【産経抄】10月27日(MSN産経ニュース)
[2011年10月27日(Thu)]
2011(平成23 )年10月27日(木)
MSN産経ニュース
トップ>ニューストップ>ライフ>ブックス
【産経抄】10月27日
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111027/bks11102702520000-n1.htm
昭和35(1960)年、『夜と霧の隅で』で
芥川賞を受賞したとき、北杜夫さんは
精神科医だった。
「女性のヒステリー、ノイローゼを治す名人」
と当時の週刊誌に紹介されている。
その北さんは数年後、「躁鬱(そううつ)病」との
自己診断を明らかにした。
▼
鬱状態のときに、編集者から原稿依頼があっても、
「鬱病なので書けません。」
と断るしかない。すると編集者は必ず
「鬱病って何ですか。」
と尋ねる。そのたびに
「気分が落ち込んで、気力がなくなる病気です。」
と説明しなければならなかった。
▼
家族にとっては、鬱の後にやってくる躁状態の方が大迷惑だ。
よくしゃべり、はしゃぐようになるのはいいのだが、
北さんの場合、株を始めてしまう。
しかも、高くなってから買い、
安くなってから売るのを繰り返した。
▼
長者番付の作家部門で上位に名を連ねながら、
借金だらけで無一文だった時期もある。
エッセイストで長女の斎藤由香さんによると、
小学校のときのお年玉まで使われたそうだ。
▼
ただ、てんやわんやの騒ぎをユーモアたっぷりに紹介した
エッセーは大好評だった。
おかげで、医師に「鬱病です。」あるいは「躁病です。」
といわれても、
「北さんと同じ病気ですね。」
とほっとする患者が増えたという。
「作家としては大したことはないけれど、
躁鬱病を世に知らしめた功績はある」。
北さんは大いばりで語っている。
▼
芥川賞の授賞式のスピーチで、北さんは
自殺した芥川龍之介に比べて頭の発達が悪いと謙遜した後、
こう締めくくった。
「石にかじりついてでも
長生きしなければと思っています。」
その通りの84歳の天寿を全うした。
泉下で芥川に会っても恥ずかしくないほどの、
数々の名作を残して。
MSN産経ニュース 2011年10月27日(木)02時50分
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2011(平成23)年10月26日(水)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>暮らし・文化
作家・北 杜夫さん 死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111026/k10013511501000.html
小説『楡家(にれけ)の人びと』やユーモアあふれる
エッセーの『どくとるマンボウ』シリーズなどで知られる
作家の北 杜夫さんが、10月24日(月)亡くなりました。
84歳でした。

●
北 杜夫さんは昭和2年、東京に生まれ、
東北大学医学部に在学中から小説を書き続けました。
大学を卒業後、船医として水産庁の調査船に乗り込んだ体験を
ユーモラスに描いた『どくとるマンボウ航海記』が
昭和35年にベストセラーになったほか、
同じ年に発表した、ナチスに抵抗する精神科医を描いた
『夜と霧の隅で』が芥川賞を受賞し、
作家として本格的に活動を始めました。
その後も、自身の家系をモデルにして3代にわたる
精神科医の一族の没落を描いた『楡家の人びと』や、
明治時代にブラジルに入植した日本人移民を取り上げた
『輝ける碧き空の下で』などの純文学作品でベストセラーを
生み出す一方、ユーモアあふれるエッセーや紀行文なども
手がけました。
●
父親は歌人の斎藤茂吉で、平成3年から平成10年にかけて
発表した、4部作の『斎藤茂吉伝』で大佛次郎賞を
受賞しました。
北さんは、最近は若いころに集めた昆虫の標本を集めた
展示会を開くなどの活動を続け、去年、人気シリーズの
最新作『マンボウ家の思い出旅行』を出版しました。
今月10月1日(土)には長野県軽井沢町で開かれた
トークショーにも出席しましたが、
今月10月23日(日)に体調を崩して入院していました。
