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いろいろと勉強中です。

なお、このブログは、自死等の相談に応じるものではありません。


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境界を生きる:性分化疾患 反響特集 苦悩に寄り添いたい(毎日新聞) [2009年10月22日(Thu)]
2009年10月22日(木)
毎日新聞
トップ>ライフスタイル>新着記事

境界を生きる:性分化疾患 反響特集 苦悩に寄り添いたい
http://mainichi.jp/life/today/news/20091022ddm013100150000c.html

ホルモンなどの異常で性別の区別が難しい病を取り上げた連載
「境界を生きる〜性分化疾患」に多くの反響をいただきました。

一部を紹介し、この病気が抱える重い現実や課題を
改めて考えます。【丹野恒一】

「40年前、姉は20歳で自ら命を絶ちました。
 後になって、染色体のレベルでは男性だったと知りました」

姉を止められなかった自責の念から自殺防止の電話相談
ボランティアに携わってきたという50代の女性から
メールが届いた。2人が生まれ育った地方都市を訪ねた。

幼少時から竹ひごで飛行機を作ったり、虫捕りが好きで
男の子とよく遊ぶ姉だったという。

4歳年下の自分に初潮が来ても、姉はまだだった。
思春期を過ぎると、ボーイッシュな雰囲気が際立ってきた。

姉の体に人に言えない秘密があることは、
親せきのひそひそ話などからうすうす感じていたという。

大学を目指して都会で浪人生活をしていた姉は、
帰省していた冬のある日、自宅の物置で首をつった。
前夜、2人きりの時に姉は
「自殺って、どう思う?」
と聞いてきた。

当時高校1年だった女性は
「怖くてできないよ、そんなこと」
とだけ答えた。

「姉はもっと話したかったのかもしれない。
 もし、そうしていたら……」

姉の死後、うつ病を患った母親は、ポツリポツリと話してくれた。
姉は高校卒業後、男女どちらかあいまいだった外性器を
女性に近づける手術を遠い町でひそかに受けた。

しかし、心はどちらかといえば男に近かった。
姉はギャップに苦しみ、手紙に悩みをしたためては
母親に送っていたという。

「私にはそんなそぶりを全く見せなかった。
 妹の前では最後まで『いいお姉さん』を貫いてくれたのだろう」

女性は連載を読み、姉と同様に染色体が男性型の女子学生が
自殺した事実に心が痛んだという。

「当事者の苦しみは40年前も今も変わっていない。
 どうしたら生き抜いてくれるのか」。

ボランティアで培った相談の経験を生かし、
まだ少ない性分化疾患の自助グループのサポートができないか
と考え始めている。

「姉がそう望んでいる気がするのです」

◇夫にも秘密…差別におびえ続け

感想を3回にわたり封書で送ってくれた女性(60)がいた。
便せんで計22枚。当事者の悲痛な思いが凝縮されていた。

女性は第二次性徴が来ず、19歳の時に子宮も卵巣もないと
診断されたという。
26歳で今の夫と出会い、子どもが産めない体だと手紙で告白。

夫は悩んだ末に
「一緒に生きていこう」
と言ってくれた。

30歳を過ぎたころ、足の付け根のしこりが気になり受診した。
しこりは精巣で、染色体も男性型だと分かった。

それからは
「自分は男なのか」
という思いが頭から離れず、性交渉が苦痛になった。

夫には今も真実を隠している。母親と自分だけの秘密だ。
「この苦しみから解放されるのは
 死んで荼毘(だび)に付される時」
との覚悟もある。

「中間の性で生まれてきてしまった」
と自分を納得させている女性だが、連載で取り上げた
「第三の性」や、新生児の性別判定に猶予期間を設けることには、
「反対」という。

差別の解消が生易しいものではないことを、
おびえて生きてきた実体験で知っているからだ。

でも、現状を悲観するだけではない。
手紙は社会へのこんな訴えで締めくくられていた。

「まずは存在を知ってほしい。
 あなたの子として生まれてくるかもしれないのだから」

◆息子の先天性の病気でお世話になっている病院があります。
 さまざまな病と闘う親子と出会い、苦しい治療の末に
 亡くなった子もいますが、最も衝撃的だったのは
 (外性器の形状があいまいなことが多い)副腎皮質過形成の子
 との出会いでした。
 
 出生届の期限ぎりぎりまで性別判定がつかず、
 その間、親友からの電話にも出られずにいた
 両親の苦悩は他の病とは全く異質のものでした。

 子を亡くすよりもある意味つらいのでは、そう感じてしまった
 自分に大きな偏見があると思い知り、自己嫌悪に陥りました。
 =堺市、40代主婦

◆聴講していた大学で知り合った人が
 性別の揺れに苦しんでいました。
 テレビでは性同一性障害のタレントをちゃかすような場面を
 見ますが、大勢の人は社会で普通に暮らしています。

 その人たちが悩まずに生活できるよう、マスコミも真剣に
 第3の性を設ける議論をしてほしい。
 =前橋市、主婦、生方あいのさん(40)

◆持病があり医学書を読みあさったので、以前から性分化疾患を
 知っていました。
 「男らしく」「女らしく」を社会が必要以上に求める限り、
 差別や偏見はなくならない。
 結婚しなくても、子どもがいなくても住み良い社会に
 すべきです。=長野県塩尻市、不動産業、60代男性

◆今まで人には男と女の2種類しかないと思い込んでいました。
 でも大きな間違いで、無知と無理解が偏見となり
 当事者やその家族を苦しめると初めて知りました。
 恥ずかしいです。

 マイノリティーの問題をみんなで考え、理解を深めれば、
 社会は少しずつ住みやすくなっていくと思います。
 =札幌市、主婦、対馬三枝子さん(54)

◆2人目の子を産み、育児休業中です。
 以前に芝居で「両性具有」という言葉を聞いた覚えは
 ありますが、現実のこととは想像もしませんでした。
 性分化疾患の子が生まれたときの親御さんの戸惑いは
 いかばかりでしょう。

 今回の連載で、自分だけではないかと苦しんできた
 患者や家族が暗闇から抜け出せますように。
 =愛知県、会社員、牛田敬子さん(42)

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性分化疾患

毎日新聞 東京朝刊 2009年10月22日(木)
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