基調講演「死ぬときは苦しくない」実地医家のための会創設者(内科医)・永井友二郎さん(読売新聞)
[2008年01月26日(Sat)]
死へのプロセスは本当に千差万別だろうが、
「痛みも苦しみもない最期」は理想的である。
「死ぬときは苦しくない」とは、ちょっとにわかには信じがたい。
たぶん、正直、「終始ずっと苦しくない」とは言えないだろう (;^_^A
でも、自分が死を迎えるときに、信頼しているドクターから
「死ぬときは苦しくない」と断言してもらえたら、
少しは安心して最期に臨めるような気もする。
●
亡くなる最終段階では、脳内にドーパミンなりβ-エンドルフィン
なりのさまざまなホルモンがどんどん分泌され、痛みや苦痛が
少しでも緩和されたならありがたいなと思う。
たとえば、白い光や三途の川やお花畑が見えるような
幸せな最期とか (^_^)
そうしたイメージを、確信を持って思い浮かべることができたならば、
必要以上に取り乱さずことなく落ち着いて、周りの大事なひとたち
とのお別れができるかも知れない。
(これって、ある意味、宗教に近いかも知れない)
永井先生の本を読んでみたいものだ。
以下、引用
*******
2008(平成20)年01月26日
読売新聞
ホーム>九州発>文化>医療ルネサンス・セミナー
基調講演「死ぬときは苦しくない」
実地医家のための会創設者(内科医)・永井友二郎さん
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/medical/802/me_802_020502.htm
◆ 痛みも苦しみもない最期

1918年生まれ。千葉医科大を卒業し、42年に海軍軍医
としてミッドウェー海戦などを体験。東京・三鷹市で開業。
63年に実地医家のための会を創設。
1942年(昭和17年)、軍医として連合艦隊の軍艦に乗り込んだ。
ミッドウェー海戦やガダルカナル島の攻防などを経験。
軍艦が3度爆撃され、沈没して泳いだことも2度ある。
絶えず死の恐怖に襲われる中で、
「すべてを成り行きに任せる。自然のままの結果が
自分にとって一番いい」
とする諦観(ていかん)を持つに至った。
トラック島大空襲の時には爆弾で負傷した。
せん光が走った瞬間、艦上で気を失ったが、
意識が戻ったらガラス片などが体のあちこちに突き刺さり、
体が血でべとべとした状態だった。
軍艦から別のボートに泳いで移った時、真っ昼間なのに
目の前が夕方のように暗くなった。
「死ぬかもしれない」
と思い、痛みも苦しみもないままに意識を失った。
私は「人は死ぬ時、心臓や呼吸が止まるよりも早く
意識を失うに違いない」と考えた。
戦後、戦争体験による仮説の正しさを確認するため、
病人の最期を観察し続けた。
その結果、すべての病人は意識がなくなってから
心臓が止まることを確認した。
多くの人が「死ぬのは苦しい」と思っているが、
私は「苦しみも痛みもない」と訴えている。
●
2008(平成20)年01月18日
読売新聞
ホーム>九州発>文化>医療ルネサンス・セミナー
<上>よりよく生きるための医療
◆ 死ぬときは苦しくない
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/medical/801/me_801_012301.htm

東京都三鷹市の永井医院は開業して半世紀。
院長の永井友二郎さん=写真=は1918年生まれの89歳だ。
患者約30人がそれぞれ、月に1回やってくる。
ほとんどが年下の70〜80代。
「『最期を看取(みと)ってほしい』ってね。
だから、動ける間は開いているんです」
63年、全国組織の開業医の研究会設立を呼びかけ、
人間中心の総合医学、家庭医学の拠点
「実地医家のための会」を創設した。
15年後に、そこから日本プライマリ・ケア学会が誕生。
在宅医療を重視し、死の問題について考えてきた。
永井さんが千葉医科大を卒業したのは、41年の暮れ。
翌年に海軍軍医となって従軍し、ミッドウェー、
ソロモン海戦、マキン・タラワ玉砕戦、トラック島大空襲
に遭遇した。乗艦が被弾、沈没したりし、九死に一生を得てきた。
負傷し、失神した経験から、
「心臓が止まるより早く、意識がなくなるのではないか」
と考え、長年、友人医師らの協力も得て、病人を診てきた。
そして、
「意識が先になくなって、心臓が止まる最期の時は、
苦しがることがない」
との結論に達した。
死の苦痛の心配は取り除かれたと、
著書「死ぬときは苦しくない」(講談社)
で訴えている。
生についても考える。よりよく生きるため、
いい医療が必要だ。
「病気とは、生活全体を含んだ悩み事。
医師と患者の言葉のやりとりが医療の原点」
という。
生死を見つめ続けて、今。すべてを成り行きに任せ、
自然のままの結果を自分にとって一番いいことだと考える
――諦観(ていかん)を身につけた。
*******
以上、引用終わり
「痛みも苦しみもない最期」は理想的である。
「死ぬときは苦しくない」とは、ちょっとにわかには信じがたい。
たぶん、正直、「終始ずっと苦しくない」とは言えないだろう (;^_^A
でも、自分が死を迎えるときに、信頼しているドクターから
「死ぬときは苦しくない」と断言してもらえたら、
少しは安心して最期に臨めるような気もする。
●
亡くなる最終段階では、脳内にドーパミンなりβ-エンドルフィン
なりのさまざまなホルモンがどんどん分泌され、痛みや苦痛が
少しでも緩和されたならありがたいなと思う。
たとえば、白い光や三途の川やお花畑が見えるような
幸せな最期とか (^_^)
そうしたイメージを、確信を持って思い浮かべることができたならば、
必要以上に取り乱さずことなく落ち着いて、周りの大事なひとたち
とのお別れができるかも知れない。
(これって、ある意味、宗教に近いかも知れない)
永井先生の本を読んでみたいものだ。
以下、引用
*******
2008(平成20)年01月26日
読売新聞
ホーム>九州発>文化>医療ルネサンス・セミナー
基調講演「死ぬときは苦しくない」
実地医家のための会創設者(内科医)・永井友二郎さん
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/medical/802/me_802_020502.htm
◆ 痛みも苦しみもない最期

