CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

NPO法人宮崎自殺防止センターを応援したい

NPO法人国際ビフレンダーズ 宮崎自殺防止
センターでボランティア活動を始めました。
いろいろと勉強中です。

なお、このブログは、自死等の相談に応じるものではありません。


NPO法人宮崎自殺防止センター
■ TEL 0985(77)9090
■ 毎週 日・水・金曜日
   午後8時から午後11時まで(3時間)


<< 2009年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
月別アーカイブ
カテゴリアーカイブ
最新記事
大学生に薬物乱用防止パンフ=70万部を配布−文科省(時事通信社) [2009年03月25日(Wed)]
2009(平成21)年03月25日(水)
時事ドットコム(時事通信社)
ホーム>指定記事

大学生に薬物乱用防止パンフ=70万部を配布−文科省
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200903/2009032500745



大学生による大麻取締法違反事件が相次いだことから、
文部科学省は25日、薬物乱用防止のために厚生労働省、警察庁
と協力して作成した啓発パンフレットを公表した。

全国の大学、短大の新入学生向けに約70万部を配布するほか、
文科省のホームページでも閲覧、印刷できる。

パンフレットはA4判、4ページで、
「薬物依存症になった脳は元には戻らないと考えられている」
と警告。海外での吸引をきっかけに大麻依存となった元大学生の
手記を掲載した。

(時事通信社 2009/03/25-17:24)
【枝雀と私】早坂暁さん 透明感あればこそ抽象世界表現(朝日新聞) [2009年03月25日(Wed)]
2009(平成21)年03月25日(水)
朝日新聞
asahi.com>関西>短期連載

【枝雀と私】早坂暁さん 透明感あればこそ抽象世界表現
http://www.asahi.com/kansai/mini-rensai/OSK200903250027.html



笑顔の枝雀=1985年ごろ



桂枝雀について語る早坂暁氏=中里友紀撮影

芝居にドラマにと、枝雀さんは僕にとって女優の桃井かおりさん
と並んで、最もたくさん組んだ俳優でした。
舞台「好色一代男」では、若いグラマーな女の子に背負われる
場面があったなあ。僕は
「女の子の懐に手をつっこんで」
と指示した。

「えっ、いいんですか。役得ですねえ」。
どうなるかと見ていたら、特に手が動くこともなくてね。
遊び人を演じるんだからもうちょっと触っていいのにと、
僕は思っていたけど。でも、枝雀さんはそういう人だったんだ。

一緒に作っていった落語芝居のシリーズは枝雀さんのキャラクター
があったから、思いついたんだ。90年代に取り組んだ
芝居「変身」では、カフカのような「虫になる」のではなく、
「女になる」という筋書きにした。彼の演じる太鼓職人が急に
おっぱいが大きくなり、おちんちんがなくなってしまうんだ。
普通はそんな役だとどこかグロテスクになり、いやらしさが
出てくるものだ。でも、枝雀さんは「おかしさ」しか残らない。
そこが魅力だったんだね。

落語も同じだった。ある意味、あんな行儀の悪い落語はなかった
からね。着物がはだけ下着が見えそうになるぐらいやるんだから。
でも、なぜか嫌な感じはしない。

思い出すのは、84年に東京・歌舞伎座で演じていた
「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」。
僕も学生時代に歌舞伎のアルバイトであの大舞台に出たことが
あるが、大きさに見とれてきっかけを外してしまった。

枝雀さん負けなきゃいいけどなあと思っていたら、鬼気迫る
おもしろさでとてつもなくウケさせた。
たった1人で観客を圧倒していく姿にはびっくりさせられた。

亡くなる2年ほど前、ドラマ「新花へんろ」の語り手をお願い
した。渥美清さんの後任で、喜んで引き受けてくれたんだけれど、
ロケ地の愛媛に行ってから病院に入った。

診断は「鬱(うつ)病。自殺の恐れあり」。信じられなかった。
そういえば、高座で目をむいたりしなくても十分おもしろいから
やめた方がいいと言ったことがある。でも、やめなかった。

