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NPO法人宮崎自殺防止センターを応援したい

NPO法人国際ビフレンダーズ 宮崎自殺防止
センターでボランティア活動を始めました。
いろいろと勉強中です。

なお、このブログは、自死等の相談に応じるものではありません。


NPO法人宮崎自殺防止センター
■ TEL 0985(77)9090
■ 毎週 日・水・金曜日
   午後8時から午後11時まで(3時間)


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体験語り、回復後押し アルコール依存症のリハビリ施設指導員 石井肇さん(53歳)(東京新聞) [2008年12月21日(Sun)]
2008(平成20)年12月21日(日)
トップ>神奈川>12月21日の記事一覧

【神奈川】
体験語り、回復後押し
アルコール依存症のリハビリ施設指導員
石井肇さん(53歳)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20081221/CK2008122102000077.html



壮絶なまでのアルコール依存症体験を糧に、
同じ症状に苦しむ人のリハビリ施設
「第三アルク・デイケア・センター」
(横浜市中区)で指導員を務める。

高校生の時に登山先で飲んだのが酒との出会い。
すぐに意識を失うまで飲むことが常となった。
大学を出て大手商社に入り、米国支店に配属
されたが、酒依存は悪化の一方。
二日酔いの朝に酒を飲む迎え酒や、
睡眠と飲酒を繰り返す連続飲酒などをするように。
数年後には日本に強制送還された。

■ 症状収まらず
帰国後も、ウイスキーを何本も買い込み、
同居する両親の目を盗んで車の中で飲むなど
症状は治まらない。
「AA」(「無名のアルコール依存症者」の英名の頭文字)
と呼ばれる依存症者の集いや施設に通ったが、
効果はなかった。

1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、
同じ会社の社員が死亡したのに、
「悲しむ感情すら失っていた」
というほど心身をむしばまれていた。

転機が訪れたのは同年9月。自宅でウイスキーを
らっぱ飲みしていると、訪れてきたAAの仲間に
連れ出された。
行き先は、それまで通っていた依存症者施設だった。

■ 深い絶望感
心のどこかで「そのうち何とかなる」と高をくくっていた。
しかし、通所しても効果が上がらない施設に連れ込まれ、
ここに来ても駄目だと思う一方で、新たな感情が芽生えた。
「逃げ道がなくなった」
という深い絶望感だった。

アルコール依存症から回復するには、一度「どん底」
を見る必要があるという。
この時、まさにそこまで追い詰められた。
「不思議とやる気がなくなり、酒を飲む気もなくなった」

この日以降、酒に手を付けないまま施設やAAに通い続け、
会社にも復帰した。
さらに1年後、自らが依存症であるという事実を
ようやく受容できるようになった。
現在、こうした実体験を依存症者たちに語っている。

その後、商社勤めから会社社長に転身し、
さらに大手通信企業に入社。
55歳の定年を間際に控えたころ、AAの仲間から言われた。
「そろそろ、仲間のために仕事をしたらどうだ」。
開所した「第三アルク」に飛び込んだ。

一歩間違えば、病気や自殺などで命を失いかねない
依存症者を世話する仕事。
ストレスから胃かいようになったことも。
それでも、依存症者を守る決意に迷いはない。
「アルコール依存症は回復可能な病気。
そのことを社会にもっと理解してほしい」

(中山高志)

1955年 東京都中野区生まれ

  79年 大学卒業。大手商社に入社

  84年 AAへ参加開始

  85年 施設通所を開始。
      9月の飲酒を最後に酒から遠ざかる

  88年 退社し、後に会社経営を手掛ける

2000年 大手通信企業に入社

  05年 退社し、「第三アルク」指導員に就任

2008年12月21日
重松清さん原作「青い鳥」来月上映 テーマ曲・総社出身「まきちゃんぐ」インタビュー(毎日新聞/岡山) [2008年12月21日(Sun)]
2008(平成20)年12月21日(日)
毎日新聞
ホーム>地域>岡山

重松清さん原作「青い鳥」来月上映
テーマ曲・総社出身「まきちゃんぐ」インタビュー
人間臭さ曲と通じる
「嫌うのもいじめ?」考えさせられた
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/news/20081220-OYT8T00673.htm



インタビューに応じるまきちゃんぐ
(岡山市内で)

津山市(旧久米町)出身の直木賞作家、
重松清さんの短編「青い鳥」が
原作の映画(同タイトル、中西健二監督)が
1月10日から、シネマ・クレール丸の内
(岡山市丸の内1)で上映される。

いじめによる自殺未遂が起きた中学校で、
生徒たちと向き合う吃音(きつおん)の男性教師
の姿を描く。

主題歌を歌う総社市出身のシンガー・ソングライター、
まきちゃんぐ(本名・松本真希さん)(21)=東京在住=
がインタビューに応じ、作品の魅力について語った。
(有賀かほり)

ストーリーは、いじめを受けた男子生徒が自殺未遂で転校。
その後に赴任した男性の臨時教師が、自殺未遂に対する
周囲の生徒たちに、その責任を忘れさせないよう、
言葉につまりながらも、「本気の言葉」で訴える。
事件を忘れようとしていた生徒や学校関係者らは戸惑う――。