1918年生まれ。千葉医科大を卒業し、42年に海軍軍医
としてミッドウェー海戦などを体験。東京・三鷹市で開業。
63年に実地医家のための会を創設。
1942年(昭和17年)、軍医として連合艦隊の軍艦に乗り込んだ。
ミッドウェー海戦やガダルカナル島の攻防などを経験。
軍艦が3度爆撃され、沈没して泳いだことも2度ある。
絶えず死の恐怖に襲われる中で、
「すべてを成り行きに任せる。自然のままの結果が
自分にとって一番いい」
とする諦観(ていかん)を持つに至った。
トラック島大空襲の時には爆弾で負傷した。
せん光が走った瞬間、艦上で気を失ったが、
意識が戻ったらガラス片などが体のあちこちに突き刺さり、
体が血でべとべとした状態だった。
軍艦から別のボートに泳いで移った時、真っ昼間なのに
目の前が夕方のように暗くなった。
「死ぬかもしれない」
と思い、痛みも苦しみもないままに意識を失った。
私は「人は死ぬ時、心臓や呼吸が止まるよりも早く
意識を失うに違いない」と考えた。
戦後、戦争体験による仮説の正しさを確認するため、
病人の最期を観察し続けた。
その結果、すべての病人は意識がなくなってから
心臓が止まることを確認した。
多くの人が「死ぬのは苦しい」と思っているが、
私は「苦しみも痛みもない」と訴えている。
●
2008(平成20)年01月18日
読売新聞
ホーム>九州発>文化>医療ルネサンス・セミナー
<上>よりよく生きるための医療
◆ 死ぬときは苦しくない
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/medical/801/me_801_012301.htm

東京都三鷹市の永井医院は開業して半世紀。
院長の永井友二郎さん=写真=は1918年生まれの89歳だ。
患者約30人がそれぞれ、月に1回やってくる。
ほとんどが年下の70〜80代。
「『最期を看取(みと)ってほしい』ってね。
だから、動ける間は開いているんです」
63年、全国組織の開業医の研究会設立を呼びかけ、
人間中心の総合医学、家庭医学の拠点
「実地医家のための会」を創設した。
15年後に、そこから日本プライマリ・ケア学会が誕生。
在宅医療を重視し、死の問題について考えてきた。
永井さんが千葉医科大を卒業したのは、41年の暮れ。
翌年に海軍軍医となって従軍し、ミッドウェー、
ソロモン海戦、マキン・タラワ玉砕戦、トラック島大空襲
に遭遇した。乗艦が被弾、沈没したりし、九死に一生を得てきた。
負傷し、失神した経験から、
「心臓が止まるより早く、意識がなくなるのではないか」
と考え、長年、友人医師らの協力も得て、病人を診てきた。
そして、
「意識が先になくなって、心臓が止まる最期の時は、
苦しがることがない」
との結論に達した。
死の苦痛の心配は取り除かれたと、
著書「死ぬときは苦しくない」(講談社)
で訴えている。
生についても考える。よりよく生きるため、
いい医療が必要だ。
「病気とは、生活全体を含んだ悩み事。
医師と患者の言葉のやりとりが医療の原点」
という。
生死を見つめ続けて、今。すべてを成り行きに任せ、
自然のままの結果を自分にとって一番いいことだと考える
――諦観(ていかん)を身につけた。
*******
以上、引用終わり




本を読んでみます。
とても参考になりました。