病気で気持ちが落ちてしまう経験をしたから、おもしろいだろう、
おもしろいだろうと常に自分を励まし続けていたんだと思う。

枝雀さんは透明感のある人だった。それで、落語でも芝居でも
抽象的な世界を表現することができたんだろう。
稀有(けう)な存在で、まるで別の惑星からやって来た宇宙人の
ようでもあった。

一緒にやりたいことはまだまだあったんだけど、枝雀さんがいなく
なってしまい、がっかりした僕は小説を書く方に気持ちが向いて
いったんだ。あんな人はもう現れないかな。



はやさか・あきら 29年、愛媛県生まれ。日本大芸術学部卒、
脚本家、作家。代表作に「夢千代日記」「花へんろ」。
80年のドラマ「暁は寒かった」以降、舞台などに枝雀をたびたび
起用した。



(この連載は篠塚健一が担当しました)

朝日新聞 2009年03月25日
原爆肯定怒りに言葉なく 郭福順さん(朝日新聞) [2009年03月25日(Wed)]
2009(平成21)年03月25日(水)
asahi.com>マイタウン>広島

平和を考える【聞きたかったこと 〜被爆から63、64年〜】

原爆肯定怒りに言葉なく 郭福順さん
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000160903250001



郭福順さん。証言した子たちから届く贈り物や折り鶴は
「元気をくれるものだから」
とすべて大切に保管している=広島市西区



韓国伝統のチマ・チョゴリを着た
20代ごろの郭福順さん(右端)=郭さん提供

髪が逆立った気がした。
「原爆を落とさなければ戦争は終わらなかった。
原爆は20万人の兵士を救った」。

22年前、在日韓国人被爆者の代表として米国を訪れた
郭福順(かく・ふく・じゅん)さん(80)=広島市西区=に、
国務省の担当者は言った。

背が高く、さっそうとしたスーツ姿に青い目。一瞬、あこがれ
さえ抱いた男性の言葉に、郭さんはうちひしがれた。
何も言い返せなかった悔しさをバネに、今日まで若者や日本を
訪れる外国人らへの証言を続けている。



16歳の時、広島市大手町(現・中区)で住み込みの家事手伝い
をしていた。隣の下宿屋のおばさんから
「配給の米を取りに行こう」
と誘われた。支度をしていた時、大きな爆撃機を見た。
直後、爆音とともに家が崩れ下敷きになった。
爆心地から0・9キロ。

すき間から、火がちらちらと見えた。何度叫んでも誰も来ない。
大した傷は負っていない。自力ではい出せたものの、
何が起きたか見当が付かない。着ていたワンピースをちぎり、
板きれに結びつけて即席のげたをつくった。がれきの山を踏み越え、
ひたすら逃げた。



市内の防空壕(・・ごう)で一晩を過ごした郭さんは翌日、
矢野町(現・広島市安芸区)にいた父親のもとへ戻った。
終戦2年後に結婚。塗装店をしていた夫の仕事を手伝いながら、
4人の子を育てた。血を吐くこともたびたびあったが、
買い出しで各地を行ったり来たりする生活が忙しく、
病院へ足を運ぶことはなかった。

原爆を忘れたかった。被爆者であることも、家族以外にほとんど
話さなかった。



87年、在日本大韓民国民団に入った息子を通じて親交があった
在韓被爆者支援団体の関係者から訪米を持ちかけられた。
核廃絶を願って米国の市民と交流することを目的とした
「ピースフライト」に参加してほしいという。
海外旅行の経験はなく、英語も話せない。何を語ればいいのかも
わからなかった。

断り切れずに日本人被爆者2人と一緒に8月に出発。
約1週間滞在し、首都ワシントンでは、ホワイトハウスの前で
米の反核団体のメンバーらと祈りをささげたり、アーリントン
国立墓地を訪ねたりした。
墓碑を埋め尽くした戦争犠牲者の兵士の名前に胸が痛んだ。

