚し、06年3月に病院が公表した。
死亡した7人には、末期の胃がんや膵臓(すい・ぞう)がんの
ほか、肺炎が悪化して心肺停止となった患者や認知症に加えて
急性腎不全になった患者もいた。
届けを受けた富山県警は08年7月、
医師2人を殺人容疑で書類送検した。
朝日新聞 2009年12月22日(火)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2009(平成21)年12月23日(水)
朝日新聞
asahi.com>マイタウン>富山
延命時代 〜「死への要望書」波紋〜
http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000000912230001
院長様
意思の疎通を図れなくなったら、
呼吸器を外して死亡させて頂きたく、事前にお願い申し上げます。
07年5月、千葉県勝浦市に住む照川貞喜さん(69)は、
家族全員の署名捺印(しょ・めい・なつ・いん)とともに、
要望書を病院に提出した。
全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病
「筋萎縮(きん・い・しゅく)性側索硬化症」(ALS)
を患う。
体が動かせなくなれば、延命治療をやめて欲しいと求めた。
警察官だった照川さんが体の異変に気づいたのは、20年前だ。
ある日、冷蔵庫を運ぼうとして腰が砕けた。
「運動不足か」と思ったが、違った。
手が思うように動かない、つまずいて転んでしまう。
病院を訪ねて回り、ALSと診断されたのは1年半後だった。
病状の進行は速かった。
翌春、呼吸が不自由となり人工呼吸器をつけた。
言葉を失い、やがて手足も動かなくなった。
92年、自宅で寝たきりの生活が始まった。
それでも外部との意思疎通に執念を見せた。
指先、額のしわ、あごの力、動かせる部分を探しては、
それに反応するセンサーを作って、自らの思いを伝えてきた。
パソコンを駆使して著書も2冊出した。
モットーは「体は不自由でも、心は自由」。
しかし、残酷にも体は日々動かなくなる。
「ある日、体の機能が1つ停止する。ショックですよ。
それが、これでもかと何度も繰り返される。
もう、後がない」
脳も知覚も正常なのに、運動機能がすべて失われて「対話」が
できなくなるときが、いつか訪れる。それをずっと恐れてきた。
06年、パソコンを使って、思いをつづり始めた。
1年がかりで仕上げた「要望書」は、9ページに及んだ。
「意思の疎通もできなくなれば、精神的な死を意味します。
闇夜の世界に身を置くことは耐えられません。
人生を終わらせてもらえることは、
栄光ある撤退と確信しています」
要望書を受け取った亀田総合病院(千葉県鴨川市)の
倫理問題検討委員会は、1年近く議論を続けた。
「生きて欲しい。技術進歩の可能性もある」
といった慎重論も根強かった。
だが、
「自分が照川さんだったら」
と考えたとき、反対できる者はいなかった。
「(呼吸器を外しても)倫理上の問題はない」
と、全会一致の結論を出した。
しかし、報告を受けた亀田信介院長は、
呼吸器を外すことを認めなかった。
「呼吸器を外せば医師が逮捕される恐れがあり、難しい」。
倫理面の議論をどんなに深めても、
最後に法律の問題が高く立ちはだかった。
検討委員会の委員長を務めた
田中美千裕(み・ち・ひろ)医師(43)は
「照川さんの問題は、多くのケースと通じる」
と話す。
医療現場ではいま、医師が家族らに頼まれても、
「捜査への恐れ」から呼吸器を外せないのが現実だという。
射水市民病院などでの「事件」を受け、国や医学会などは
どういう場合なら行為が許されるかのガイドラインを
相次いで打ち出した。
だが、どこからが「殺人」となるのか、境界はみえない。
田中医師は、医師だけでこの問題を考えることの限界を
強く感じたと話す。
「国のお墨付きがないと、100年かけても解決できない。
でも、考えるのをやめてはいけないと思う。
第2の照川さんは、すぐ出てくるはずだから」
◇
いま、照川さんが動かせるのは眼球と右ほおだけとなった。
「闇夜の世界」は、もういつ訪れてもおかしくない。
「夫は生きがいをみつけ、呼吸器を着けて
本当によかったと思っている、ねえ」。
介護を続ける妻・恵美子さん(66)が話しかけると、
「ピロピロピロ」とブザーが鳴った。照川さんの相づちだ。
「その本人が、動けなくなったら死にたいと言っている。
一度つけた呼吸器は外せないなんて変ですよ。
長生きさせるだけが医療という時代じゃないと思いませんか」
「ピロピロピロ」。部屋にブザーの音がまた、響いた。
◇ ◇
命を延ばす医療技術が進む現代、患者や医師が描く
人生の終わりと法が相いれない場面が出てきた。
射水市民病院問題をきっかけに、
医と法のはざまに揺れる現場を見た。 (高野 遼)
朝日新聞 2009年12月23日(水)
朝日新聞