まきちゃんぐはバンド活動を経て、2005年から
ソロ活動に移った。今年1月、「ハニー/ちぐさ」で
デビューした。

映画のオープニングとエンディングに、
まきちゃんぐの「鋼の心」と「さなぎ」が使われた。
その後、原作を読み、完成した映画を見たまきちゃんぐは
「思っていた以上にぴったりな曲」
と気付いたという。
「明るさばかりでなく、人間臭さをきちんと描いた
リアルさが、曲と通じているのだと思う」
と話す。

映画のプロデューサー小滝祥平さん(51)は
「吸い寄せるような圧倒的な歌唱力で、
ストーリーに押しつぶされることなく、
歌が生きると思った」
と評価。
「子どもたちが大人になる時の成長の痛みや苦しみ
が伝わってくる曲が、映画とマッチしている」
と話す。

作品中、学校は「青い鳥BOX」と名付けた
いじめ相談用ポストを設置する。
まきちゃんぐは、BOXから
「誰かを嫌うのも、いじめになるのか?」
と問いかける紙が出てきた場面を挙げ、
「正しい答えは見えないけれど、考えさせられた」
と見所を紹介した。

「中学生の年代は、友人とのささいなけんかなど、
誰もがもやもやした悩みを抱えている。
私も、『大人はうそつき』と漠然とした不信感を
抱いていた。でも、映画を見て、当時消化されなかった
思いが、この先生に救われたような気がした」
と語った。

映画は主演・阿部寛、共演・本郷奏多、伊藤歩ほか。
105分。
シネマ・クレール丸の内の料金は
一般1800円、大学生1500円、高校生以下1000円。

(2008年12月21日 読売新聞)
’08取材帳から:県庁幹部の死(毎日新聞/山梨) [2008年12月21日(Sun)]
新聞記者として、事件やひとの取材を通じて
いのちの大切さを訴える記事を書く一方で、
取材対象者を「追い込まざるを得ない」場面が、
当然、あるのかも知れない。

「記者魂」はけっして失ってほしくないが、
いわゆる「メディア・スクラム」(取材対象者を報道集団で
もみくちゃにしてダメージを与える)が良いものだとは、
決して思えない。

そもそもが、構造的に因果な商売なのかも知れない。
記者さんの動機、目的を常に意識する姿勢については、
ぜひとも応援したい。

以下、引用

*******

2008(平成20)年12月20日(土)
毎日新聞 地方版
トップ>地域ニュース>山梨

’08取材帳から:県庁幹部の死
 「何を伝えるか」を考えていたか/山梨
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20081220ddlk19070166000c.html

「すぐ現場へ行ってくれ」−−
10月11日朝、県の会計管理者兼出納局長の
中澤正史さん(当時58歳)が県庁から飛び降り
自殺したとの一報を先輩記者からの電話で知り、
衝撃を受けた。
そして、複雑な思いがこみ上げた。
中澤さんはそのころ、私たちの「取材攻勢」を
受けていたからだ。

「06年に県福祉保健部が関係した入札を
巡って不正があったのではないか」。
8月下旬にそんな情報が県政界に流れた。
事実なら大問題に発展する可能性があり、
報道機関は一斉に取材に動いた。

そして06年当時、福祉保健部長だったのが
中澤さんだった。

私は同僚と9月3日夜、中澤さん宅の呼び鈴
を押した。
入浴中だった中澤さんは部屋着に着替え、
「待たせて悪かったね」
と、招き入れてくれた。

「あの入札に不正はあったのですか」
「そういう認識は全くないね。全く承知はしてない」

中澤さんはそう言った。そして、私たちを含めて
6社が来たことを明かし、
「みんなこうして来るから嫌な思いをしているさ」
とつぶやいた。

中澤さんが遺体で見つかる前夜も複数の記者が
中澤さんの帰宅を待って自宅付近に張り込んで
いたという。

自殺の動機は今も分からない。
ただ、私たちも含め、中澤さんに取材が殺到
していたことを報じた地元報道機関はなかった。
それもきちんと書いておくべきではなかったか、
という後悔の念があった。

むろん、担当幹部だった中澤さんは重要な
取材対象だった。
問題はこちら側の「動機」だ。

私も含め、新聞やテレビの報道記者には
「他社がみんな知っていることを知らない」
ことへの恐怖感が抜きがたくある。

「何を伝えるか」
を考える前に、不安に駆られて取材をして
いなかったか。

中澤さんにぶしつけともいえる方法で取材したことは
後悔していない。
当事者に直接会って話を聞く。
事実に肉薄して読者に伝えるのが私たちの仕事だ。

その時、本来の目的を忘れていないか、
常に自戒しなければならないと思っている。

【小林悠太】

毎日新聞 2008年12月20日 地方版

*******

以上、印象終わり
発信箱:ギリシャの悲劇=藤原章生(ローマ支局)(毎日新聞) [2008年12月21日(Sun)]
自死なのか。それとも事故死なのか。
分かりにくいケースはたくさんあると思う。