●
北 杜夫さんと同人誌の製作を通じて知り合い、
60年余りにわたって親交のあった、作家の佐藤愛子さんは、
「北さんと私は互いに20代で文学を志し、
作品の批評をはじめ何でも言いたいことを言い合える仲で、
肉親のような親しみを感じてきました。
同人誌のほかのメンバーはすでに亡くなっていて、
突然の訃報を悲しみ合う仲間もおらず、
今はただ喪失感に襲われています。」
と話しています。
●
ドイツ文学者で、北杜夫さんと親交があった
東洋大学名誉教授の岡田朝雄さんは、
「今月10月1日(土)に北さんとお会いしたときは
お元気な様子だったので、突然の知らせにただ、
びっくりしています。
北さんは硬派の文学でも多くの名作を残したが、
一方で日本文学にユーモアを取り入れて
成功した希有な作家だった。
ご冥福をお祈りします。」
と話しています。
●
北さんと長年にわたって親交があり、対談を行ったこともある
動物研究家でエッセイストの畑 正憲さんは、
「北さんの書く文章は大騒ぎをしないのに
くすくすと笑えるユーモアがありました。
私も『どくとるマンボウ航海記』以来の大ファンで、
北さんに傾倒していました。」
と話していました。
そのうえで、
「昨年、電話をしたときも元気そうだったので、
思いもよらず、本当にショックです。
小さなマンボウを剥製にして送ろうと思って
用意していましたが、畏れ多いこともあってなかなか
直接会えず、生前に渡せなかったのが残念です。」
と話していました。
●
北さんと同じ大学病院に勤め、同人誌での活動を通じて
60年近く親交がある、小説家で精神科医のなだいなださんは、
「ことし8月に軽井沢にある北さんの別荘で会ったときには、
私にお見舞いの品を贈っていただき、元気だったのに
非常にショックです。」
と話しました。
そして、
「北さんの書く文章は、父で歌人の斎藤茂吉の影響もあって、
和歌のようにことばを1つひとつ選んでいる
印象がありました。
それでいて文章も本人もユーモアがあり、一緒にいて、
思わずこちらも笑ってしまうような人でした。」
と話していました。
NHKオンライン 2011年10月26日(水)09時38分
MSN産経ニュース
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【産経抄】10月27日
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111027/bks11102702520000-n1.htm
昭和35(1960)年、『夜と霧の隅で』で
芥川賞を受賞したとき、北杜夫さんは
精神科医だった。
「女性のヒステリー、ノイローゼを治す名人」
と当時の週刊誌に紹介されている。
その北さんは数年後、「躁鬱(そううつ)病」との
自己診断を明らかにした。
▼
鬱状態のときに、編集者から原稿依頼があっても、
「鬱病なので書けません。」
と断るしかない。すると編集者は必ず
「鬱病って何ですか。」
と尋ねる。そのたびに
「気分が落ち込んで、気力がなくなる病気です。」
と説明しなければならなかった。
▼
家族にとっては、鬱の後にやってくる躁状態の方が大迷惑だ。
よくしゃべり、はしゃぐようになるのはいいのだが、
北さんの場合、株を始めてしまう。
しかも、高くなってから買い、
安くなってから売るのを繰り返した。
▼
長者番付の作家部門で上位に名を連ねながら、
借金だらけで無一文だった時期もある。
エッセイストで長女の斎藤由香さんによると、
小学校のときのお年玉まで使われたそうだ。
▼
ただ、てんやわんやの騒ぎをユーモアたっぷりに紹介した
エッセーは大好評だった。
おかげで、医師に「鬱病です。」あるいは「躁病です。」
といわれても、
「北さんと同じ病気ですね。」
とほっとする患者が増えたという。
「作家としては大したことはないけれど、
躁鬱病を世に知らしめた功績はある」。
北さんは大いばりで語っている。
▼
芥川賞の授賞式のスピーチで、北さんは
自殺した芥川龍之介に比べて頭の発達が悪いと謙遜した後、
こう締めくくった。
「石にかじりついてでも
長生きしなければと思っています。」
その通りの84歳の天寿を全うした。
