【次代への名言】11月25日・三島由紀夫(産経新聞)
[2008年11月25日(Tue)]
【陽明学(ようめいがく)】
中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説。
元・明代に官学として重んじられた朱子学の
主知主義的理想主義的傾向に対して現実主義的批判
を加え、主体的実践を重視した。
心が理であるという心即理(しんそくり)、
生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知(ちりようち)、
認識と実践を一致させよという知行合一(ちこうごういつ)、
欲望を肯定する無善無悪などを主要な学説とする。
王学。
→ 『大辞林』(三省堂・インターネット版)よりコピペ
●
・・・と解説をしていただいても、正直なところ、
陽明学とはどんなものなのか。まったく分からない…;
こういう行動原理って、いまの日本人の中にあるのだろうか。
それとも、いまや特別な向きの方々だけのものなのだろうか。
もしもゆとりがあれば、三島由紀夫を読んでみたい。
以下、引用
*******
2008(平成20)年11月25日(火)
MSN産経ニュース
ニューストップ>文化>学術
【次代への名言】11月25日・三島由紀夫
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081125/acd0811250243001-n1.htm
■「戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重のヒューマニズムは、
ひたすら肉體(にくたい)の安全無事を主張して、
魂や精神の生死を問はないのである」
(三島由紀夫『革命哲學としての陽明學』)
東京・市谷の陸上自衛隊に乱入、要人を人質に取り、
自衛隊員にむかって決起を促す演説をするが、
受け入れられず、割腹自殺−。
世界的作家、三島由紀夫が昭和45(1970)年の
きょうの白昼、狂気とも呼ぶべき行動を取った。
冒頭の評論はその3カ月半前、月刊誌『諸君!』に発表された。
いまは埃(ほこり)をかぶっているが、
「行動がなければ認識すらない」
という陽明学的な行動原理が日本人の心の中にひそむ限り、
「これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ知られぬ
やうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起る」
−。この日を予告するかのような一節が文中にみえる。
日本文学研究の第一人者、ドナルド・キーン氏の近著
『私と20世紀のクロニクル』
によると、悲劇はその2年前、三島の“師”、川端康成の
ノーベル文学賞受賞に遡(さかのぼ)ることができる。
川端のあと、日本人の受賞は少なくとも20年はない。
三島はそれを待てなかった。また「ノーベル賞作家」
の名声にそぐう作品を書けなくなった川端も、
2年後に三島の後を追う。
キーン氏は作家、大岡昇平の悲痛なことばを記している。
≪ノーベル文学賞が三島と川端を殺したのだ≫
2008.11.25 02:43
中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説。
元・明代に官学として重んじられた朱子学の
主知主義的理想主義的傾向に対して現実主義的批判
を加え、主体的実践を重視した。
心が理であるという心即理(しんそくり)、
生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知(ちりようち)、
認識と実践を一致させよという知行合一(ちこうごういつ)、
欲望を肯定する無善無悪などを主要な学説とする。
王学。
→ 『大辞林』(三省堂・インターネット版)よりコピペ
●
・・・と解説をしていただいても、正直なところ、
陽明学とはどんなものなのか。まったく分からない…;
こういう行動原理って、いまの日本人の中にあるのだろうか。
それとも、いまや特別な向きの方々だけのものなのだろうか。
もしもゆとりがあれば、三島由紀夫を読んでみたい。
以下、引用
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2008(平成20)年11月25日(火)
MSN産経ニュース
ニューストップ>文化>学術
【次代への名言】11月25日・三島由紀夫
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081125/acd0811250243001-n1.htm
■「戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重のヒューマニズムは、
ひたすら肉體(にくたい)の安全無事を主張して、
魂や精神の生死を問はないのである」
(三島由紀夫『革命哲學としての陽明學』)
東京・市谷の陸上自衛隊に乱入、要人を人質に取り、
自衛隊員にむかって決起を促す演説をするが、
受け入れられず、割腹自殺−。
世界的作家、三島由紀夫が昭和45(1970)年の
きょうの白昼、狂気とも呼ぶべき行動を取った。
冒頭の評論はその3カ月半前、月刊誌『諸君!』に発表された。
いまは埃(ほこり)をかぶっているが、
「行動がなければ認識すらない」
という陽明学的な行動原理が日本人の心の中にひそむ限り、
「これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ知られぬ
やうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起る」
−。この日を予告するかのような一節が文中にみえる。
日本文学研究の第一人者、ドナルド・キーン氏の近著
『私と20世紀のクロニクル』
によると、悲劇はその2年前、三島の“師”、川端康成の
ノーベル文学賞受賞に遡(さかのぼ)ることができる。
川端のあと、日本人の受賞は少なくとも20年はない。
三島はそれを待てなかった。また「ノーベル賞作家」
の名声にそぐう作品を書けなくなった川端も、
2年後に三島の後を追う。
キーン氏は作家、大岡昇平の悲痛なことばを記している。
≪ノーベル文学賞が三島と川端を殺したのだ≫
2008.11.25 02:43