国務省を訪ねたのはその後だった。出てきた担当者は俳優のよう
にかっこよく、胸がときめいた。なのに、原爆を肯定する発言。
涙があふれ、息が止まりそうになった。

「『20万人が救われた』って、広島の市民は死んでもよかった
ということなの。赤ちゃんまで死んだのよ」

だが、怒りを言葉に変え、ぶつけることはできなかった。
この悔しさが転機となった。



郭さんは帰国直後から、広島を訪れる人たちに被爆体験を
証言する活動を始めた。

岡山県の小学生たちが最初の聴き手だった。いざ語り始めると、
自分の思いをうまく伝えられない。涙がこみ上げ、何度も話を
中断した。
「やっぱり私は語るべきではないんだわ」。
思いはいったんくじけた。

だが1カ月後、小学3年の男の子が、いじめを苦に自殺したとの
ニュースが郭さんの気持ちを揺さぶった。

「死ぬほどのエネルギーがあるなら、なんで生にしがみついて
くれないの」。

かけがえのない「命」について語りたい。
子どもたちの前に再び立つ決意が固まった。

証言を始める時、あの日の悲惨な光景を常に思い出す。
橋の上に、何十人もの子どもたちが寝かされていた。
顔がやけどでパンパンに腫れ、身じろぎもしない。
かたわらで必死に薬を塗る女性がいた。無駄としか思えなかった。

原爆は数え切れないほどの人の命を奪った。生き延びた人の多く
も家族を失い、後遺症に苦しむ。
だから、若い人には生きていることの大切さを知ってほしい。

「大切な人が死んでしまったら、生きている人にとっても
地獄なんよ。自分だけが死んでいいの。もっと命を考えて」。

語り終えた時、目はいつも涙で赤くなる。



郭さんは98年、悪性膀胱(ぼう・こう)がんと診断された。
入退院を繰り返しているが、死は決して怖くはない。
あの朝、誘いに来た下宿屋のおばさんは被爆直後に死んだと
後に聞いた。だが自分は紙一重の差で生き延び、11人の孫も
できた。

「生かされてるんじゃ、っていう思いが強くてね」
足にガラスが突き刺さった無数の跡が残る。ズボンのすそを
めくって見るたびに、なぜ自分が生き延びたのか考える。
どんなに体調が悪くても、証言を休む気はない。(江戸川夏樹)

朝日新聞 2009年03月25日
連続講座:自殺回避へ柳田邦男さんが講演 生と死考える会、射水で/富山 等(毎日) [2009年03月25日(Wed)]
2009(平成21)年03月25日(水)
毎日新聞 地方版
トップ>地域ニュース>富山

連続講座:自殺回避へ柳田邦男さんが講演
生と死考える会、射水で/富山
http://mainichi.jp/area/toyama/news/20090325ddlk16040650000c.html

◇生身のコミュニケーション回復を
「ネット社会と心の危機」ノーゲーム・携帯の日、作れ

自殺を回避できる手立てを考える「富山生と死を考える会」
(豊原則子代表)の連続講座の講演会が、射水市三日曽根の
高周波文化ホールで開かれ、ノンフィクション作家の
柳田邦男さんが「ネット社会と心の危機」の演題で講演した。

講演に先立ち、河村幹治・県健康課長が、県内の自殺者の
現状と対策について説明。県内の自殺者数は毎年300人
前後で推移し、ここ2年は減少傾向にあったが、昨年、
増加に転じ、中でも、うつ病患者が多いという。

柳田さんは、インターネットや携帯電話の普及で、生身のコミュ
ニケーションが減り、子供の人格形成が難しくなっていることが、
集団ネットいじめや学校裏サイトでの中傷の原因だと指摘。

ある小児科病棟の待合室で、ほとんどの母親が授乳しながら
携帯電話を操作しているという話を紹介し、幼少期の親子間の
コミュニケーションの大切さを訴えた。

また、近年、「だいじょうぶだよ、ゾウさん」(文溪堂)など
海外の秀作絵本の翻訳にも力を入れる柳田さんは、
絵本の読み聞かせと年に数回のノーテレビ、ノーゲーム、
ノー携帯の日を設けることをアドバイス。
柳田さん自身が推薦する絵本数冊も紹介した。

