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五木寛之さんと鬱の思想(毎日新聞) [2008年09月05日(Fri)]
毎日新聞の書評のことば
「人は皆、小さな弱き者にすぎない。
己の弱さと向き合い、他の弱き者の思いに
寄り添うことのできる人間でありたい」
というメッセージにうなづかされた。

ひとは強さと弱さ、しなやかさと脆さを
それぞれに備えた存在だと思う。
五木寛之さんの本を読んでみたくなった。

以下、引用

**********

2008(平成20)年09月05日(金)
毎日新聞 東京夕刊
トップ>ニュースセレクト>話題

特集ワイド:
この国はどこへ行こうとしているのか
五木寛之さん
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080905dde012040012000c.html

<蟹工船の時代に>

◇ 「鬱の思想」持てばいい−−五木寛之さん(作家)
◇ あと50年いずれどんな氷も解けます

赤と黒、鮮烈な2色刷りカバーの文庫本が
日本列島を席巻している。
そう、小林多喜二のプロレタリア小説「蟹工船」。
工場らしきシルエットにハンマーと斧(おの)が
クロスしたマークまで添えられている。
早大の露文に学んだ五木寛之さん(75)にしてみれば、
この突然のブーム、感慨なきにしもあらずでは?

「ええ、僕らの世代にはプロレタリア文学は聖典でした
からね。むろん、小林多喜二はよく読まれていました。
僕は葉山嘉樹(よしき)のほうが好きで、
彼の『セメント樽(だる)の中の手紙』をミュージカルに
したこともあります。先日、京都の書店に行ったら、
貧困コーナーっていうのがあって、格差社会、下流社会を
扱った本のそばに『蟹工船』も並んでいた。
たくさんの人だかりができているのには驚いた」

非合法下の共産党に入り、左翼文学に情熱をささげた
小林多喜二は1933年、特高警察に捕まり、虐殺される。
29歳の若さだった。同じ年、ちまたでは「東京音頭」
が大流行する。五木さんが生まれた翌年のことである。
「そうか……」。
旅から旅の作家ゆえ、北海道へ旅立ち間際、東京のホテルでの
インタビューとなった。不気味な雲が垂れ込めだした。
またゲリラ豪雨か? コーヒーにたっぷりミルクを注ぎ入れ、
続ける。

「小林多喜二が『蟹工船』で一生懸命書きたかったのは、
前半じゃなくて後半なんです。地獄のような労働の現場じゃなくて、
労働者が連帯して立ち上がっていく、そこでしょう。
いまの若い人たちは、筑豊の炭鉱の有り様も知らないはず。
『蟹工船』も読んで初めて、世の中には昔からこんな
過酷な労働があったんだ、その部分に驚いているんじゃないか
とも思いますね」



なるほど、挫折したはずのプロレタリア文学が
市場主義全盛の平成の世によみがえったとはいえ、
それは表層の現象にすぎないかもしれない。
五木さんはこの国を覆う
「鬱(うつ)の気分」
に目を向ける。「蟹工船」ブームの奥底へ。
70年代に新聞連載した小説「凍河」(平凡社)を
新版として刊行したばかり。
「未熟な若い小説ですね」
と照れつつも、今の時代に読んでほしいと願っている。
精神を病んだ女性と青年医師の恋愛、
女性についてこんなくだりがある。

<……あのひとの中にそういった、争って生きる、
強いものが弱いものを蹴落(けお)として生きる、
そして戦って生きていく、自由競争という名のもとでの
弱肉強食に対する根源的な嫌悪感があるんじゃないかと
思うんです。あのひとは昔からそういうひとだった。
そして、そういう戦いの場からいつも逃れて生きていこうとした。
もし、やむをえず相手に逆らわなければいけないような時には、
抵抗を放棄して、相手のするままになって、被害を受けるほうを
選んだ>

「日本は高度経済成長という躁(そう)の時代が終わり、
鬱の時代に入った。すでにあのころ、鬱の季節を
予感していたのかもしれません。人々の心が華やかに
動いているようにみえて、大きな氷の塊を抱えている。
凍河といえば、僕には記憶があるんですよ。
小学生のころ、凍りついたソウルの漢江を渡ったり、
中学生のころ、平壌の大同江でスケートしたりしましたから」

鬱の季節−−。それがこの先50年は続く、
と五木さんは考えている。
「いずれどんな氷も解けます。平壌では大同江の氷が
地響きとともに崩れ、海へ流れ出すと、ああ、春がきたな、
と感動した」。

でも、50年は気が遠くなるなあ。出口の見えないトンネルが
そんなに長いとは。

「やはりものごとは行き着くところまで行かなければ。
バブルも絶頂期ではじけたんですから。いまの氷も
まだまだ解けない。ただ、冬には冬の道の歩き方があります。
鬱の時代の生き方、鬱の思想を持てばいい」

そう言って、またゆっくりコーヒーカップを傾けた。
窓の外の嵐の気配にも穏やかな顔である。
百寺巡礼し、多くの仏に会ってきたせいだろうか。
あらがおうとはせず、ありのままを受け入れる。
言葉の端々に感じられる。思えば、万国の労働者よ団結せよ!
とこぶしを振り上げたプロレタリア文学を土壌に生まれた
五木文学、そのにおいはいま、よほど鋭敏な鼻がなければ、
かぎわけられない。ベストセラーに込められた語りに、
悩める現代人は救いを見いだすのである。まるで坊さん代わり。



