宮本 輝氏インタビュー 「生きる力」(大阪日日新聞)
[2012年04月29日(Sun)]
2012(平成24)年04月29日(日)
大阪日日新聞
トップ>連載・特集>大阪発 羅針盤
地域の取り組みや課題、人々の動きや思いを通して
大阪の明日、日本の未来を展望します。
宮本 輝氏インタビュー 「生きる力」
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/compass2011/120429/20120429032.html
■父に見た「死ぬまで生きる」強さ
全国の自殺者数が毎年3万人を超え、
大阪府内でも2,000人に及ぶ現状を踏まえ、
大阪府は3月30日、今後5年間で大阪府内の自殺者数を
1,500人以下にする自殺者対策基本指針を策定した。
自殺の要因は複合的とはいえ、高止まりする自殺者数は
異常故に、踏み止まる心理に思いを致したい。
記者が目を向けた先は、第6部を刊行した
宮本 輝氏の自伝的小説『流転の海』シリーズ。
「何がどうなろうと、
たいしたことはありゃあせん。」
とは主人公、松坂熊吾のモデルになった
宮本氏の父親の口癖だった。
「生きる力」について、宮本氏に聞いた。
「楽観主義でなければ駄目」と説く
宮本 輝氏=兵庫県伊丹市の自宅
○
■希望の持てない国
−まず、自殺者数にどんな感想を持ちますか。
「働き盛りの人たちにうつ病が多い。
医療の技術が高度になり、周囲の理解が深まっても
精神的な病気が増えるのは
日本社会がいびつになり、無気力になったから。」
「背景の1つは米国的グローバル化が
日本の戦略に組み込まれたことにある。
勤務先の会社を渡り歩いて収入を増やす
狩猟民族としての米国に対し、
農耕民族の日本はここが駄目ならあっちに行くという
生き方をしてこなかった。
景気が良ければ人を雇い、赤字になればクビを切る
米国型は日本人に合わず、いつリストラされるか分からない
精神的な不安を常に抱えている。
日本の民族、風土、伝統に合わない社会になったことで、
そこに組み込まれている人間も気力を失ってしまった。」
−グローバル化に対応した果てに
日本人の生命力は弱まった、と。
「それだけが理由ではないが、
社会と人間のつながりは関連性が強いように思う。
今のベストセラーを見るとハウツー本が多い。
これは日本人が寄って立つ自己を失った証左だろう。
その風潮は先ほど話した
日本人に不向きな社会、雇用システムと重なり、
希望の持てない国になってしまったのではないか。」
■親は楽観主義で
−自信を失いそうな現代社会にあって、
『流転の海』に登場する松坂熊吾は
生きる力を示唆しているように思います。
「(モデルの)父は明治の男、戦場を生き抜いた人だ。
死屍(しし)累々の満州の地をさまよい、
死ぬまで生きようした。
そういう生命力が社会から奪われ、
日本人の心は弱くなり、うつ病患者や
自殺者3万人の世の中になっている。」
−連載中の流転の海に込めた思いを聞かせてください。
「シリーズは1947(昭和22)年から始まり、
熊吾、妻の房江、1人息子の伸仁の21年間を書くが、
熊吾一家は狂言回しであり、この3人と縁のあった人々の
有為転変を書くことによって戦後からの日本をあぶり出し、
人間の宿命を描写で伝える。
そして熊吾は病気で亡くなるまでの間、
どんなに貧乏しようが、借金取りに追われようが、
生き抜いて息子を育てる。
そこにはさまざまな人々の幸、不幸、喜怒哀楽が
絡んでいく。」
−「何がどうなろうと…」
との熊吾のせりふは印象的です。
実際に父親から聞いた言葉だと思いますが、
「生きる力」について家庭教育は
どうあるべきと考えますか。
「僕の母は一時、自殺未遂を起こすが、
そこから人間として強くなる。
自分は一度死んだ、
生きているのが不思議なんだ、と。
財布に50〜60円しかなかったが、
僕に全部渡して
『夕刊紙を買って来い。』
と言った。
求人広告を見てホテルの社員食堂の
賄い人として働き始めた。
そんなことのできる人ではなかったが、
息子に対して大学を卒業させ、世の中に出す、