いずれにしても、ご遺族にとっては、
突然の、予期せぬ死であることには変わりない。

「自分が幸せになってはいけない」
「自分が楽しんではいけない」
「亡くなったひとに、申し訳が立たない」

だれが強いた訳でもないのに、みずからこのように
思い込んでしまうご遺族も少なくないのではないか。



こころ優しいひとほど、自分を責めさいなんで
しまうのではないか、とも思う。

やはり、ここでも「寄り添いびと」が必要だと考える。

以下、引用

*******

2008(平成20)年12月21日(日)
毎日新聞
トップ>ニュースセレクト>社説・解説・コラム>発信箱

発信箱:ギリシャの悲劇
=藤原章生(ローマ支局)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20081221k0000m070119000c.html

騒乱の取材でギリシャを初めて訪れた。
夜のアテネでタキスという名の69歳
の男性に出会った。
黒い服装で悲しそうに、火炎瓶の飛び交う
街を見ていた。

引退した観光業者でドイツ人の妻と
息子が1人、ベルリンにいるという。
翌朝頼むと、男性は数日間、小型バイク
で私の仕事につき合ってくれた。

不思議だったのは、この男性がレストラン
やカフェ、盛り場を嫌うことだった。

誘う度に
「レストランは見かけだけだ」
「コーヒーなら家で飲める」
と言い、毎回、彼のアパートで
近所の女性が作ってくれる料理を
ごちそうになった。彼は私の余り物を
かき込むように食べた。

殺風景な暗い部屋の鏡台に、
若い男の写真があった。線の細い顔だ。
どういうわけか、その脇に、年々老けて
いく自分の証明写真が並んでいた。

聞いてみると、彼はベッドに座り、
両手を組んで語り出した。

若い男は4年前に31歳で死んだ
もう1人の息子だった。
男が時折つく、「うっ」とこみ上げて
くるようなため息の意味がわかった。

息子は風呂でドライヤーを使い感電死した。
だが彼は今でも自殺だと疑っている。
「ドイツ車を2台とも、警察に奪われ、
息子はおかしくなった」。

ギリシャ人の楽しみの1つ、外食を
避けるのは、罪の意識からだ。
「音楽が流れる楽しげな所にいると、
息子に申し訳なくて、胸が苦しくなる」

「生きている限り、子供を気づかわ
ないと、取り返しがつかない。
ギリシャにこんな言葉がある。
子供のいる男ほど幸せな男はいない。
子供を亡くした男ほど不幸な者はいない」。

悲しみがあまりに生々しく、
私はしばらく席を立てなかった。

毎日新聞 2008年12月21日 00時34分

*******

以上、引用終わり
「がんを生きる」対談:鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授(毎日新聞) [2008年12月21日(Sun)]
2008(平成20)年12月21日(日)
毎日新聞
トップ>ライフスタイル>健康

「がんを生きる」対談:
鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×
中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授

http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c6.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c7.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c8.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c9.html

【鎌田】どうしたら、検診率を上げられるでしょうか。
僕らは35年前に長野県で胃がんの受診率を上げる
ために努力しました。前院長の今井澄先生(故人)
が音頭を取って健康教育をしました。

最初は脳卒中で死なないためという講演をしていた
のですが、塩分摂取量が多くて脳卒中だけでなく
胃がんも多い。

1日の塩分摂取量は10グラム以下にすべきところを、
多い人は25グラムぐらい摂っていました。
山盛りの野沢菜漬けを食べているのですね。

高血圧や脳卒中を減らそうという運動をしながら、
胃がんを減らそうとしたのです。
早期に見つけると助かるということを説明しました。

健康づくり教室を各集落を回って年間80回ぐらい
やると、受診率が上がってきた。
さらに、受診しやすいようにということで、
朝8時前に検診車を出すとか、
日曜検診をするとか、地域の人たちの生活を
みながら検診を合わせることで、検診率を上げました。

国立がんセンターの先生を招いて私たちが昼間勉強
して、夜は住民に分かりやすい話をしてもらうと
いったことをしました。

【中川】がん検診を受けなさいとコマーシャルを
流しても受診するはずはない。

がんがどういう病気であるかを知ることが大切です。
学校で教えるべきですが、それができていない。

私は今年1月に母校の高校で授業をしました。
11月には東京都国立市の中学校で全校生徒に
授業をしました。

今日ちょうど生徒からの感想文が届きましたが、
実に感動的です。

「がんで死ぬことは悪くないんだな」
「がんは怖いと思っていたけれど、人生の一部
なのだと分かりました」
というようなことが書いてある。

始める前は、がんについて子どもに話すことは
恐怖心をあおるだけだなどと言われましたが、
大人が思うほど子どもは弱くないと思いました。

指導要領にはがんについて書いていないわけでは
ないのですが、学校の先生がなかなか、
がんについて教えられない。

全国の学校を回るということも考えています。
僕は鎌田先生と同様にドンキホーテ的なところが
ありますので(笑い)。

【鎌田】僕は医局に長野県茅野市の地図を張って、
93カ所ある公民館をすべて回るという
ドンキホーテではありましたが、全国を回ると
いうのはすごい(笑い)。

【中川】授業を聞いた中学生の半分は将来がんに
なりますが、その時に
「あー、あの日聞いた」
ということが必ず生きてきます。

【鎌田】僕も「教科書にない1回だけの命の授業」
というのをライフワークにして、毎年3カ所の都道府県
を決めて、高校で話をしています。
がんなどの病気や障害などを含めて、命のことを話します。