周囲で相次いで自殺者があったという豊原代表は
「自殺は遺族の悩みも大きい。自分、家族を大切にして
明るい人生を送れる社会になってほしい」
と話していた。 【青山郁子】

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

2009(平成21)年03月25日(水)
毎日新聞 地方版
トップ>地域ニュース>富山

自殺者数:昨年1〜10月の県内、251人 一転、増加 全国では減少 /富山
http://mainichi.jp/area/toyama/news/20090325ddlk16040655000c.html

◇9、10月著しく 経済・雇用悪化反映か

08年1〜10月の自殺者数が、全国では計2万5,350人と、
前年同期比3・8%減だったのに対し、県内では251人と
約1割増え、通年でも前年を上回る見通しとなったことが
厚生労働省の人口動態統計で分かった。

県内の年間自殺者数が増加に転じるのは3年ぶり。
急激な経済・雇用情勢の悪化に伴い、今後、さらに増加すること
も懸念される。

県健康課によると、08年1〜10月に自殺した県民は
男性174人、女性77人。女性が前年同期比26・2%増と
大幅に増え、男女合計でも同9・6%増となった。
特に、期間後半の増加が著しく、9、10両月の合計は
同78%増の66人だった。

これまで、県内の自殺者数は年間300人前後で推移。
03年には過去最高の356人を記録した。
県は、自殺者を減らすための施策に取り組み、06年からは
2年連続で減少していた。

同課は
「経済的理由による自殺の増加が心配だ。
各機関の連携を強化して対策を考えたい」
としている。 【茶谷 亮】

毎日新聞 2009年03月25日 地方版

酒屋受難 規制に守られ、緩和で泣いた(毎日新聞) [2009年03月25日(Wed)]
2009(平成21)年03月25日(水)
毎日新聞 東京夕刊
トップ>ニュースセレクト>話題

特集ワイド:酒屋受難 規制に守られ、緩和で泣いた
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090325dde012040009000c.html

◇過去10年、転廃業・倒産5万件余 自殺は152件

転廃業・倒産数 5万3,997件。自殺 152件、
失踪・行方不明 3,338件。
これは、約10年間に全国の町の酒屋に起きた現実だ。
「経済活性化」や「消費者利益」などの掛け声の下で進められて
きた規制緩和。その背後で、一体何が起きているのだろうか。
【中川紗矢子】

◇「限定流通」で生き残りも

東京都足立区の北千住駅からバスで15分ほどの場所に、
昔ながらの飲食店が点在するのどかな商店街がある。
その一角で、主人が民生委員を務めるなど地域の世話役的な役割
を担ってきた酒屋が2月末、大正時代から続いた約90年の歴史に
幕を閉じた。店を訪ねると、店主の男性(73)が迎えてくれた。

男性は、十数年前から緑内障を患い、自転車の運転も危なくなる
中で、配達がほとんどを占める経営に見切りを付けたという。
創業者の父親から引き継いだ2代目。商売が安定したいい時代も
あった。

しかし、2年前に2軒隣に大手ディスカウントチェーン店が進出。
昨年には、約100メートルの距離に、安さを売りにする大型
スーパーがオープンし、店に入ってくる客はほとんどいなく
なった。

「普通の酒を売っていたら、食べていけなくなっちゃったね。
やっぱり今はもう、値段で勝負だから。問屋で仕入れるより、
そこのスーパーで買った方が安いんだよ。でも、いくらなんだって、
まさか買いに行くわけにもいかないし……」

男性は、年金を商売につぎ込む状態で、このままでは生活も大変
だと感じたと説明した。周囲を見渡すと、50歳くらいの年代の
店主は、やめるにやめられず、奥さんが他のアルバイトに出ている
ケースも聞くという。

「『やめられていいね』なんて言われたりします。
看板を残すには、みんな他からの収入を継ぎ足ししていますよ」



国税庁酒税課によると、酒屋の営業には税務署長が付与する
一般酒類小売業免許が必要だ。供給過多にならないよう、
大都市部は人口1,500人に対して1軒、大都市以外の都市部
は同1,000人に1軒(97年度まで)といった形に、
人口に対して酒屋免許の数が制限されていた。

