CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

NPO法人宮崎自殺防止センターを応援したい

NPO法人国際ビフレンダーズ 宮崎自殺防止
センターでボランティア活動を始めました。
いろいろと勉強中です。

なお、このブログは、自死等の相談に応じるものではありません。


NPO法人宮崎自殺防止センター
■ TEL 0985(77)9090
■ 毎週 日・水・金曜日
   午後8時から午後11時まで(3時間)


<< 2008年11月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
月別アーカイブ
カテゴリアーカイブ
最新記事
記者の目:過労死・過労自殺、企業名の公表を(毎日新聞) [2008年11月25日(Tue)]
たいへん思い切った考え方(提案)である (^◇^;)
異論・反論などの反響が出ることも考えられるが、
それでも、あえてこのように書かれたのではないか。
個人的には、これも有りなのかも知れないなと思う。



一方で、世間一般では「キツい」業界だとみなされて
いる某大手企業が提供してくれているサービスが、
きわめて良質で快適なことがある。

万が一「働き過ぎ・働かせ過ぎ」の労働の成果物として、
こうした快適で手放せないサービスが提供されているのだと
したら、なんともやるせなく、複雑な気持ちになる。



今後は、雇用者、労働者のみならず、ごく一般的な方々
(多くは同時に消費者でもある場合がほとんどだが)
の役割がたいへん大きいと思う。

世の中の多くのことや自分自身のことを幅広く、
正しく知ったうえで、自覚を持ってサービスを選択する
(=買う)ことが必要ではないかと思う。

このためには、広い意味での情報公開が必要であり、
東海林記者さんの意見になるほどなぁと感じる理由である。

以下、引用

*******

2008(平成20)年11月25日(火)
毎日新聞
トップ>ニュースセレクト>社説・解説・コラム>記者の目

記者の目:過労死・過労自殺、企業名の公表を
=東海林 智
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20081125k0000m070091000c.html

勤労感謝の日を前にした21日、今年も過労死家族らを中心とした
実行委員会により
「勤労感謝の日を前に過労死を考える集い」
が開かれた。

「過労死を根絶したい」
との遺族たちの切ない思いを込めた集会は21回目だが、
遺族の思いとは裏腹に、過労死・過労自殺は依然として
増え続けている。

「仕事に殺される」
という異常な事態に歯止めをかけるため、1つ提案したい。
それは、過労死・過労自殺を出した企業名を公表することだ。

「私たち過労死家族は、これ以上過労死・過労自殺で
苦しむ人たちを増やしたくないとの思いで活動してきました。
けれど会員は増える一方なんです」

7月、名古屋市で開かれた過労自殺の労災認定訴訟の
勝利集会で「全国過労死を考える家族の会」の鈴木美穂・
代表世話人は自嘲(じちょう)するように言った。

厚生労働省によると、07年度に長時間労働など仕事上の
ストレスが原因でうつ病などの精神疾患になり労災認定を
受けた人は前年度比30.7%増の268人。
このうち過労自殺(未遂3人を含む)は同22%増の81人で、
いずれも過去最多だ。

精神疾患の労災請求件数は03年度の約2倍の952人
(前年度比16.2%増)にまで増えている。
また、長時間労働が原因の脳出血や心筋梗塞(こうそく)などを
発症した「脳、心疾患」の認定者(いわゆる過労死)は
392人(うち死亡142人)で、前年度比約10%増と
過去最多を更新した。

国は「仕事と生活の調和」(ワーク・ライフ・バランス=WLB)
の推進を盛んに呼びかけ、政府と企業、労働組合は昨年12月
「ワーク・ライフ・バランス憲章」を調印しているが、
今のところ功を奏していない。