「うちの高校は荒れているから、先生の話を10分以上
聞けないと思いますよ」
などと言われたことがありますが、しーんと泣きながら
聞いてくれました。

命の話、死にたくないのに死んでいく人がいるという
本当の話を聞かせて、その中でがんのことを聞かせておく
ということは大事ですね。

【中川】日本人に「死なない感覚」があるのは、
病院死と核家族化が非常に大きい。

東京では近くに高齢者がいなく、老いを知らない。
がんの場合、95%の人は病院で亡くなる。
人の死を病院に隠ぺいしている感じです。
日常生活の中に「死」がない。

ある小学校の先生が小学生に
「人は死んで生き返るか」
というアンケートをしたら、
34%は生き返る、
32%は分からない、
正解は34%だったそうです。

実際に親を殺して、「生き返ると思った」と言った
小学生もいました。

毎日新聞が昨年秋に実施した世論調査で、
「緩和ケアを知っていますか」
という質問に、
「知らない」
という答えが71%でした。

医療用麻薬の1人当たりの使用量は、
日本は米国の20分の1です。
放射線治療は米国では患者3人に2人が受けているのに、
日本は4人に1人しか受けていない。
知らないことによって、損をしています。

モルヒネを使って痛みを取ると、延命します。
モルヒネを使わないと、痛い思いをして
短命に終わるという損をするわけです。



−−鎌田先生は在宅看護と緩和ケアを
早い時期に進めてきましたね。

【鎌田】地域医療という形で、寝たきり老人が
地域にいたので、困難な人を何とかしてあげたい
と思い、在宅医療を始めたわけです。

訪問看護という制度もなかったのですが、
医師よりも看護師が行くほうが効果があると思い、
訪問看護を始めました。

在宅医療と訪問看護という形でやり始めてみると、
例えば働き盛りの方が
「効果的な医療がないのなら、一度家に帰って
仕事をしたい」
と言い出したわけです。

今で言うと、在宅ホスピスケアという形に
なったのです。

在宅医療の半分以上ががんの患者さんで、
病院の増築の時に、在宅医療部門から
「全部を在宅で看取ることはできない。
小さくてもいいから緩和ケア病棟を作ろう」
と提案がありました。

小さな町にホスピスがあっても誰も行かないと、
市議たちは心配していたのですが、
住民のニーズをつかんだ提案だったから、
6床の病棟が空くことはなく、
「あそこに入れたから幸せだよね」
「いつ行っても、患者がにこにこしていた」
という口コミが広がって、東京や九州からも
来るようになりました。

【中川】ホスピスは20床ないと、経営的には
難しいのですが、そのために大きな病棟を
つくって入ってもらおうということが多いのです。

そうではなく、必要だからつくるということは
非常に重要です。

日本の緩和ケアはがんとエイズに限っていますが、
それはおかしい。
死が間近に迫った人をどう支えるかということであって、
米国では肺障害の方なども入っています。

【鎌田】6床でうまくやっていられるのは、
いったん入って、緩和ケア専門医が痛み止めを駆使して、
8〜9割の患者さんは痛みが止まるのです。
にこにこして、
「家に帰るよ」
と言うわけです。

帰ったら、緩和ケアの医師が往診に行き、
看護師が訪問看護に行きます。
具合が悪くなったり、家族が大変になったりすると、
病棟を空けてまた来てもらうわけです。

【中川】在宅緩和ケアという、家族を含めたチーム医療が
都会ではやりにくい。
東大病院でも在宅に持っていこうという努力をしていますが、
核家族化やコミュニティーの希薄さがあって、難しい。
コミュニティーの再構築が必要だと思いますね。

【鎌田】あったかい医療があると素晴らしいと思った
例があります。昨日、緩和ケア病棟を回診していました。
3週間前に東京の病院から移ってきた人がいます。
昨年までタクシー運転手をしていた70代の方です。

会社がつぶれて、子どもを置いて東京に出て、
独りでさびしかったと言っていて。がんの末期になって
初めて、ケースワーカーが家族を探してくれた。

娘さんは二度と会いたくないと思って躊躇していたけれど、
ほかに誰も看病に行く人がいない。
自分が看なければいけないと思って、諏訪中央病院を
選んで移したのですね。

昨日、初めて娘さんと会ったのですが、
「私にとってもすごい良かった。ずっと恨んでいたけれど、
お父さんの面倒をみて、お父さんもすまなかったと言ってくれて」
と言うのですね。

お父さんもやっと娘に会えて、人生の最後に、
家族の結び直しができた。
病状は厳しいのですが、顔は穏やかなのですよね。

【中川】症状を取る技術もあると思うのですね。
痛いと娘さんや医療者とのコミュニケーションが
取れないと思うのですね。

鎌田先生が体験されたことは、きちんとした技術の上に
成り立つと思うのです。
きちんと医療をする、痛みを取る、その次に
交流や心の痛み、精神的な問題が出てくると思います。

