2011(平成23)年08月01日(月)
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映画で学ぶメンタル管理「シネマサイキアトリー」
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長崎大学医学部発のこの試みは、
ビジネスマンがメンタルヘルスを自分でケアするための、
有効なツールになる可能性を秘めている。
伊藤博之=文
映画の登場人物の言動から精神医学を学ぶ
「シネマサイキアトリー」。
長崎大学医学部発のこの試みは、
ビジネスマンがメンタルヘルスを自分でケアするための、
有効なツールになる可能性を秘めている。
■映画の登場人物が典型的な心の症状を示している
5月11日(水)午後6時――。
長崎大学病院の1階にある「精神カンファレンスルーム」に
8人の医学部生が集まってきた。
小学校の教室をひと回り小さくした広さの部屋のなかには、
白い壁に向かってプロジェクターが用意してあり、
彼らはその後ろに椅子を並べて座った。
すると1人の医学部生が、
「きょうのプレゼンターは私が務めます。」
といいながら立ち上がった。
「これから観る映画は1988年に公開された
ダスティン・ホフマンとトム・クルーズ共演の
『レインマン』です。
自閉症の兄・レイモンドが受け継いだ父親の遺産
300万ドルを目当てに、弟のチャーリーが
その兄をシンシナティの病院から連れ出して
ロサンゼルスに向かいます。
そこで
『レイモンドは自閉症の典型例か。』
『だとしたら、どのシーンが
自閉症の症状を表現しているか。』
を考えながら観てください。」
プレゼンターの話が終わると部屋の電灯が消され、
134分の映画の始まりを告げるクレジットが映し出された。
○
これは同大学医学部の講座に設けられた
「シネマサイキアトリー」ゼミ前期第1回の冒頭の模様だ。
内科、外科、眼科など各科に関するゼミがあり、
2年生から4年生の間に3つのゼミを選択する。
そのうちの1つであるシネマサイキアトリーのゼミは、
精神神経科学教室の小澤寛樹教授が7年前に開講したもの。
しかし、シネマサイキアトリーとは、
あまり聞きなれない言葉である。
「10年ほど前にジャック・ニコルソン主演の
『恋愛小説家』を観ていて、いつも同じレストランの
同じ席で、同じ料理を同じ人に運んでもらわないと
怒鳴りつける神経質な主人公の小説家は、
強迫性障害そのものではないかと気がつきました。
それをきっかけに、映画を精神医学の教材に
活用できるのではと考えて始めたゼミです。
シネマサイキアトリーは私の造語で、
『映画のなかの精神医学』を意味しています。」
と小澤教授は語る。
○
精神医学が他の医学と大きく違う点は、
レントゲンで映し出すことができず、最新鋭の
MRI(核磁気共鳴画像法)検査でも診断のできない、
人の心のなかを扱っていること。
心筋梗塞なら、心臓にある冠動脈に血栓ができて
血液が詰まってしまう病気で、
発生のメカニズムも病態もわかっている。
その診断方法も、血栓を溶かす薬を入れる
治療方法なども確立されている。
しかし、統合失調症などの精神病は、
患者の脳の細胞を取り出して研究するわけにはいかず、
何の原因によって引き起こされるのかも、
実のところよくわかっていない。
また、採血した血液の成分を調べたからといって
診断できるものでもない。
もっぱら患者に対する問診で診断が下されているのだ。
そうすると、精神医学を学ぶ一番の近道は
患者を直接診ることになる。
しかし、それは医師免許を持っていない医学部生には難しい話。
この問題の解決法に関して
「映画が一番の教材になってくれます。」
というのは、3年前にシネマサイキアトリーのゼミを受講した
5年生の冠地信和さんである。
「監督や俳優は演出に当たって
医師から事前にレクチャーを受けているのでしょう。
症状がとてもわかりやすい。
統合失調症を勉強するのにテキストを開くと
『妄想』『解体』といった言葉が出てきます。
でも、どうしてもイメージしにくい。
しかし映画を観ると、
『あっ、こういうことだったのか。』
とすっと理解できます。」
精神医学を学ぶ医学部生にとって
映画がリアルなケーススタディーになっているようだ。
ビジネスマンがメンタルヘルスを学ぶのにオススメの映画
■『沈まぬ太陽』はビジネスマン心理の「気づき」の宝庫
ということは、精神医学とまではいかなくても、
ビジネスマンが映画からメンタルヘルスの重要性や
その対策を学ぶこともできるのではないか。
営業成績の不振や、職場の複雑な人間関係などで
強いストレスにさらされ、うつ病やアルコール依存症
になる人が急増しており、メンタルヘルスに対する関心も
高まっている。
そこで、ビジネスマン向けの最適な教材として
どんな映画があるかを小澤教授に尋ねると、
作家・山崎豊子氏の大ベストセラー小説を原作にした
『沈まぬ太陽』という答えが返ってきた。
「海外の傍流の支店に追いやられ、
しまいには家族と離れて単身赴任を強いられる
主人公・恩地 元の心の内の苦悩や葛藤を
渡辺 謙が演技を通して見事に表現しています。
