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NPO法人宮崎自殺防止センター
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キャパになれなかったカメラマン(上・下)(朝日新聞) [2008年11月23日(Sun)]
2008(平成20)年11月23日(月・祝)
朝日新聞
asahi.com>エンタメ>BOOK>書評>[評者]赤澤史朗

キャパになれなかったカメラマン(上・下)
http://book.asahi.com/review/TKY200811250193.html

[著] 平敷安常
[掲載]2008年11月23日
[評者]赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史)

■ ベトナム戦争従軍記者の様々な容貌
著者は1966年から75年のサイゴン陥落まで、
アメリカのテレビ界の三大ネットワークの1つである
ABCのカメラマンとして、ベトナム戦争に従軍した。
その間に一緒に仕事をした放送記者や、
親交のあったカメラマンは数十人に上る。

ベトナム戦争は、テレビで報道された最初の戦争だった。
そこは野心を抱いた若手の記者やカメラマンが、
ベテランの連中と交じって激しい競争をする世界だった。
その競争は彼らを、死の危険のある戦場での取材に
駆り立てるものだった。

戦争の最盛期には、派手な戦闘シーン(「バンバンもの」)
が好まれ、それ以外の映像は編集するニューヨークの本社に
送っても、放映されない傾向があった。
しかしそれでも「バンバンもの」でない、矛盾に満ちた
ベトナムの現実を掘り下げて取材をする放送記者もいた。
そして優れた記者やカメラマンたちは、危険な戦場を果敢に
往来し、ニューヨークの本社の見方ともアメリカ軍の発表とも
異なる事実を発掘して、それを1つのストーリーに仕立て上げる
力を持っていた。

戦争ジャーナリストは、基本的には戦う一方の側からしか
戦場を描けない。軍隊に保護されて従軍しなければ、
戦場には行けないからである。
しかしその条件下でも、戦争の真相に迫ろうとして、
ジャーナリストたちは工夫を凝らしていく。

著者が尊敬するABCの同僚カメラマンのテリー・クーは、
アジア人のカメラマンたちの間でリーダー的存在だった。
しかしそのテリーは、戦死した若い北ベトナム兵士の遺品の日記を
手がかりに、その兵士の生涯を描こうとして、戦場で殉職すること
になる。

戦争が、ジャーナリストたちの精神をむしばむこともある。
花形の放送記者だったハワード・タックナーは、
その後精神を病んで自殺した。
戦場の重圧に耐えながら苦闘し、ベトナム戦争を多面的な視点から
報道した数多くのテレビ・ニュースのジャーナリストたちの、
個性的な風貌(ふうぼう)を伝える書物といえよう。



ひらしき・やすつね 38年生まれ。元米ABCカメラマン。
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