そこで提案したいのが、過労死・過労自殺者を出した企業名の公表だ。
労災の実態は、厚労省が年に1度、認定と申請の件数を公表するだけで、
その中身はブラックボックスと化している。
新聞などの報道で過労死・過労自殺の具体的な状況が報じられるのは、
家族が社会に訴えようと会見する場合や、過労死認定を求めた裁判で
判決が出たケースがほとんどで、それ以外に、舞台となった企業の情報を
得るのは難しい。
どんな企業が何件くらい過労死・過労自殺者を出しているのかは闇の中だ。

なぜ、企業名を出すことが重要なのか。それは、過労死・過労自殺者を
1人でも出した企業は、社内の労働時間管理や仕事量の見直しなど
再発防止策がなされてしかるべきだと思うからだ。
もちろん、労働基準監督署の調査が入り、指導があるかもしれない。
労災保険料が上がるペナルティーもある。
しかし、本当に企業が再発防止策を講じているのか、
名前を出すことで、社会的な監視を受けるべきではないだろうか。

実際、家族が告発した数少ないケースでも、ここ数年の間に
複数の過労死・過労自殺者を出している企業が複数存在することが
明らかになっている。
そうした企業は人の命をどう思っているのだろうか。

特に、精神疾患の労災は「ストレスの雨が降る」と言われるように、
職場の同僚も同じストレスや過労を抱えている可能性が強いのだ。
職場環境の見直しなしには、第2第3の過労死・過労自殺者が
出る危険性がある。

また、企業名の公表で、市民は会社を選ぶことができる。
過労死・過労自殺で子供を亡くした遺族の多くは
「あんなひどい働かせ方をさせる会社だと知っていたら働かせなかった」
と言う。私も、過労死を2件も3件も出しているような会社に
子供を入れたいとは思わない。
公表は、企業の善しあしを判断する重要な情報だと思うのだ。

厚労省は「個人情報の秘匿」を理由に企業名を公表していない。
担当者は
「公表のメリット、デメリットを総合的に判断してのこと。
過労死・過労自殺者個人が特定されたり、企業の経営に
不利益が生じる可能性がある」
と説明する。

もちろん、企業名の公表で、過労自殺した特定の個人名が
遺族の同意なく判明しないようにするなど配慮は必要だ。
だが、企業の社会的責任(CSR)が重視される時代に、
厚労省の企業への姿勢は過剰な配慮に見え、
説得性に欠けると言わざるを得ない。

過労死弁護団や日本労働弁護団は、増え続ける過労死に、
国と企業の責任を明らかにし、過労死防止計画を義務付ける
過労死防止法の制定を求めることを決めた。

非正規労働者にまで広がる過労死に危機感を覚え、
もはや法による規制が必要だと考えてのことだ。
厚労省も、過労死根絶に一歩でも近づくための企業名公表を
真剣に検討してほしい。

(東京社会部)

毎日新聞 2008年11月25日 0時16分

*******

以上、引用終わり
【次代への名言】11月25日・三島由紀夫(産経新聞) [2008年11月25日(Tue)]
【陽明学(ようめいがく)】
中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説。
元・明代に官学として重んじられた朱子学の
主知主義的理想主義的傾向に対して現実主義的批判
を加え、主体的実践を重視した。
心が理であるという心即理(しんそくり)、
生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知(ちりようち)、
認識と実践を一致させよという知行合一(ちこうごういつ)、
欲望を肯定する無善無悪などを主要な学説とする。
王学。
→ 『大辞林』(三省堂・インターネット版)よりコピペ



・・・と解説をしていただいても、正直なところ、
陽明学とはどんなものなのか。まったく分からない…;

こういう行動原理って、いまの日本人の中にあるのだろうか。
それとも、いまや特別な向きの方々だけのものなのだろうか。
もしもゆとりがあれば、三島由紀夫を読んでみたい。

以下、引用

*******

2008(平成20)年11月25日(火)
MSN産経ニュース
ニューストップ>文化>学術

【次代への名言】11月25日・三島由紀夫
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081125/acd0811250243001-n1.htm

■「戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重のヒューマニズムは、
ひたすら肉體(にくたい)の安全無事を主張して、
魂や精神の生死を問はないのである」
(三島由紀夫『革命哲學としての陽明學』)