asahi.com>マイタウン>富山
終末期医療 手探り続く
http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000000912220003
呼吸器外しが問題となった射水市民病院
射水市民病院事件不起訴
倫理 合意形成進む
射水市民病院で末期がん患者ら7人が
人工呼吸器を外され死亡した問題。
殺人容疑で書類送検された主治医2人について、
呼吸器外しを延命治療での一連の行為ととらえた地検は、
嫌疑不十分の不起訴処分という結論を導き出した。
事件は医療界に終末期医療のガイドラインづくりを促した。
伊藤医師は記者会見で、医療について主張を展開した
=高岡市戸出町3丁目
21日午後3時。地検は不起訴処分の発表をした。
「呼吸器装着と取り外しは、延命治療とその中止に過ぎない。
殺人の実行行為ではない」
地検は不起訴処分にあたり、家族が満足いくみとりのために、
あえて呼吸器を装着して延命するケースもあることを勘案した。
そのため、北海道や和歌山県で起きた呼吸器外し問題よりも
踏み込んだ判断に至った。
◇
事件の発覚から4年弱の間に、
終末期医療をめぐる環境は様変わりした。
病院側が7人の延命治療中止という事実を公表したのは
2006年3月。
これまでの延命治療の中止問題では例がないほど、
多くの患者が死亡していた事実に医療界には衝撃が広がった。
これを受け、07年5月、厚生労働省は
「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を発表。
延命治療の中止は医師の独断ではなく、
医療チームで合意形成することなどを盛り込んだ。
日本救急医学会も同年、呼吸器の取り外しも選択肢に、
延命治療の中止の基準や方法を具体的に示すガイドラインを
提言として公表した。
◇
射水市民病院では午後7時半から、
麻野井英次院長が記者会見した。
集まった報道陣を前に、
「検察の結論は、2人の医師にとって良かったと思う。
問題を契機に、医療従事者だけでなく、
社会全体が人の命の終わりにどう臨むかを
真剣に考えるようになった」
とするコメントを読み上げた。
厚生労働省のガイドラインを取り上げ、
「医療に携わる者の基本的な姿勢も明確になった」
と話した。
さらに
「取り外しに関する社会の大きな反響は、
結果的にこのような行為に対し、
医療従事者は極めて慎重でなければならないことを
再認識させたと思う」
とも述べた。
呼吸器の取り外しは、麻野井院長が問題視したことで発覚した。
記者に、取り外しのプロセスについて質問された麻野井院長は
「もう少し慎重であるべきという考えは今も変わらない」
と話した。
また、警察に判断を委ねたことを問われ、
「当時はそうせざるを得なかった」
と振り返った。
会見場所では、殺人容疑で書類送検された
外科第二部長だった男性医師(49)のコメントも配られた。
「今回の不起訴処分を、厳粛に受け止めています。
今回の事件を通して、生命倫理、医の倫理について、
改めて深く考えさせられました」
◆「呼吸器の着脱は患者・家族配慮」 伊藤医師
射水市民病院の元外科部長、伊藤雅之医師(54)は
21日までに、複数回にわたって取材に応じた。
◇
検察と医療の両方が、共通の認識を見つけられたことは当然で、
今回の検察の決定は納得している。
呼吸器の着脱に関しても、家族や患者への配慮として行ったこと
で、十分に志があったと思っている。
志があったからこそ、事件ではないと結論を出したのだろう。
だが、どういう状況で着脱したかは患者によって違う。
「呼吸器は取り外せる」
という短絡したものではない。
これから先に同じような患者がいた場合、呼吸器を外すことを
選択するかもしれない。
患者のために一番良い方法なら選択するのが、
患者の第一の味方になりたいという医者の考えることだ。
患者の人工呼吸器を外すのは、独断ではなかった。
家族や同僚とも話した。
相互が主観的に1つの合意を生み出したもので、
正義は実現されていたはずだ。
人工呼吸器を外すということにだけ
スポットが当てられてきたが、
「どうして亡くなる患者に(装置を)着けたか」
を考えてほしいと思う。
例えばみとりに間に合わない家族がいる場合、着けることもある。
それはみとりの行為であり、
(殺人といわれるような)命を縮めたのではなく、
むしろ自然に亡くなる時期を延ばしたケースだ。
この件の後、(医療界では)ガイドラインづくりなども
進んだが、ルールというのは、医師の洞察力を欠くことになる。
「罪に問われたくないから」
という姿勢は間違っている。
助けようとする努力こそ重要だ。
【キーワード】
射水市民病院の人工呼吸器外し事件
2000〜05年、射水市の射水市民病院に入院していた
50〜90代の患者7人が、
当時の外科部長ら医師2人に人工呼吸器を外され死亡した。
呼吸器を外すよう指示された看護師が病院幹部に相談して