【鎌田】そうですね。痛みが取れないと、
なかなかその先に行かないですね。
身体の痛みで参っちゃっている人は
まだまだ多いですね。



−−中川先生は
「どうせ死ぬならがんがいい」
と言っていますね。

【中川】がんが治らない、がんで死ぬと
分かっても、多くの場合、ある程度の時間がある。
多くの人は1年、2年という時間があると思います。
その時間をなかなかうまく使えない。

私の部下で34歳で肺がんになった医師がいます。
自分が
「がんもそれほど悪くない」
と言っています。

彼は放射線治療医でがんを治し、あるいは、
がんで亡くなる患者を看取ってきたのですが、
自分ががんになって初めて
「俺も死ぬんだな」
と分かった。早期とはいえ、5年生存率は75%です。

「紅葉や桜を見る、次はもう見られないかもしれない。
一期一会ということがよく分かる。
毎日が輝いて見える。がんになる前はそういうことは
なかった」
と言っています。
がんを通して人生を考えるきっかけになるのですね。

【鎌田】僕の患者さんには、家庭生活が失敗した人もいる
し、家族がばらばらになった人もいました。
しかし、独りでも人間は死ぬことができます。

いい生き方をしてきたから、いい死があるということでは
なくて、めちゃくちゃな生き方をしてきた人でも、
いい死ができる。

大事なのは、誰か「分かるよ」と言ってくれる人が
1人でもいることです。

死を前にして、人は変わり、成長します。
死はいろいろなことを考えますから、
田舎のおじいちゃんが変わっていって、
かっこよい言葉を残して亡くなるということはよくあります。

死ぬということはすごいことです。
がんは死ぬまでに考える時間、生活する時間があるので、
救いですね。



◎ 鎌田實氏(かまた・みのる)

1948年東京都生まれ。
東京医科歯科大医学部卒業後、
諏訪中央病院(長野県茅野市)
で地域医療にかかわる。
88年、同病院院長に就任し、2001年に退く。
著書「がんばらない」「あきらめない」
(いずれも集英社)がベストセラーに。
チェルノブイリ被災住民の救援活動でも知られる。

◎ 中川恵一氏(なかがわ・けいいち)

1960年東京都生まれ。東京大医学部卒。
2002年、東京大付属病院放射線科准教授。
03年から同病院緩和ケア診療部長を兼任。
昨年から毎日新聞医療面に「がんを知る」を
連載中。
今春には連載1年分をまとめた
「ドクター中川の”がんを知る”」(毎日新聞社)
が出版された。
厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」座長。
「がんを生きる」対談:鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授(毎日新聞) [2008年12月21日(Sun)]
2008(平成20)年12月21日(日)
毎日新聞
トップ>ライフスタイル>健康

「がんを生きる」対談:
鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×
中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授

http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c4.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c5.html



中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授

−−難民化する原因は。

【中川】治療に偏りすぎる、例えば手術以外は
だめだとか、逆に治療行為を捨てるという
バランスの悪さが難民につながりますね。

それに加えて、医療にお金をかけない現状が
あります。

病院は患者さんが長くいると収益が減る
システムになっています。それはある程度、
仕方がないにしても、患者さんに出て行けと
言わざるを得ない、受け皿もない。

【鎌田】がん難民の多くは、がん拠点病院で
つくっているのです。それらの病院の医師たちは
医療費抑制政策の下で、ものすごい過重労働を
強いられている。

【中川】拠点病院は治療中心になり、
治らない患者さんへのケアという部分が
行き届かない。

地域に根ざした病院の方がケアのマインドが
あるから、治らないと言われた患者さんが
来るのですね。

【鎌田】常に新しい医療を学びながら、
患者さんの人生観に合わせて、旅行案内所
みたいに
「よい方法がありますよ」
ということを示すことが僕たちの役割だと
思いますね。

中川先生から教えられたことですが、
日本では、手術と化学療法、放射線治療
というがんの3大治療のバランスも
悪かったですね。

手術がだめなら、仕方なく化学療法や
放射線治療をするという感じがありましたね。

【中川】日本は世界一、手術をする国ですね。
がんを完治するには手術か放射線治療になります。

この2つはメーンプレーヤーであり、
ライバルと言ってもいいのですが、
日本は手術が重視されている。
私はその理由は胃がんの存在が大きいと思います。

終戦直後は、日本のがんと言えば、胃がんでした。
冷蔵庫がない、井戸水を飲んでいるという環境で、
ピロリ菌などの感染率が高かった。
今、全体で5割、60歳以上だと8割以上です。

