【自殺考 被災地から(1)】津波で助かった命 妻はなぜ、闇の海へ(MSN産経)
[2012年04月30日(Mon)]
2012(平成24)年04月28日(土)
MSN産経ニュース west
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【自殺考 被災地から(1)】
津波で助かった命 妻はなぜ、闇の海へ
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120428/waf12042807000004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120428/waf12042807000004-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120428/waf12042807000004-n3.htm
岩手県釜石市。未曾有の大津波から1年がたった。
三陸のリアス式海岸特有の入り組んだ湾は、
波も立てず穏やかな表情を見せていた。
あの日から5カ月あまりが過ぎた
昨年8月、この海へ1人の女性が身を沈めた。
当時54歳だったその女性は、震災後、
避難所の運営にも携わるほど快活な人だったという。
津波で助かった命が、なぜ海へ向かわなければ
ならなかったのだろう。
震災から1年の今年3月11日。
岩手・大槌湾に「3」「11」の数字をかたどった
船が浮かべられた。
○
女性の夫(64)が暮らす仮設住宅は、
自宅からほど近い学校のグラウンドにあった。
あたりは春を前に、最後の雪が積もっていた。
2DKの仮設住宅には、妻が自宅から持ち込んだという
家財道具があふれていた。
生花が供えられた仮の仏壇には
満面の笑みをたたえる女性の遺影があった。
「お見合いで結婚したんだけど、
もう30年も一緒だったんだなあ。」
夫は写真に目をやりながら笑った。
震災まで、家族は夫婦と長男(27)、
そして夫の両親の5人暮らしだった。
漁業関係の仕事につく夫を支え、
自らも積極的に近所付き合いを行う、
明るい女性だったという。
○
3月11日。自宅にいた女性は間一髪で高台に逃れたが、
自宅で横になっていた当時97歳の義父は、
黒い津波にのまれ、自宅近くで冷たくなって発見された。
遠く離れた内陸部の体育館で始まった避難生活で、
女性は当初、避難所の運営に携わり、
食事の配布などを手伝っていた。
しかし、次第に「眠れない。」などと、
体の不調を訴えるようになったという。
■「助けてあげられなかった」自責の念と喪失感
「おとうさんを助けてあげられなかった。」
よくそう言って自分を責めていたという。
しかも、亡くなったのは義父だけではなかった。
女性の親友や、幼い頃から親しかったいとこまでもが
津波で命を落とした。
「津波で話し相手が
一気にいなくなってしまったんですよ。」
夫は大きな支えを失った妻の気持ちを思いやった。
7月、仮設住宅が建って、
遠い避難所から地元に戻れることになった。
多くの被災者が喜ぶ中で、
女性は暮らしていた町へ戻ることを嫌がった。
「帰りたくない。海を見たくない。」
海辺の町は、忌まわしい記憶と直結していたのだ。
ようやく家族だけの生活が始まっても、
彼女の不調が改善されることはなかった。
■長男の結婚待たずに
8月20日午前4時ごろに目を覚ました夫は、
隣で寝ていたはずの妻の姿がないことに気付いた。
散歩にでも行ったのかと、しばらく待ってみたが
戻ってくる様子はない。
不安になって、心当たりを探し回った。
海辺で妻のバッグが見つかった。
亡くなった親友からもらったものだった。
知人が船を出し、波間を漂う妻を見つけてくれた。
長男の結婚が年内に決まっていた。
7月に行った両家同士でのささやかな会食では
笑顔で、結婚する日を楽しみにしていたという。
「なんでなのかなあ。
そのうち孫も生まれるだろうし、
これから楽しいこと、いっぱいあるのに。」
夫はうつむいた。
■生と死の境界、曖昧に
震災から5カ月を経てもたらされたひとつの訃報。
「なぜ。」
遺族はもとより、被災者を支援してきた
周囲の人々もショックを隠せない。
女性が自ら死を選んだ本当の理由は誰にも分からない。
ただ、被災地で聞いた50代の女性の言葉が耳に残っている。
「釜石では震災で1,000人以上の命が失われたんです。
奥さんと息子さん夫婦を亡くした方や、
80歳のおじいちゃんと孫2人だけ残った家庭もある。
ここでは生と死の境界が
あいまいになっているんですよ。」
(文化部・佐々木 詩)
◇
内閣府と警察庁が先週公表した統計によると、
日本では14年連続で3万人以上の人が
自殺によって亡くなっている。
なぜ自ら命を絶たなければならないのか。
第1部では、被災地の自殺と心のケアについて
リポートする。
=次回は4月28日(土)の昼に掲載