また、既存の酒屋との距離を、都市部では100メートル以上、
郡部では150メートル以上離すといった距離基準もあり、
それらは結果として酒屋を守ってきた。

しかし、それらは規制緩和で段階的に廃止され、距離基準は
00年12月末に、人口基準は03年8月末に完全廃止された。

以後、コンビニやスーパー、ドラッグストアやホームセンター
など、あらゆる業種が新規参入し、昔ながらの町の酒屋の経営は、
急激に圧迫された。

正確な数値はないものの、国税庁のサンプリング調査によると、
コンビニなどすべての酒類小売業者に占める一般酒店(酒屋)の
割合は01年度には69・8%だったが、06年度には49・3%と激減した。

酒流通コンサルタント「I・P・A 日本酒情報研究所」(札幌市)
の橋本隆志社長は、こうした状況について、

「免許制度という構造の中、酒屋はかなり優遇されたポジション
で、並べれば売れる時代が長く続いていました。その結果、売る力
や市場を作る能力がほとんど培われてこなかった」

と分析する。

全国小売酒販組合中央会(444組合、約8万1000組合員)
の四十万(しじま)隆会長は、その指摘を認めた上で、
「逆に言うと、そうさせたのは行政でした」
と話す。

「私から言うと、甘えではなく、その中に押し込まれてきたのです。
もう一店舗出そうとしても許されなかったし、伸びようとする
チャンスも失わされてきた。行政は、ひ弱なものばかり作ってきて、
こうなることは予測できたのに、規制緩和で一気に直撃させた」

冒頭紹介した<転廃業・倒産数5万3,997件>というデータは、
同中央会が98年3月31日から08年8月31日(03年
2月1日から同8月31日を除く)の間の約10年間の集計である。
それを踏まえて、
「152人もの経営者が自ら死を選んだのは、国の政策のひずみ
です」
と訴える。



一方で、そんな厳しい状況下でも、売り上げを伸ばしている
酒屋もある。

競走馬の産地として知られる人口3万人弱の北海道新ひだか町に
ある酒店「地酒と米のときわ」は、最も売れる12月の月間
売り上げが昨年、規制緩和後の過去最高を記録した。

その理由を、店主の不動健治さんは
「皆さんが扱っていない商品を扱っているから売れてきている
のかな」
と分析。周辺では購入できない数百アイテムを扱い、00年ごろ
から「銘酒を楽しむ会」を組織した。

会での酒代はほとんど店持ちで、会費3000円で料理と銘酒を
楽しみ、つくり手の話に耳を傾ける。口コミで輪が広がり、
通信販売での売り上げも伸びた。

東京都江東区亀戸にある「はせがわ酒店」は、この20年近く、
毎年2ケタ成長を遂げている。普通の酒屋だったが、
「このままではじり貧だ」
と考えた長谷川浩一社長が、全国各地を地道にまわり、埋もれて
いるおいしい酒を発掘。90年代から日本酒に特化し始めたこと
から流れが変わった。

他の店にはないおいしいものを紹介することで、客からも蔵元から
も信用を得て、商品を企画・開発するまでになった。
蔵元と協力し独自ブランドとして誕生させたお酒は、
既に100商品以上。サミット(主要国首脳会議)などの国際会議
でも酒を紹介、納品するなど独自の立場を確立している。

そんな「はせがわ酒店」の成功の秘訣(ひけつ)は
「みんながやっていない分野で流行を作ってきた」(高木伸之専務)
こと。

つまり苦境の中でも売り上げを伸ばす店は品ぞろえなどで
独自の市場を切り開いている共通点がある。
これらの店で扱われている商品のほとんどは、蔵元が選んだ
限られた店舗でしか売られていない「限定流通」商品だ。
限定流通は、商品の希少性を高めると共に価格破壊に巻き込まれることを避けられるという利点がある。