胃がんの治療はあまりにも手術向きです。
胃が全摘できる珍しい内臓で、お腹を開けると
すぐに出てくる取りやすい場所にあるからです。

胃がんと医学的に似ている直腸がんは、
放射線治療や抗がん剤治療も大いにやります。
手術万能ではない。
それは場所が奥にあって取りにくいからです。

日本では歴史的に、がんと言えば胃がんであり、
胃がんは手術するということで、がん=手術と
なってしまったわけです。

【鎌田】そのことに気がついてきたのに、
まだ放射線治療、化学療法に対して人的な配置も
社会的な評価も低い。手術優先になっていますね。

国民の意識も、手術をしてもらわないと安心できない。
80歳の人が前立腺がんで、
「僕だったら放射線治療を受ける」
とお勧めしても、
「取らないと安心できない」
と言うのですね。

【中川】終戦直後は胃がんが多かった。
ところが、衛生環境がよくなって、急速に胃がんが
減った。一方、食生活の欧米化で乳がんや前立腺がん
が増えてきた。それらは放射線治療も大いに使う。

その変化を国も国民もきちんと見ていないという
ところがあります。

【鎌田】がん対策基本法で、化学療法や放射線療法
は大きな柱になっているのですか。

【中川】基本法の3つの柱がありまして、
放射線治療と化学療法の推進、緩和ケア、がん登録です。

ただし、この法律はいわゆる理念法で、予算の裏づけは
ほとんどありません。
欠けているものを補う、手当てをするという考えです。



−−がん登録の制度化は可能ですか。

【中川】技術的な問題を言えば、個人情報保護法です。
米国では1970年代にがん登録が法制化されました。
当時は個人情報保護法がなかった。
日本は先に個人情報保護法ができている。
米国の専門家は「日本は大変だな」と言います。

しかし、個人情報は暗号化してやればできないことは
ありません。
2人に1人ががんになり、
3人に1人はがんで死ぬという世界一の割合です。
それなのに、がんを他人ごとと思っている人が多い。

感染症は届ける必要があります。
結核や人が先月何人出たのかは正確に分かります。
ところが、昨年、何人が肺がんになったかは分からない。
きちんとしたデータを集める仕組みがないからです。

しかし、感染症でできているのですから、
やれないことはない。
がんが日本人にとって脅威であるという意識を
共有することが必要です。

【鎌田】もう少し医療費を増やさないと、
せっかくがん対策基本法を作っても絵に描いた
もちになるのではないか。

医療費を2兆円ずつ3回、1兆円の自然増を加えて、
現在の33兆円から5、6年間に40兆円にしたほうが
よいというのが僕の意見です。

国がしなければならないことは、国民に安心を与える
ことではないか。
医療にきちんとお金を投入する一方、僕たちも全力で
あたたかな医療を形にしてみせる必要があるのではないか。

【中川】日本の医療費はGDP(国内総生産)の8%で、
先進7カ国の中では最下位です。米国は16%ですから、
日本の2倍をかけています。

日本は公共事業には一番、お金をかけています。
道路はつくるが、命にはお金をかけないということです。

【鎌田】政治家が国民に安心を与えるために医療にお金を
かけると言えば、国民は反対しないと思うのですが。

【中川】道路より命が大切なのは当たり前です。

【鎌田】基本法では、がん死亡率を20%減らすという
目標を立てましたが、今のままでは達成が難しい。
首相が国民に向かって、がん登録への協力を呼びかけては
どうでしょうか。

【中川】がん登録がないと、相手を知らない闘いになります。
基本法では、緩和ケアの推進も掲げています。

安倍晋三首相(当時)が、がんにかかわる医療者10万人が
5年以内に緩和ケアの研修を受けるように指示しました。
東大病院でも11月に研修をしました。
がん死亡率を20%減らすことはこのままでは達成できません。

ポイントはがん検診です。
禁煙も大事ですが、DNAがたばこで傷ついてがんができ、
それが大きくなって患者さんが亡くなるまでには
30年から40年かかります。

米国で1990年代に死亡率が減ってきたのは、
60年代の禁煙キャンペーンが効いているわけです。
医療が進歩したよりも、そのほうが大きい。

【鎌田】日本の喫煙率はまだ高いですね。

【中川】男性4割、女性1割です。日本は喫煙大国です。
禁煙は必要なのですが、30年後、40年後に効いてきます。
10年後に死亡率を20%減らすには、検診率を上げるしか
ありません。今20%の検診率を50%に上げる。

検診が一番有効と言われる子宮頸がんは、
米国では9割近くが検診を受けていますが、
日本は2割です。

子宮頸がん、大腸がん、乳がんの3つは
「受けなければ損ながん」です。
日本では、そのほか肺がん、胃がん、
肝臓がんも有効とされています。

がんで死なないためには、がんにならなければいい。
たばこを吸わなければ、がんになるリスクを3割減らせます。
お酒を控え、塩分を抑える、肉ばかり食べずに野菜を食べる、
運動をするといった生活習慣病対策でも3割減らせます。

残りは運です。
どんなに聖人君子の生活をしていても、がんになることが
あります。

ではどうすればいいかというと、早期に発見することです。
早期発見はけっこうたいへんです。

乳がんのデータで説明しましょう。
DNAが傷ついてがんが1個できて、それが1センチに
なるのに15年かかります。細胞分裂の数では30回です。

1センチのがんが10センチになるには10回の分裂、
5年です。1センチ以下のがんは発見できません。
早期がんは乳がんだと2センチです。
1センチが2センチになるには3回の分裂、
1年半です。この間で発見することが大事です。