東京・市谷の陸上自衛隊に乱入、要人を人質に取り、
自衛隊員にむかって決起を促す演説をするが、
受け入れられず、割腹自殺−。
世界的作家、三島由紀夫が昭和45(1970)年の
きょうの白昼、狂気とも呼ぶべき行動を取った。

冒頭の評論はその3カ月半前、月刊誌『諸君!』に発表された。
いまは埃(ほこり)をかぶっているが、
「行動がなければ認識すらない」
という陽明学的な行動原理が日本人の心の中にひそむ限り、
「これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ知られぬ
やうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起る」
−。この日を予告するかのような一節が文中にみえる。

日本文学研究の第一人者、ドナルド・キーン氏の近著
『私と20世紀のクロニクル』
によると、悲劇はその2年前、三島の“師”、川端康成の
ノーベル文学賞受賞に遡(さかのぼ)ることができる。
川端のあと、日本人の受賞は少なくとも20年はない。
三島はそれを待てなかった。また「ノーベル賞作家」
の名声にそぐう作品を書けなくなった川端も、
2年後に三島の後を追う。

キーン氏は作家、大岡昇平の悲痛なことばを記している。
≪ノーベル文学賞が三島と川端を殺したのだ≫

2008.11.25 02:43
『森鴎外と日清・日露戦争』=末延芳晴・著(毎日新聞) [2008年11月25日(Tue)]
価値観や利害関係がたいへん複雑化・多様化して
いるいま、森鴎外のような偉大な文豪でなくとも、
2つ以上の立場に引き裂かれてしまい、
心が大きく揺れることはしょっちゅうある。

以下の本、なかなか面白そうである。

以下、引用

*******

2008(平成20)年11月23日(日・祝)
毎日新聞 東京朝刊
トップ>エンターテインメント>毎日の本棚

今週の本棚:川本三郎・評
『森鴎外と日清・日露戦争』=末延芳晴・著
(平凡社・2730円)
http://mainichi.jp/enta/book/news/20081123ddm015070035000c.html



◇ 軍医と文学者のあいだで揺れた心
森鴎外にこんな凄(すさ)まじい詩があったとは知らなかった。
「罌粟(けし)、人糞(ひとくそ)」
という。明治37年(1904)、日露戦争に軍医として
従軍した時の戦争詩歌集『うた日記』にある。

大意こんな詩。中国のある村で逃げ遅れた娘が兵士に犯された。
娘は恥をさらして生きるよりはと罌粟の花を大量に食べて自殺を図る。
それを見た母親が罌粟を吐かせようと娘に人糞を食べさせるが、
どうしても吐けない。
そこで通訳から鴎外に知らせが入り、催吐薬を飲ませた。

末延芳晴氏は、この兵士をロシア兵ではなく日本兵と推測している。
鴎外の詩は事実を冷静に綴(つづ)ったものだが、軍医であると
同時に文学者である鴎外にこの出来事が衝撃となったことは
容易に想像しうる。

森鴎外は近代日本の大きな戦争である日清戦争と日露戦争の
両方に軍医として従軍した。
2つの戦争を内側から体験した日本の文学者は他に例を見ない。

本書は、鴎外のこの2つの戦争体験に焦点を当て、
文学者と戦争の問題を論じた意欲的な書。
鴎外論として実に新鮮で、考えさせられるところが数多い。

軍医としての鴎外は当然、国家に対して忠実であり、
戦争勝利のために全力を傾ける。
しかし、文学者としての鴎外は、戦争の悲惨な現実を見て
心が揺れる。国家と個人が鴎外のなかでせめぎあう。
末延氏は、その切実な魂の劇を、戦場にあって鴎外が書いた
日記や詩、漢詩や和歌を丁寧に読み込んで浮かび上がらせて
ゆく。迫力がある。