と決めたのだろう。」
「親は楽観主義でなければ駄目。
楽観主義は持って生まれたものではなく、
自己訓練でそうなる。
苦しいのは良いことが起こる準備なんだ、
と考える。
そういう生き方、考え方を教えることだ。
何があっても大したことない、と。
そんな考えをしていけばうまくいく。
人生の不思議なところだ」
「僕も25歳で重度のパニック障害にかかった。
『よく死のうと思わなかったね。』
と精神科の医師に言われたが、
『死にたくないからこの病気になった。』
と僕は答えた。
精神的に強いと言われるが、そうは思っていない。」
■希望という舞台
−最後に、作家として自身を奮い立たせるものは
何かを教えてください。
「小説を書く一番の原動力は、いろいろあるけど
生きよう、頑張ろうという生きる喜びを
読む人に与えたい。
その代わり書くものが喜びにあふれているかというと、
それは別物だが、根本の動機は変わらない。
人間が地獄に落ちるようなことを
芸術の美として礼賛するような小説は
死んでも書かない。」
「流転の海シリーズを最後まで読んでいただくと、
大きな希望という舞台の上で演じられていたことが
分かっていただける。」
2011年8月発行の『流転の海』
第6部『慈雨の音』(宮本 輝著、新潮社)
○
■5年で1500人以下目指す府が自殺者対策基本指針
「大阪府自殺者対策基本指針」は、
今後5年間で自殺者数を1997年以前の水準
(1,500人以下)にする目標を設定した。
自殺者数が急増した1998年は
完全失業率が4%を超えて不況感が拡大。
「バブル崩壊後の景気後退局面の中で職業を持つ人々、
とりわけ中高年男性の自殺者の増加が
大きな割合を占めている。」
との専門機関の報告があり、
大阪府は相談機関の充実、周知徹底を進めている。
○
宮本 輝(みやもと・てる)
小説家。1947年、神戸市灘区生まれ。
追手門学院大学(大阪府茨木市)の第1期生。
デビュー作『泥の河』で
1977年に太宰治賞受賞。
翌1978年に『螢川』で芥川賞受賞。
兵庫県伊丹市在住。
大阪日日新聞 2012年04月29日(日)17時07分
大阪日日新聞
トップ>連載・特集>大阪発 羅針盤
地域の取り組みや課題、人々の動きや思いを通して
大阪の明日、日本の未来を展望します。
宮本 輝氏インタビュー 「生きる力」
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/compass2011/120429/20120429032.html
■父に見た「死ぬまで生きる」強さ
全国の自殺者数が毎年3万人を超え、
大阪府内でも2,000人に及ぶ現状を踏まえ、
大阪府は3月30日、今後5年間で大阪府内の自殺者数を
1,500人以下にする自殺者対策基本指針を策定した。
自殺の要因は複合的とはいえ、高止まりする自殺者数は
異常故に、踏み止まる心理に思いを致したい。
記者が目を向けた先は、第6部を刊行した
宮本 輝氏の自伝的小説『流転の海』シリーズ。
「何がどうなろうと、
たいしたことはありゃあせん。」
とは主人公、松坂熊吾のモデルになった
宮本氏の父親の口癖だった。
「生きる力」について、宮本氏に聞いた。
「楽観主義でなければ駄目」と説く
宮本 輝氏=兵庫県伊丹市の自宅
○
■希望の持てない国
−まず、自殺者数にどんな感想を持ちますか。
「働き盛りの人たちにうつ病が多い。
医療の技術が高度になり、周囲の理解が深まっても
精神的な病気が増えるのは
日本社会がいびつになり、無気力になったから。」
「背景の1つは米国的グローバル化が
日本の戦略に組み込まれたことにある。
勤務先の会社を渡り歩いて収入を増やす
狩猟民族としての米国に対し、
農耕民族の日本はここが駄目ならあっちに行くという
生き方をしてこなかった。
景気が良ければ人を雇い、赤字になればクビを切る
米国型は日本人に合わず、いつリストラされるか分からない
精神的な不安を常に抱えている。
日本の民族、風土、伝統に合わない社会になったことで、
そこに組み込まれている人間も気力を失ってしまった。」