日本の本社は海外勤務の辛さをほとんど理解していません。
それにもかかわらず、成績をあげろと一方的に
プレッシャーをかけてくる。
その結果、精神を病む駐在員が増えており、
そうした現状を私は“沈まぬ太陽症候群”と呼んでいます。」
○
ナショナル・フラッグ・キャリアの航空会社に勤務していた
恩地は東京大学法学部卒のエリートビジネスマン。
しかし、労働組合委員長として職場環境の改善に
懸命に取り組み、会社と対立したことがアダとなって
カラチ支店勤務を命じられる。
そして「2年で戻す。」という社長との約束も反故にされ、
テヘラン、ナイロビとたらい回しの憂き目にあう。
そのなかで家族との絆を断ち切られ、
本社サイドの露骨な嫌がらせで仕事にも行き詰まっていく。
「人間は精神的に追い詰められると攻撃性が増します。
それを象徴するシーンが、ナイロビの自宅で
猟銃を撃ちまくる場面です。
通常、男性の攻撃性を緩和するのは『酒』『女』『博打』で、
何かに怯える恩地の姿からは典型的なアルコール依存症の
症状が読み取れます。
また、うつ病は自分に向けられた怒りであると
フロイトが指摘していますが、攻撃性の行き着く先が
どこかというと自分自身なのです。
最終的に自殺という行為に及ぶわけで、
それをも彷彿とさせるシーンです。」
○
そのようなどん底の状態に陥ったときに
本人の強い支えになるものが「家族機能」なのだという。
よく人は「幸せになるために家族をつくる。」と口にする。
そして、パートナーに「幸せにするよ。」といって
結婚を申し込む。
しかし、精神医学の観点からいうと
本来の家族機能は、その人が不幸せになったときに発揮される。
何か危機に陥ったときのためのセーフティーネット。
それが家族なのである。
一家の大黒柱である夫がガンになって
医師から宣告を受けたとしよう。
最初、本人は頭のなかが真っ白になって何も考えられなくなる。
それから「そんなはずはない。」と否認に走り、
次第に「何で俺がガンにならなきゃいけないんだ。」と
怒りの感情が高まる。
そして最後に、どうしようもない現状を受け入れて
精神的に落ち込んでいく。
「そうしたなかで試されるのが家族の凝集性です。
わかりやすくいえば家族が一致団結して
協力し合えるかどうかといったことです。
そうした家族機能がフルに発揮されるようになれば、
患者であるご主人はガン治療に
積極的に取り組むようになります。」
そう語る小澤教授が、人間の攻撃性を端的に指摘している
場面として注目するのが、本社勤務に戻った
恩地がニューヨーク出張の折に動物園を訪れたシーンである。
空っぽの檻のなかには鏡が置かれ、
覗き込んだ人間の上半身が映し出される。
そしてその鏡の下には
“THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD”
(世界で最も危険な動物)
というプレートが掲げられていたのだ。
人間は強いストレスがかかると
「子ども返り(退行)」しやすくなる。
子ども、特に赤ん坊は周囲の大人が常に気づかってくれている
ため、何でも自分の思い通りにできる万能的な存在だ。
「しかし、どうしても自分の思い通りにならないと、
『暴れてやる!』
となります。同じようなことを大人がした場合は
『悪性の退行』といい、エリートビジネスマンに多い
といわれるドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)も
その1つです。」
と小澤教授は語る。
そんな危険きわまりない動物に化けてしまったら、
家族機能など望めなくなるのは誰の目にも明らかだろう。
○
では、私たちは普段の生活のなかで
どのような点に気をつけていけばいいのだろう。
小澤教授は夫婦間におけるストロークの重要性を指摘する。
「ストロークは人間関係において、普段の会話を通して
長期的なよりよい関係を築いていくということです。
テニスにたとえるなら、長いラリーを続けられるように
することです。
でも、コートの隅にボールを打ち合っていたら、
すぐにラリーは続かなくなる。
だから、お互いにセンターへボールを返してあげる。
同じように会話のラリーを続けていくようにしたら
いいのです。」
奥さんが
「あなたって、何でこんなにお給料が少ないの。
隣のご主人はこんなにもらっているっていうわよ。」
と話したら、それはライン際に打ち込んでいるようなもの。
そして主人が
「隣の奥さんはパートに行っているぞ。
おまえも働いたらどうだ。」
と言い返した途端、もう会話は続かなくなる。
その後は、お互いに口をきかない
“冷戦状態”に陥る可能性が高い。
逆に、もし主人が
「そうだね。でも、実はこんな仕事をしたいと考えているんだ。
そうしたら少しは生活も楽になるかもしれない。」
と返してあげたら、奥さんは
「そうだったの。」
と真剣に受け止めるはず。
『沈まぬ太陽』でいえば、ラストで再度ナイロビ勤務を命じられ
「逃げずに行ってみたいと思うんだ。」
と語る恩地に対して、すでに独立し家庭を持っている
娘が猛反対するなか、
「お父さんの決めた通りでいいわ。」
という妻・りつ子(鈴木京香)との会話が
それに当たるのかもしれない。