酒販売の著書が多数ある酒販工学研究所の宇賀神重治さんは、
酒屋の生き残り戦略の1つとして限定流通を育ててきた人でも
ある。宇賀神さんは
「限定流通商品があれば、波及効果があります。それを探すには、
熱心な姿勢を見せて、好きな酒を探す。それが出発点です」。

多くの業種が厳しい経営状況の中、「限定流通」に生き残りの
ヒントが隠されているのかもしれない。

==============

◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mbx.mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

毎日新聞 2009年03月25日 東京夕刊
自殺対策:文通で苦悩に寄り添い 真福寺の加藤副住職「役に立てれば」/埼玉(毎日新聞) [2009年03月25日(Wed)]
2009(平成21)年03月25日(水)
毎日新聞 地方版
トップ>地域ニュース>埼玉

自殺対策:文通で苦悩に寄り添い 真福寺の加藤副住職「役に立てれば」/埼玉
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20090325ddlk11040290000c.html

◇「自殺対策に取り組む僧侶の会」メンバー、
さいたま・真福寺の加藤副住職

自殺を考え、悩む人たちに文通を通じて寄り添う僧侶がいる。
さいたま市北区の浄土宗真福寺の副住職、加藤健一さん(31)。

首都圏の宗派を超えた僧侶でつくる「自殺対策に取り組む僧侶の会」
(藤沢克己代表、22人)の県内唯一のメンバーだ。
僧侶になって3年。
「苦しむ人の役に立てる僧侶になりたい」
との思いがある。 【山崎征克】

◇全国から700通
加藤さんは大学で仏教を学び、会社員を経て05年に実家の
真福寺に戻り、父の忠雄住職(63)を手伝い始めた。

数カ月後、葬儀会社の男性から
「悲しみとどう向き合ったらよいかと、遺族から相談される」
と聞かされ、がく然となった。

自分は檀家からですら、悩みを打ち明けられたことがない。
未熟さを痛感し、
「僧侶と一般の人との間に垣根がある」
とも考えた。

相談を受けられるだけの心の度量と技術を身につけるため、
06年春、寺院向けの冊子で見つけた宗派のカウンセリング講座
に通い始めた。複数の講座を修了した今も月に1回程度、
講座に通う。講座で知り合った僧侶の紹介で、
07年の僧侶の会の発足に加わった。

会は、年末に自殺者の追悼法要をしたり、講演などで自殺問題の
啓発に努めている。昨年から、自殺しようかと思い詰めている
人や遺族からの手紙相談を受け始め、これまでに全国から
約700通の手紙が寄せられた。

加藤さんは昨年10月から手紙の返信を担当している。
手紙の多くに
「家族や友人に迷惑をかけたくない」
という心情がつづられ、相談者は弱いのではなく、人一倍責任感
が強いのだと感じている。
「本当は生きたい」
との思いも伝わってくる。

返信は1週間かけて書く。
「親しい人にも言えない苦しみを手紙でお聞きしている。
自殺を踏みとどまってくれる方が一人でも増えれば、
僧侶としてうれしい」。

若い自分に相手の苦悩を受け止められるのか。悩むこともあるが、
昨年末、年長の相談者から
「頂いた手紙を大切にします」
と返事をもらい、
「役に立てた」
とほっとした気持ちになれたという。

手紙のあて先は
〒108−0073東京都港区三田4の8の20
「往復書簡事務局」。

毎日新聞 2009年03月25日 地方版
1人息子を無謀運転に奪われた、造形作家の母親…(毎日新聞) [2009年03月25日(Wed)]
2009(平成21)年03月25日(水)
毎日新聞 東京朝刊
トップ>ライフスタイル>住宅>アーカイブ

安心・安全ナビ:
1人息子を無謀運転に奪われた、造形作家の母親…
http://mainichi.jp/life/housing/archive/news/2009/03/20090325ddm013100118000c.html

◆1人息子を無謀運転に奪われた、造形作家の母親。
 同じような境遇の人へエールを送る活動を展開している。

◇「いのちのアート」発信 東京都内の廃校利用し、
 ミュージアムづくり計画
◇生きることの尊さ訴え

神奈川県座間市の造形作家、鈴木共子(きょうこ)さん(59)
は00年4月、長男零さん(当時19歳)を飲酒・無免許運転
の車によって奪われた。早稲田大に入学したばかりだった。