発覚し、06年3月に病院が公表した。
死亡した7人には、末期の胃がんや膵臓(すい・ぞう)がんの
ほか、肺炎が悪化して心肺停止となった患者や認知症に加えて
急性腎不全になった患者もいた。
届けを受けた富山県警は08年7月、
医師2人を殺人容疑で書類送検した。
朝日新聞 2009年12月22日(火)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2009(平成21)年12月23日(水)
朝日新聞
asahi.com>マイタウン>富山
延命時代 〜「死への要望書」波紋〜
http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000000912230001
院長様
意思の疎通を図れなくなったら、
呼吸器を外して死亡させて頂きたく、事前にお願い申し上げます。
07年5月、千葉県勝浦市に住む照川貞喜さん(69)は、
家族全員の署名捺印(しょ・めい・なつ・いん)とともに、
要望書を病院に提出した。
全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病
「筋萎縮(きん・い・しゅく)性側索硬化症」(ALS)
を患う。
体が動かせなくなれば、延命治療をやめて欲しいと求めた。
警察官だった照川さんが体の異変に気づいたのは、20年前だ。
ある日、冷蔵庫を運ぼうとして腰が砕けた。
「運動不足か」と思ったが、違った。
手が思うように動かない、つまずいて転んでしまう。
病院を訪ねて回り、ALSと診断されたのは1年半後だった。
病状の進行は速かった。
翌春、呼吸が不自由となり人工呼吸器をつけた。
言葉を失い、やがて手足も動かなくなった。
92年、自宅で寝たきりの生活が始まった。
それでも外部との意思疎通に執念を見せた。
指先、額のしわ、あごの力、動かせる部分を探しては、
それに反応するセンサーを作って、自らの思いを伝えてきた。
パソコンを駆使して著書も2冊出した。
モットーは「体は不自由でも、心は自由」。
しかし、残酷にも体は日々動かなくなる。
「ある日、体の機能が1つ停止する。ショックですよ。
それが、これでもかと何度も繰り返される。
もう、後がない」
脳も知覚も正常なのに、運動機能がすべて失われて「対話」が
できなくなるときが、いつか訪れる。それをずっと恐れてきた。
06年、パソコンを使って、思いをつづり始めた。
1年がかりで仕上げた「要望書」は、9ページに及んだ。
「意思の疎通もできなくなれば、精神的な死を意味します。
闇夜の世界に身を置くことは耐えられません。
人生を終わらせてもらえることは、
栄光ある撤退と確信しています」
要望書を受け取った亀田総合病院(千葉県鴨川市)の
倫理問題検討委員会は、1年近く議論を続けた。
「生きて欲しい。技術進歩の可能性もある」
といった慎重論も根強かった。
だが、
「自分が照川さんだったら」
と考えたとき、反対できる者はいなかった。
「(呼吸器を外しても)倫理上の問題はない」
と、全会一致の結論を出した。
しかし、報告を受けた亀田信介院長は、
呼吸器を外すことを認めなかった。
「呼吸器を外せば医師が逮捕される恐れがあり、難しい」。
倫理面の議論をどんなに深めても、
最後に法律の問題が高く立ちはだかった。
検討委員会の委員長を務めた
田中美千裕(み・ち・ひろ)医師(43)は
「照川さんの問題は、多くのケースと通じる」
と話す。
医療現場ではいま、医師が家族らに頼まれても、
「捜査への恐れ」から呼吸器を外せないのが現実だという。
射水市民病院などでの「事件」を受け、国や医学会などは
どういう場合なら行為が許されるかのガイドラインを
相次いで打ち出した。
だが、どこからが「殺人」となるのか、境界はみえない。
田中医師は、医師だけでこの問題を考えることの限界を
強く感じたと話す。
「国のお墨付きがないと、100年かけても解決できない。
でも、考えるのをやめてはいけないと思う。
第2の照川さんは、すぐ出てくるはずだから」
◇
いま、照川さんが動かせるのは眼球と右ほおだけとなった。
「闇夜の世界」は、もういつ訪れてもおかしくない。
「夫は生きがいをみつけ、呼吸器を着けて
本当によかったと思っている、ねえ」。
介護を続ける妻・恵美子さん(66)が話しかけると、
「ピロピロピロ」とブザーが鳴った。照川さんの相づちだ。
「その本人が、動けなくなったら死にたいと言っている。
一度つけた呼吸器は外せないなんて変ですよ。
長生きさせるだけが医療という時代じゃないと思いませんか」
「ピロピロピロ」。部屋にブザーの音がまた、響いた。
◇ ◇
命を延ばす医療技術が進む現代、患者や医師が描く
人生の終わりと法が相いれない場面が出てきた。
射水市民病院問題をきっかけに、
医と法のはざまに揺れる現場を見た。 (高野 遼)
朝日新聞 2009年12月23日(水)