日清戦争では、旅順で日本軍による民間人の虐殺が行なわれた。
市内掃討に当った日本の部隊が、敵兵と見分けがつかないと
いう理由で一般市民を無差別に殺戮(さつりく)した。

鴎外は虐殺を知っていた可能性が高いが、そのことは、
私的日記『徂征日記』にはまったく触れられていない。
民間人虐殺は日本にとって恥である。
軍医としての鴎外はたとえ事件を知ったとしても、
また、たとえ私的日記においてもそのことを書くわけにはゆかない。
「鴎外は、見届けた現実を書き残すことを意識的に避けた」
のではないか。鴎外の心のなかで国家が私に優先した。

末延氏は鴎外が書いたことだけではなく、書かなかったことも
重視する。なにが書かれなかったか。なぜ書かなかったか。
といって氏は、戦争の悲惨さを記さなかった鴎外を責めている
のではない。むしろ国家に忠実な軍医の鴎外が、文学者である
自分を封印せざるを得なかった痛苦に思いを寄せてゆく。

虐殺については触れなかった鴎外だが、累々たる死体の
焼却・埋葬には関(かか)わり、日記に
「1屍を焚くに松薪15束を用ゐ約4時間を費せり」
と記しているのは生ま生ましい。

日清戦争に私費で従軍した戦場カメラマン、
亀井茲明(これあき)の話も興味深い。
京都の公家の生まれ。イギリス、ドイツに留学。
日清戦争が起るや、自ら進んで従軍志願書を軍に提出し、
従軍カメラマンになった。そして旅順虐殺の写真を撮った。
こういう人物がいたとは知らなかった。

教えられることが多い。鴎外が日清戦争の直後、
台湾で起きた抗日独立運動征討作戦に参加し、
山中で死を意識したという体験もあまり語られていない。

日露戦争は、鴎外にとって、留学時代に経験した
西洋人の東洋蔑視(べっし)に鉄槌(てっつい)を加える
戦争だったという指摘もうなずける。
日中戦争に対しては弱いものいじめと感じていた
当時の文学者の多くが、欧米を相手にした太平洋戦争には
異議を唱えなかったという感情に似ている。

大国ロシアに東洋の小国が戦いを挑む。
鴎外は昂揚(こうよう)したのだろう、開戦直後には
ロシアを討てという檄文(げきぶん)を書いている。
その鴎外が戦場にいるうちに、冒頭に紹介した
「罌粟、人糞」
のような戦争の悲惨を見る詩を書く。
明らかに国家に忠実たる軍医と私たる文学者のあいだで
鴎外の心が大きく揺れている。

鴎外は従軍したとはいえ軍医だったから最前線は体験していない。
安全地帯にいることが多かった。従軍記者として戦場に来た
田山花袋と共に安全地帯の山の頂上から双眼鏡で激しい戦闘を
眺め、花袋に
「もう、かういふ面白い光景は見られんよ」
といったりした。

しかし、だからこそ戦場で死んでゆく兵士たちに
負い目を持ったのではなかったか。
『うた日記』には「罌粟、人糞」と並んで
「ほりのうち」という感動的な詩がある。

軍医の鴎外はある時、負傷した兵士の治療に当った。
鴎外が前線の様子を尋ねた時、この兵士は
「思い出しても胸が痛むから、無事に帰国できても、
妻にも子にも、母にも父にも話したくない」
と拒否したという。

塹壕(ざんごう)のことは語るまいというこの兵士の沈黙は重い。
そして2つの戦争を体験した鴎外は、兵士の沈黙に拮抗(きっこう)
する作品を書きたいと思い定めたのではないか。

『雁』『阿部一族』『渋江抽斎』など、鴎外の名作はすべて
戦争体験のあとの作品である。
戦争が鴎外を鍛えたといえようか。

毎日新聞 2008年11月23日 東京朝刊

*******

以上、引用終わり
| 次へ
プロフィール

黒水 宣行さんの画像
黒水 宣行
プロフィール
ブログ
リンク集
最新コメント
最新トラックバック