当時、悪質な交通事故の加害者に適用されるのは、
業務上過失致死罪で最高刑は懲役5年。
がく然とした鈴木さんは、全国の交通事故遺族らと共に37万人
以上の署名を国に提出、最高刑が懲役20年の危険運転致死傷罪
を成立させるきっかけとなった。
「法律の中に、命の重みをきちんと反映してほしかった」

一方で
「アートで息子を生かし続けたい」
という思いが募り、交通事故や殺人事件で命を落とした人の等身大
のオブジェや遺品を展示する「生命のメッセージ展」を発案した。

01年に東京で開催したのを皮切りに、全国各地で既に50回以上
を開催している。

零さんを失ってから、鈴木さんの作品は「いのち」というテーマ
に向かい出す。昨年4月に東京都中央区で開いた個展では、
紙粘土で作った秒針だけの時計約300個を展示。
時間が止まったままの被害者への思いを込め、それぞれ形と色合い
が異なる時計の横にはメッセージ展に参加する被害者の名前を
添えた。

鈴木さんは
「命の重みを感じられるミュージアムを作りたい」
という夢を描く。その夢は年内にも実現しそうだ。

都内で廃校となる小学校の校舎を利用し、ミュージアム作りを計画。
メッセージ展のオブジェを常設展示するほか、「いのち」に
かかわる演劇、映像、音楽などを発信する。

地域交流や自然体験なども企画。
「身近な死を感じることで、大切な人のことを考えられる場所
にしたい」
と願う。



2月6日。さいたま市の講演で
「命軽視の風潮がまん延しているように思う。
でも、他人ごとにしていては大切な命は守れないのです」
と約450人の聴衆に語りかけた。

零さんの事故を振り返り
「絶望のふちをのたうち回るようだった」
と表現した。

メッセージ展は
「生きたくても生きられなかった人たちの思いと対峙(たいじ)し
命の大切さを実感する場。生きているのは当たり前でないのです」
と訴えた。

展示を見て自殺を踏みとどまる人がいると述べ、
「いつの日か(米同時多発テロ現場の)グラウンド・ゼロで
開催するのが夢」
と語る。そして飲酒運転事故などで家族を失った人に
「亡くなった人の分まで精いっぱい生きよう」
とエールを送った。

会場ロビーで開かれていたメッセージ展には、交通事故などの
犠牲者の等身大オブジェや遺品が並んでいた。

3年前に10歳の長男が無謀運転の車にはねられ死亡した
埼玉県入間市の女性(55)は
「生きる意味を見失っていたが、自分が何をすべきか分かった」
と目頭を押さえた。

さいたま市の無職、〓島徹さん(28)は
「私も加害者にも被害者にもなる可能性がある。
自分の身に置き換えて考えなければと感じた」
と話した。 【小坂剛志、小泉大士】

毎日新聞 2009年03月25日 東京朝刊
五木寛之―「鬱、愁、悲」不安を背負って生き抜く智慧(プレジデントロイター) [2009年03月25日(Wed)]
2009(平成21)年03月25日(水)
プレジデントロイター
ホーム>キーパーソン図鑑

キーパーソン図鑑 2009年03月 25日
【Vol.3】五木寛之
―「鬱、愁、悲」不安を背負って生き抜く智慧
http://president.jp.reuters.com/article/2009/03/25/DE8C87C6-1362-11DE-BAF0-A2C13E99CD51.php?rpc=187
http://president.jp.reuters.com/article/2009/03/25/DE8C87C6-1362-11DE-BAF0-A2C13E99CD51-1.php

プレジデント 2009年01.12号

いま、国民は健康に対して不安を持っています。
また老後に対しても不安を持っている。

小川 剛=インタビュー・構成 大沢尚芳=撮影

国のメタボ基準を疑え!