−グローバル化に対応した果てに
日本人の生命力は弱まった、と。
「それだけが理由ではないが、
社会と人間のつながりは関連性が強いように思う。
今のベストセラーを見るとハウツー本が多い。
これは日本人が寄って立つ自己を失った証左だろう。
その風潮は先ほど話した
日本人に不向きな社会、雇用システムと重なり、
希望の持てない国になってしまったのではないか。」
■親は楽観主義で
−自信を失いそうな現代社会にあって、
『流転の海』に登場する松坂熊吾は
生きる力を示唆しているように思います。
「(モデルの)父は明治の男、戦場を生き抜いた人だ。
死屍(しし)累々の満州の地をさまよい、
死ぬまで生きようした。
そういう生命力が社会から奪われ、
日本人の心は弱くなり、うつ病患者や
自殺者3万人の世の中になっている。」
−連載中の流転の海に込めた思いを聞かせてください。
「シリーズは1947(昭和22)年から始まり、
熊吾、妻の房江、1人息子の伸仁の21年間を書くが、
熊吾一家は狂言回しであり、この3人と縁のあった人々の
有為転変を書くことによって戦後からの日本をあぶり出し、
人間の宿命を描写で伝える。
そして熊吾は病気で亡くなるまでの間、
どんなに貧乏しようが、借金取りに追われようが、
生き抜いて息子を育てる。
そこにはさまざまな人々の幸、不幸、喜怒哀楽が
絡んでいく。」
−「何がどうなろうと…」
との熊吾のせりふは印象的です。
実際に父親から聞いた言葉だと思いますが、
「生きる力」について家庭教育は
どうあるべきと考えますか。
「僕の母は一時、自殺未遂を起こすが、
そこから人間として強くなる。
自分は一度死んだ、
生きているのが不思議なんだ、と。
財布に50〜60円しかなかったが、
僕に全部渡して
『夕刊紙を買って来い。』
と言った。
求人広告を見てホテルの社員食堂の
賄い人として働き始めた。
そんなことのできる人ではなかったが、
息子に対して大学を卒業させ、世の中に出す、
と決めたのだろう。」
「親は楽観主義でなければ駄目。
楽観主義は持って生まれたものではなく、
自己訓練でそうなる。
苦しいのは良いことが起こる準備なんだ、
と考える。
そういう生き方、考え方を教えることだ。
何があっても大したことない、と。
そんな考えをしていけばうまくいく。
人生の不思議なところだ」
「僕も25歳で重度のパニック障害にかかった。
『よく死のうと思わなかったね。』
と精神科の医師に言われたが、
『死にたくないからこの病気になった。』
と僕は答えた。
精神的に強いと言われるが、そうは思っていない。」
■希望という舞台
−最後に、作家として自身を奮い立たせるものは
何かを教えてください。
「小説を書く一番の原動力は、いろいろあるけど
生きよう、頑張ろうという生きる喜びを
読む人に与えたい。
その代わり書くものが喜びにあふれているかというと、
それは別物だが、根本の動機は変わらない。
人間が地獄に落ちるようなことを
芸術の美として礼賛するような小説は
死んでも書かない。」
「流転の海シリーズを最後まで読んでいただくと、
大きな希望という舞台の上で演じられていたことが
分かっていただける。」
2011年8月発行の『流転の海』
第6部『慈雨の音』(宮本 輝著、新潮社)
○
■5年で1500人以下目指す府が自殺者対策基本指針
「大阪府自殺者対策基本指針」は、
今後5年間で自殺者数を1997年以前の水準
(1,500人以下)にする目標を設定した。
自殺者数が急増した1998年は
完全失業率が4%を超えて不況感が拡大。
「バブル崩壊後の景気後退局面の中で職業を持つ人々、
とりわけ中高年男性の自殺者の増加が
大きな割合を占めている。」
との専門機関の報告があり、
大阪府は相談機関の充実、周知徹底を進めている。
○
宮本 輝(みやもと・てる)
小説家。1947年、神戸市灘区生まれ。
追手門学院大学(大阪府茨木市)の第1期生。
デビュー作『泥の河』で
1977年に太宰治賞受賞。
翌1978年に『螢川』で芥川賞受賞。
兵庫県伊丹市在住。
大阪日日新聞 2012年04月29日(日)17時07分



