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NPO法人宮崎自殺防止センターを応援したい

NPO法人国際ビフレンダーズ 宮崎自殺防止
センターでボランティア活動を始めました。
いろいろと勉強中です。

なお、このブログは、自死等の相談に応じるものではありません。


NPO法人宮崎自殺防止センター
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94年、ALSの患者会を設立 平山真喜男さん(毎日新聞/宮崎)  [2008年09月23日(Tue)]
専門家によるサービス(医療など)が重要なのはもちろんだが、
当事者による自助グループ(self-help group) の存在は、
ものすごく貴重である。平山さんたちのがんばりに刺激される。

以下、引用

*************

2008(平成20)年09月23日(火)
毎日新聞
トップ>地域ニュース>宮崎

快人がゆく:94年、ALSの患者会を設立
平山真喜男さん /宮崎
http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20080923ddlk45040640000c.html

◇ 絶望から患者を助けたい
「いつも明るくて、よく笑う。私たちの方が元気をもらっています」
とボランティアたちは話す。

94年、ALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)の
患者会を設立した。筋肉の萎縮が徐々に進行する難病で、
いまの医学では治せない。県内には約85人の患者がいるといわれる。

その半生は苦難の連続だった。異変を感じたのは38歳の時。
「ある晩、突然足がつったような痛みを覚えた」

大学病院での診断結果はALS。
「いずれ呼吸機をつけて寝たきりになるとわかった。
怖くて1カ月は泣いて過ごした」

病状は急速に進行した。ろれつが回らなくなり、
発語が不自由になった。やがてつえがないと歩けないようになった。
当時、埼玉県内の会社で技術職として働いていたが、
慣れたはずの作業ができなくなった。
発症からおよそ2年、ある日社長室に呼ばれた。
「よく頑張ってくれたが、やめてもらうことになった」

失意のまま、故郷の宮崎へ帰った。人とは会わなかった。
高校では剣道部に所属、国体にも出場したスポーツマンだった。
自力で歩くこともままならない姿をさらすのは、
プライドが許さなかった。

転機は、ある重病患者との出会いだった。
94年、所属するキリスト教会の牧師の紹介で
鹿児島県在住のALS患者、木脇正敏さん(63)を知った。
彼は電動車いすに乗り、足の指に筆をしばって油絵を描いていた。

目からウロコが落ちた。当時、自分はつえがあれば歩けた。
なのに病状が進行している木脇さんの方が、伸び伸びとして見えた。

その後、患者会を設立し、患者同士の交流会や、街頭キャンペーン
などに取り組み始めた。

発症から18年。
「親指にだんだん力が入らなくなっている」
と手のひらに目を落とす。

しかし、
「絶望している患者を助けるのが自分の仕事。
まだやり残したことがたくさんある」
とつらいリハビリに歯を食いしばっている。

【川上珠実】

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■ 人物略歴

◇ ひらやま・まきお
56歳。日南市生まれ。日本ALS協会宮崎県支部長。
現在は月2回ほど通院し、週3日、リハビリ施設に通う。
10月18日14時、宮崎市の宮崎山形屋前で
ALS患者会への募金などを呼びかける啓発街頭
キャンペーンを実施する。一人暮らし。

毎日新聞 2008年09月23日 地方版

*********

以上、引用終わり
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