厚生労働省の「がんに関する普及啓発懇談会」に
タレントの山田邦子さんに入っていただいています。

山田さんは毎年検診を受けていたのに、
忙しくて3年受けなかった。
その間に乳がんが大きくなってしまった。

2年に1回、きちんと検診を受けなければなりません。
2センチまでの早期がんでしたら、治癒率は9割以上です。

がんにならないようにする、がんになっても早期に
見つけるようにする。
これを心がけると、9割がた死なないのです。

【鎌田】分かりやすいですね。納得できます。
1年半に1回は検診する必要があるわけですね。

【中川】乳がんは2年に1回、肺がんは進行が
少し早いので1年に1回ということになっています。
「がんを生きる」対談:鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授(毎日新聞) [2008年12月21日(Sun)]
2008(平成20)年12月21日(日)
毎日新聞
トップ>ライフスタイル>健康

「がんを生きる」対談:
鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×
中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授

http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c.html?link_id=TT002
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c2.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c3.html



対談する鎌田實・諏訪中央病院名誉院長(左)と
中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授

2人に1人はがんになり、
3人に1人はがんで死ぬという
「がん大国」日本。
がん治療やがん対策の現状はどうなっているのか。
がんを抱えながら生きるには、どうすればよいのか。

がん患者に対する
「がんばらない」
「あきらめない」
の言葉が話題を集めた鎌田實・諏訪中央病院名誉院長と、
本紙に「がんを知る」を連載中の中川恵一・
東京大付属病院放射線科准教授に対談してもらった。
(司会は斗ケ沢秀俊・毎日新聞東京本社科学環境部長)

−−鎌田先生はなぜ「がんばらない」「あきらめない」
という言葉を使ったのですか。

【鎌田】僕はがんばる人間だったのですね。
貧乏だったし、貧乏から脱出するにはがんばるしか
ないなと思ったから。
がんばるという言葉がよいことだと信じていて。

青年医師だったころ、40代の末期がんの患者さんを
診察した時に、当たり前のように口癖の
「がんばりましょうね」
と言って病室を出ようとしたら、気配がおかしいので、
振り返ったら、患者さんが涙をぽろぽろ落としていて。

ベッドサイドに戻ったら、患者さんが
「今日までがんばってきました。これ以上がんばれません」
と言われて。
がんばれという言葉が人を傷つけることがあるのだと
思ったのですね。

がんばれという言葉はがんを治していく時に
すごく大事な言葉なのですね。

しかし、時にはがんばらないという言葉のほうが
かえって患者さんを力づけることがあるのではないか。
検査から告知を受けて手術をしてと、みんなすごく
がんばっているのですよね。

時々、心を休める時間が1日に何回かあったほうが
長くいい闘いができるのではないかと思い、
少し危険かなと思いながら、がんばらないという
言葉を言ったのですね。少しバッシングされました。
がんばらないとは何事だとかね。

がんばらなくていいかと言えば、1回だけの人生
ですから、そうでもなくて。

僕の「がんばらない」という本を読んで、
高度医療をやっている病院で
「もうやることはないから」
と言われて、僕の病院に来られた人がいます。

「もう無理をしたくない」
と緩和医療を希望していたのですが、よくみてみると、
完治は無理だとしても、まだ治療の可能性がある、
いい時間を過ごせると思ったのです。

外科医はいったん再発すると、もうやることがない
と言うけれど、大腸がんや乳がんの場合は
そこからもう1回大事な勝負がある。
そうだとすると、あきらめないということが
大事ではないか。

助からないから同じだから無理しないというのも
1つのスタイルですが、助からないということで言えば、
どんなにいい治療をしてもいつかは死ぬわけですから、
最初から何もしないほうがいいということになってしまう。

3年間だけでもいい時間を過ごせるということは
すごく大事なことだと思うから。



【中川】がんばりすぎに対して
「がんばらない」、あきらめていることに対して
「あきらめない」というアンチテーゼは、
治すと癒すの2つの医療行為のバランスを取る
ということを意味していると思います。

がん対策基本法が2006年にできて、
2007年4月から施行されていますが、
その最大のポイントは、がん治療、
がんを治すことと、緩和ケア、癒すことの
バランスを重視したことです。

日本のがん治療は治す側に傾いていて、
それができないとなるとホスピスになる。

それに対するアンチテーゼとして
「がんばらない」という言葉が出てきた。

がんは再発・転移があると治らない確率が
高まるのですが、そこでもやれることはあるのです。
どんなに悪くなっても、治療行為ができる。

放射線治療などは大いに役立つのですが、
背骨への転移が脊髄を圧迫して麻痺が出た時は
放射線をかけると症状が取れる。
こういうことも大事です。

治すこととケアすること、英語で言うとキュアとケア
ですが、このバランスが
「がんばらない」
「あきらめない」
につながるだろうと思っています。

鎌田先生の先駆性を感じます。

【鎌田】中川先生は基本法をつくる際に
努力されましたね。
基本法の骨格に
「がんばらない」
「あきらめない」
という意識がありましたか。

【中川】ありました。治すと癒すとのバランスが
できていない。ある時期は治すだけ、それが終わると
癒すだけという、対立構造になっている。
そうではないというのが、鎌田先生のご本だろうと
思っていました。