泉下で芥川に会っても恥ずかしくないほどの、
数々の名作を残して。
MSN産経ニュース 2011年10月27日(木)02時50分
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
2011(平成23)年10月26日(水)
NHKオンライン
トップ>ニュース/報道>ニューストップ>暮らし・文化
作家・北 杜夫さん 死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111026/k10013511501000.html
小説『楡家(にれけ)の人びと』やユーモアあふれる
エッセーの『どくとるマンボウ』シリーズなどで知られる
作家の北 杜夫さんが、10月24日(月)亡くなりました。
84歳でした。

●
北 杜夫さんは昭和2年、東京に生まれ、
東北大学医学部に在学中から小説を書き続けました。
大学を卒業後、船医として水産庁の調査船に乗り込んだ体験を
ユーモラスに描いた『どくとるマンボウ航海記』が
昭和35年にベストセラーになったほか、
同じ年に発表した、ナチスに抵抗する精神科医を描いた
『夜と霧の隅で』が芥川賞を受賞し、
作家として本格的に活動を始めました。
その後も、自身の家系をモデルにして3代にわたる
精神科医の一族の没落を描いた『楡家の人びと』や、
明治時代にブラジルに入植した日本人移民を取り上げた
『輝ける碧き空の下で』などの純文学作品でベストセラーを
生み出す一方、ユーモアあふれるエッセーや紀行文なども
手がけました。
●
父親は歌人の斎藤茂吉で、平成3年から平成10年にかけて
発表した、4部作の『斎藤茂吉伝』で大佛次郎賞を
受賞しました。
北さんは、最近は若いころに集めた昆虫の標本を集めた
展示会を開くなどの活動を続け、去年、人気シリーズの
最新作『マンボウ家の思い出旅行』を出版しました。
今月10月1日(土)には長野県軽井沢町で開かれた
トークショーにも出席しましたが、
今月10月23日(日)に体調を崩して入院していました。
●
北 杜夫さんと同人誌の製作を通じて知り合い、
60年余りにわたって親交のあった、作家の佐藤愛子さんは、
「北さんと私は互いに20代で文学を志し、
作品の批評をはじめ何でも言いたいことを言い合える仲で、
肉親のような親しみを感じてきました。
同人誌のほかのメンバーはすでに亡くなっていて、
突然の訃報を悲しみ合う仲間もおらず、
今はただ喪失感に襲われています。」
と話しています。
●
ドイツ文学者で、北杜夫さんと親交があった
東洋大学名誉教授の岡田朝雄さんは、
「今月10月1日(土)に北さんとお会いしたときは
お元気な様子だったので、突然の知らせにただ、
びっくりしています。
北さんは硬派の文学でも多くの名作を残したが、
一方で日本文学にユーモアを取り入れて
成功した希有な作家だった。
ご冥福をお祈りします。」
と話しています。
●
北さんと長年にわたって親交があり、対談を行ったこともある
動物研究家でエッセイストの畑 正憲さんは、
「北さんの書く文章は大騒ぎをしないのに
くすくすと笑えるユーモアがありました。
私も『どくとるマンボウ航海記』以来の大ファンで、
北さんに傾倒していました。」
と話していました。
そのうえで、
「昨年、電話をしたときも元気そうだったので、
思いもよらず、本当にショックです。
小さなマンボウを剥製にして送ろうと思って
用意していましたが、畏れ多いこともあってなかなか
直接会えず、生前に渡せなかったのが残念です。」
と話していました。
●
北さんと同じ大学病院に勤め、同人誌での活動を通じて
60年近く親交がある、小説家で精神科医のなだいなださんは、
「ことし8月に軽井沢にある北さんの別荘で会ったときには、
私にお見舞いの品を贈っていただき、元気だったのに
非常にショックです。」
と話しました。
そして、
「北さんの書く文章は、父で歌人の斎藤茂吉の影響もあって、
和歌のようにことばを1つひとつ選んでいる
印象がありました。
それでいて文章も本人もユーモアがあり、一緒にいて、
思わずこちらも笑ってしまうような人でした。」
と話していました。
NHKオンライン 2011年10月26日(水)09時38分



