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「がんを生きる」対談:鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授(毎日新聞) [2008年12月21日(Sun)]
2008(平成20)年12月21日(日)
毎日新聞
トップ>ライフスタイル>健康

「がんを生きる」対談:
鎌田實・諏訪中央病院名誉院長×
中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授

http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c.html?link_id=TT002
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c2.html
http://mainichi.jp/life/health/news/20081219org00m040005000c3.html



対談する鎌田實・諏訪中央病院名誉院長(左)と
中川恵一・東京大付属病院放射線科准教授

2人に1人はがんになり、
3人に1人はがんで死ぬという
「がん大国」日本。
がん治療やがん対策の現状はどうなっているのか。
がんを抱えながら生きるには、どうすればよいのか。

がん患者に対する
「がんばらない」
「あきらめない」
の言葉が話題を集めた鎌田實・諏訪中央病院名誉院長と、
本紙に「がんを知る」を連載中の中川恵一・
東京大付属病院放射線科准教授に対談してもらった。
(司会は斗ケ沢秀俊・毎日新聞東京本社科学環境部長)

−−鎌田先生はなぜ「がんばらない」「あきらめない」
という言葉を使ったのですか。

【鎌田】僕はがんばる人間だったのですね。
貧乏だったし、貧乏から脱出するにはがんばるしか
ないなと思ったから。
がんばるという言葉がよいことだと信じていて。

青年医師だったころ、40代の末期がんの患者さんを
診察した時に、当たり前のように口癖の
「がんばりましょうね」
と言って病室を出ようとしたら、気配がおかしいので、
振り返ったら、患者さんが涙をぽろぽろ落としていて。

ベッドサイドに戻ったら、患者さんが
「今日までがんばってきました。これ以上がんばれません」
と言われて。
がんばれという言葉が人を傷つけることがあるのだと
思ったのですね。

がんばれという言葉はがんを治していく時に
すごく大事な言葉なのですね。

しかし、時にはがんばらないという言葉のほうが
かえって患者さんを力づけることがあるのではないか。
検査から告知を受けて手術をしてと、みんなすごく
がんばっているのですよね。

時々、心を休める時間が1日に何回かあったほうが
長くいい闘いができるのではないかと思い、
少し危険かなと思いながら、がんばらないという
言葉を言ったのですね。少しバッシングされました。
がんばらないとは何事だとかね。

がんばらなくていいかと言えば、1回だけの人生
ですから、そうでもなくて。

僕の「がんばらない」という本を読んで、
高度医療をやっている病院で
「もうやることはないから」
と言われて、僕の病院に来られた人がいます。

「もう無理をしたくない」
と緩和医療を希望していたのですが、よくみてみると、
完治は無理だとしても、まだ治療の可能性がある、
いい時間を過ごせると思ったのです。

外科医はいったん再発すると、もうやることがない
と言うけれど、大腸がんや乳がんの場合は
そこからもう1回大事な勝負がある。
そうだとすると、あきらめないということが
大事ではないか。

助からないから同じだから無理しないというのも
1つのスタイルですが、助からないということで言えば、
どんなにいい治療をしてもいつかは死ぬわけですから、
最初から何もしないほうがいいということになってしまう。

3年間だけでもいい時間を過ごせるということは
すごく大事なことだと思うから。



【中川】がんばりすぎに対して
「がんばらない」、あきらめていることに対して
「あきらめない」というアンチテーゼは、
治すと癒すの2つの医療行為のバランスを取る
ということを意味していると思います。

がん対策基本法が2006年にできて、
2007年4月から施行されていますが、
その最大のポイントは、がん治療、
がんを治すことと、緩和ケア、癒すことの
バランスを重視したことです。

日本のがん治療は治す側に傾いていて、
それができないとなるとホスピスになる。

それに対するアンチテーゼとして
「がんばらない」という言葉が出てきた。

がんは再発・転移があると治らない確率が
高まるのですが、そこでもやれることはあるのです。
どんなに悪くなっても、治療行為ができる。

放射線治療などは大いに役立つのですが、
背骨への転移が脊髄を圧迫して麻痺が出た時は
放射線をかけると症状が取れる。
こういうことも大事です。

治すこととケアすること、英語で言うとキュアとケア
ですが、このバランスが
「がんばらない」
「あきらめない」
につながるだろうと思っています。

鎌田先生の先駆性を感じます。

【鎌田】中川先生は基本法をつくる際に
努力されましたね。
基本法の骨格に
「がんばらない」
「あきらめない」
という意識がありましたか。

【中川】ありました。治すと癒すとのバランスが
できていない。ある時期は治すだけ、それが終わると
癒すだけという、対立構造になっている。
そうではないというのが、鎌田先生のご本だろうと
思っていました。



−−がん治療に満足できず、病院を転々とする
「がん難民」が少なくないと言われていますが。

【鎌田】70代のご夫婦が東京から来て、
ご主人が自分の相談で来ていたのですが、
4センチの肺がんがあって、転移はなく、
心筋症があって、軽い腎臓の障害がある
という方でした。

会社の重役をしていて、ちょうど引退する
という時でした。

いろいろな話をしているうちに、手術を望んで
いないことが分かりました。

「仕事から離れて、ゆっくりと遊びたいから、
死にたくはない」
というのが分かる。2人で話し合って、
放射線治療をすることにしました。

単独腫瘍ですので第一の選択肢は手術であり、
前の病院でもそう勧められているのですが、
その人の歴史や人生観から、手術でなくても
いいと思ったのです。

普通の放射線治療でもいいのですが、
深い肺がんだとすれば粒子線治療の方が
いいのではないかと勧めました。

その後、実は女房の相談に乗ってもらえないか
と言われて。奥さんは
「必要ないです」
と言っていたのですが、話してみると、
乳がんの再発例でした。

1980年代に乳がんの手術をして、
2001年に再発して、外科医から
「再発したら治らない」
と言われて、がん難民になってしまった。

学校の教師をしていたので教養はあるのです
が、毎月30万円のサプリメントを飲み、
アーク灯を当てる民間療法や玉川温泉に通う
ということをしていたのです。

アーク灯を始めてから潰瘍のようになり、
自壊して血液性のうみが出るようになって
しまって、患部がざくろのようになっていた。
本人は助からないと思い込んでいて。

何もしないのは不安だから、民間療法に走った
のですね。
出血さえ止まれば半年くらいは生きられるのでは
ないかと思い、中川先生に連絡を取って
バトンタッチしたわけです。

【中川】最初に来られた時は出血していて、
ガーゼの交換が大変でした。

ところが、放射線治療をやり始めたら、
皮膚がきれいになっていった。ホルモン剤も
飲んでもらって、今のところ、がんがない
状態です。このまま完治する可能性もあります。
完治しなくてもかまわないのですがね。

がんと付き合っていたとしても、
70代後半で、何も症状がない、
生活も普通にできるので、問題はないわけです。

その女性がもう1人患者さんを連れてきました。
玉川温泉の仲間ですね。まったく無治療で、
出血や異臭があるひどい状態でした。

乳がんを切るのをためらって手術をキャンセル
したら医師に叱られて、民間療法に行ったのですね。

放射線をかけてがんが小さくなり、
手術ができる状態になりました。
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