−−がん治療に満足できず、病院を転々とする
「がん難民」が少なくないと言われていますが。

【鎌田】70代のご夫婦が東京から来て、
ご主人が自分の相談で来ていたのですが、
4センチの肺がんがあって、転移はなく、
心筋症があって、軽い腎臓の障害がある
という方でした。

会社の重役をしていて、ちょうど引退する
という時でした。

いろいろな話をしているうちに、手術を望んで
いないことが分かりました。

「仕事から離れて、ゆっくりと遊びたいから、
死にたくはない」
というのが分かる。2人で話し合って、
放射線治療をすることにしました。

単独腫瘍ですので第一の選択肢は手術であり、
前の病院でもそう勧められているのですが、
その人の歴史や人生観から、手術でなくても
いいと思ったのです。

普通の放射線治療でもいいのですが、
深い肺がんだとすれば粒子線治療の方が
いいのではないかと勧めました。

その後、実は女房の相談に乗ってもらえないか
と言われて。奥さんは
「必要ないです」
と言っていたのですが、話してみると、
乳がんの再発例でした。

1980年代に乳がんの手術をして、
2001年に再発して、外科医から
「再発したら治らない」
と言われて、がん難民になってしまった。

学校の教師をしていたので教養はあるのです
が、毎月30万円のサプリメントを飲み、
アーク灯を当てる民間療法や玉川温泉に通う
ということをしていたのです。

アーク灯を始めてから潰瘍のようになり、
自壊して血液性のうみが出るようになって
しまって、患部がざくろのようになっていた。
本人は助からないと思い込んでいて。

何もしないのは不安だから、民間療法に走った
のですね。
出血さえ止まれば半年くらいは生きられるのでは
ないかと思い、中川先生に連絡を取って
バトンタッチしたわけです。

【中川】最初に来られた時は出血していて、
ガーゼの交換が大変でした。

ところが、放射線治療をやり始めたら、
皮膚がきれいになっていった。ホルモン剤も
飲んでもらって、今のところ、がんがない
状態です。このまま完治する可能性もあります。
完治しなくてもかまわないのですがね。

がんと付き合っていたとしても、
70代後半で、何も症状がない、
生活も普通にできるので、問題はないわけです。

その女性がもう1人患者さんを連れてきました。
玉川温泉の仲間ですね。まったく無治療で、
出血や異臭があるひどい状態でした。

乳がんを切るのをためらって手術をキャンセル
したら医師に叱られて、民間療法に行ったのですね。

放射線をかけてがんが小さくなり、
手術ができる状態になりました。
授業で「うつ病予防」 宮崎大教授ら小中学校で実践 対人スキルなど物語形式で(西日本新聞) [2008年12月21日(Sun)]
2008(平成20)年12月21日(日)
西日本新聞
トップ>社会>九州・山口>宮崎

授業で「うつ病予防」 宮崎大教授ら小中学校で実践
対人スキルなど物語形式で
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/66878

児童・生徒のうつを予防する学校の授業に、宮崎大学の佐藤正二教授
(臨床児童心理学)たちのグループが取り組んでいる。

学校を休みがちになるといった、うつ症状を示す子どもの多くが
対人関係でつまずいていることに着目。
人間関係を壊さず誘いを断る対話技術や、マイナス思考に陥らない
ようにする考え方などを物語形式で学ぶ。
授業を受けた子どもには「うつ傾向」が緩和する例も出ているという。

この予防授業は2004年、グループの指導を受けた
宮崎県の小中学校の学級担任が学級活動や道徳の授業で始めた。

例えば
「友達にあいさつしたのに返事がなかった」
と落ち込んだ子どもの依頼を受けた探偵が、実は
「嫌われている」
のではなく
「聞こえなかっただけだった」ことを突き止めるという物語を題材に、
物事のとらえ方次第で人の気持ちは大きく変わることを伝える。

また自習中に騒ぐ友達への注意の仕方などを、班ごとのロールプレー
(役割実演)を通じて体験的に学習する。

これまでに小・中学校8校で実践。うち1校は以前、
「独りぼっちの気がする」
「怖い夢を見る」
といった質問に「はい」と答えるなど
「うつ傾向がある」
と判断された児童が24%いたが、授業後は17%に減った。

「困ったことがあっても自分の力だけで何とかしなくてもいい」
と考える割合も、5割強から8割近くにまで増えるなどの効果があった。

佐藤教授らが2年前、同県内の中学1、2年約330人に行った調査で、
軽度も含む「うつ病」の割合は4.9%だった。佐藤教授は
「大勢で遊ぶ機会が減った今の子は、昔は自然と習得した他人との
つき合い方が身につかないケースが少なくない」
と話している。

2008年12月21日 00:09

=2008/12/21付 西日本新聞朝刊=
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