MSN産経ニュースwest
2012年04月28日(土)07時00分
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津波で助かった命 妻はなぜ、闇の海へ
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120428/waf12042807000004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120428/waf12042807000004-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120428/waf12042807000004-n3.htm
岩手県釜石市。未曾有の大津波から1年がたった。
三陸のリアス式海岸特有の入り組んだ湾は、
波も立てず穏やかな表情を見せていた。
あの日から5カ月あまりが過ぎた
昨年8月、この海へ1人の女性が身を沈めた。
当時54歳だったその女性は、震災後、
避難所の運営にも携わるほど快活な人だったという。
津波で助かった命が、なぜ海へ向かわなければ
ならなかったのだろう。
震災から1年の今年3月11日。
岩手・大槌湾に「3」「11」の数字をかたどった
船が浮かべられた。
○
女性の夫(64)が暮らす仮設住宅は、
自宅からほど近い学校のグラウンドにあった。
あたりは春を前に、最後の雪が積もっていた。
2DKの仮設住宅には、妻が自宅から持ち込んだという
家財道具があふれていた。
生花が供えられた仮の仏壇には
満面の笑みをたたえる女性の遺影があった。
「お見合いで結婚したんだけど、
もう30年も一緒だったんだなあ。」
夫は写真に目をやりながら笑った。
震災まで、家族は夫婦と長男(27)、
そして夫の両親の5人暮らしだった。
漁業関係の仕事につく夫を支え、
自らも積極的に近所付き合いを行う、
明るい女性だったという。
○
3月11日。自宅にいた女性は間一髪で高台に逃れたが、
自宅で横になっていた当時97歳の義父は、
黒い津波にのまれ、自宅近くで冷たくなって発見された。
遠く離れた内陸部の体育館で始まった避難生活で、
女性は当初、避難所の運営に携わり、
食事の配布などを手伝っていた。
しかし、次第に「眠れない。」などと、
体の不調を訴えるようになったという。
■「助けてあげられなかった」自責の念と喪失感
「おとうさんを助けてあげられなかった。」
よくそう言って自分を責めていたという。
しかも、亡くなったのは義父だけではなかった。
女性の親友や、幼い頃から親しかったいとこまでもが
津波で命を落とした。
「津波で話し相手が
一気にいなくなってしまったんですよ。」
夫は大きな支えを失った妻の気持ちを思いやった。
7月、仮設住宅が建って、
遠い避難所から地元に戻れることになった。
多くの被災者が喜ぶ中で、
女性は暮らしていた町へ戻ることを嫌がった。
「帰りたくない。海を見たくない。」
海辺の町は、忌まわしい記憶と直結していたのだ。
ようやく家族だけの生活が始まっても、
彼女の不調が改善されることはなかった。
■長男の結婚待たずに
8月20日午前4時ごろに目を覚ました夫は、
隣で寝ていたはずの妻の姿がないことに気付いた。
散歩にでも行ったのかと、しばらく待ってみたが
戻ってくる様子はない。
不安になって、心当たりを探し回った。
海辺で妻のバッグが見つかった。
亡くなった親友からもらったものだった。
知人が船を出し、波間を漂う妻を見つけてくれた。
長男の結婚が年内に決まっていた。
7月に行った両家同士でのささやかな会食では
笑顔で、結婚する日を楽しみにしていたという。
「なんでなのかなあ。
そのうち孫も生まれるだろうし、
これから楽しいこと、いっぱいあるのに。」
夫はうつむいた。
■生と死の境界、曖昧に
震災から5カ月を経てもたらされたひとつの訃報。
「なぜ。」
遺族はもとより、被災者を支援してきた
周囲の人々もショックを隠せない。
女性が自ら死を選んだ本当の理由は誰にも分からない。
ただ、被災地で聞いた50代の女性の言葉が耳に残っている。
「釜石では震災で1,000人以上の命が失われたんです。
奥さんと息子さん夫婦を亡くした方や、
80歳のおじいちゃんと孫2人だけ残った家庭もある。
ここでは生と死の境界が
あいまいになっているんですよ。」
(文化部・佐々木 詩)
◇
内閣府と警察庁が先週公表した統計によると、
日本では14年連続で3万人以上の人が
自殺によって亡くなっている。
なぜ自ら命を絶たなければならないのか。
第1部では、被災地の自殺と心のケアについて
リポートする。
=次回は4月28日(土)の昼に掲載
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2012年04月28日(土)07時00分