五木寛之●作家

年間自殺者数が3万人を超える状況に対処する目的で、06年に
自殺対策基本法が制定されました。
具体的に何をしたらいいのか政府はわからなかったのですが、
「自殺者の中に鬱病患者がいるのは確実。
鬱病をなくせば自殺者も減る」
という有識者の意見もあって、癌と同様、鬱病も早期発見が
大事という方向になってきた。

地方自治体の中にはお先走りして、健康診断のときに任意の
アンケートを書かせるところがあります。
「朝起きたときに今日も1日頑張ろうという気持ちが起きない」
「肉親や友達を疎ましく感じるときがある」
などのチェック項目があって、どれも鬱病に見られる
典型的な症状です。

つまり経済活動だけではなく、いまや1人1人の心理状態まで
国家は把握できる。
「あなたの心はちょっと危ないところがあるから専門医に
診てもらいなさい」
と言われるわけです。

「メタボリック症候群」という言葉がすっかり流行語になりました
が、あんなものに踊らされるのが一番いけない。
日本は世界で最もメタボ基準が暴走した国です。
本当に長生きで健康なのはちょっと小太りな人だとよく言われる。
ウエスト幅の健康基準などというものを国家が決めるのは
ファシズムです。ところが国民がそれを受け入れ、メディアと
一緒になってメタボ対策に躍起になっている。

政治家は国民を味方につけなければ何もできません。
国民の意思に反したことは行えない。しかしながら、
国民が持っている欲望の萌芽、そういう芽を育てて上手く利用
すれば何でもできるのです。

いま、国民は健康に対して不安を持っています。
また老後に対しても不安を持っている。
病院や医療のあり方についても不安を感じている。

そこで病気にならないようにする、すなわち「養生」ということ
が大きなテーマになってくるわけです。
「メタボ」は、「養生」という国民の心理にぴったり適う。

いまや大きな市民権を得ている「エコ」もそうです。
エコというのは二酸化炭素の排出量を規制するというように、
地球環境のためにそれまで自由だったものを制限することです。

ゴミの分別も自由の制限の1つです。しかし、エコのため、地球の
資源を守るためという大義名分が立てば人々は喜んで協力する。
誰もメタボやエコがまさか統制とは思っていないでしょう。

しかし、新しい時代の統制経済はそういうところからスタートして、
いずれ個々人の生活に及んでくる。

タバコ1つ買うにも厄介な手続きが必要になり、少年法や道路交通
法が改正されて重罰化の傾向はますます強まっています。
戦後、野放図にされてきた自由がどんどん縮小され、規制が強化
される方向で時代は推移してゆく。

「メタボ」や「エコ」のようなゆるい言葉をまぶされると
国民は賛成するから、国はどんどん進めてゆける。
この流れを先読みすると、やはり時代は怖い方向へ向かうのでは
ないでしょうか。

平安末期、短い間ですが、都が京都から福原に移されたときが
ありました。
その時代に藤原定家が詠んだと思われる言葉があります。

「旧都は荒れ果て、新都いまだならず」。

福原での新都造営はなかなか進まず、京都は荒れ果てたまま。
空き家になった公家の家に浮浪者が住み込んで、荒涼たる有り様
だった。

時代が下って1930年代、共産ソビエトは当時の進歩的な知識人
たちの憧れの的でした。彼らにとっての新都だったわけです。
それがイリュージョンであり砂上の楼閣だったことは自明です。

新都はもはやない。しかし旧都である資本主義もマルクスの
予言通り、恐竜が滅びるように地響きを立てて崩壊しつつある。
横倒しでもがき苦しむ過程で、たくさんの草や木がなぎ倒される
ように大きな犠牲を強いられている。

戦後の焼け跡、闇市の中で苦しい生活をしていても日本人の目
には希望の光があった。平和国家、民主主義、経済成長……。
だけどいまは何があるのか。
いままさに私たちは新都なき旧都の荒廃に直面しているのです。

プレジデント 2009/03/25
| 次へ
プロフィール

黒水 宣行さんの画像
黒水 宣行
プロフィール
ブログ
リンク集
最新コメント
最新トラックバック