この秋、久しぶりに新聞の連載小説をスタートさせた。
親鸞(しんらん)が主人公。

「親鸞が生きた中世は、京都に4万数千人の餓死者と病死者が出て、
賀茂川に山積みになる時代でした。武士が台頭し、それまでの
貴族社会が崩壊していく動乱の時代でもありました」。

親鸞の教えを収めた「歎異抄(たんにしょう)」の私訳も試みている。
その前書き。

<他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生きのびてきた自分。
敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく
生きていた。その黒い記憶の闇を照らす光として、
私は歎異抄と出会ったのだ>(「私訳歎異抄」東京書籍)

読んでの通り、あの「凍河」のせりふそっくりの言葉が並んでいる。
五木さんがものを書く原点、テーマがここに凝縮している気が
してならない。

<他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生きのびてきた>。

そんな自分への嫌悪、反省から作家は筆を執ったのではなかったか。
ともに生きようじゃないか、との叫び声が聞こえる。
「だって、僕はロシア文学がホームグラウンドでしたからね」。
柔らかい笑いを浮かべるのだった。

「親鸞の師、法然(ほうねん)は易行(いぎょう)念仏を説きました。
易行は貧しい者も、字の読めない者も、誰でもやさしく行える教えです。
僕は小説家も易行で書かなければと肝に銘じています。
法然、親鸞は学問の最高峰、比叡山で勉学を積んだあと、山を下り、
悪の横行する民衆のなかへ分け入って、念仏を唱えました」

ぽつぽつ大粒の雨が落ちてきた。
「あわただしくて申し訳ない」。
民衆のなかへ分け入らねばということか、
五木さんを乗せた車は羽田空港へ急いだ。

【鈴木琢磨】

* * *

社会を見渡せば、あちこちに「貧困」の断層が見える。
生きにくい時代は、生きられない時代へと進むのか。
「この国」の新シリーズ「蟹工船の時代に」は、
毎週金曜日に掲載します。

==============

◇ 本になります
「おちおち死んではいられない」

昨年6月から1年間掲載した「この国」のシリーズ
「おちおち死んではいられない」が9月中旬、
毎日新聞社より出版されます。戦中・戦後の激動期を
生き抜いた哲学者、作家、ジャーナリスト、芸術家たち
48人のインタビュー集です。定価1470円。
注文はお近くの書店、または毎日新聞販売店まで。

==============

◇ 「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mbx.mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

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■ 人物略歴

◇ いつき・ひろゆき
1932年、福岡県生まれ。戦後、朝鮮半島から引き揚げ、
早大露文科中退。66年に「さらばモスクワ愚連隊」で
小説現代新人賞、「蒼ざめた馬を見よ」(67年)で直木賞。
「青春の門」で吉川英治文学賞。
仏教への造詣が深い。

毎日新聞 2008年09月05日 東京夕刊



2008(平成20)年08月31日
毎日新聞 地方版
トップ>地域ニュース>鳥取

講演会:慈と悲を考え…作家の五木寛之さん
「今を生きる力」テーマに−−鳥取/鳥取
http://mainichi.jp/area/tottori/archive/news/2008/08/31/20080831ddlk31040277000c.html

◇ 浄土真宗本願寺派の僧侶ら、50回目
浄土真宗本願寺派の僧侶らでつくる会「いのちみつめて」
が30日、鳥取市扇町の県民ふれあい会館で、
作家の五木寛之さんを招き講演会を開催した。
集まった約500人は五木さんの興味深い話に耳を傾けていた。

同会は代表の西池文生さん(45)の友人が
自殺したことをきっかけに96年に結成された。
「人としてどのように生きるか」
を考える場を提供しようと、30〜40代の僧侶が中心になり
年4回、県内で講演やコンサートを開いている。
命や生き方に関することを始め、医療や環境問題なども扱い、
テーマは多岐にわたるという。今回は50回目の節目の開催だった。

この日、五木さんは「今を生きる力」をテーマに約1時間半講演。
この中で、五木さんは現代を生きるためのキーワードとして
「慈悲」と「鬱(うつ)」を挙げた。

「励ます(慈しむ)のも大事だが、励ましてもどうしようもない時もある。
そういう時は悲しめばよい」
と「慈」と「悲」を分けて考えて、両方を大切にするよう求めた。

また、「鬱」という言葉の本来の意味は「鬱蒼(うっそう)」
という言葉のように、草木が茂る、エネルギーがある状態で
あることを指摘。その状態が抑え込まれることによって、
転じて「落ち込んでいる」という鬱の意味になると説明。
「鬱を感じる人は生命力がある人です」
と話した。

講演を聴いた島根県雲南市の大学生、多賀芳文さん(22)は
「鬱にはマイナスのイメージがあるが、鬱自体は悪いものでは
ないという言葉が心に残った」と話していた。

【遠藤浩二】

毎日新聞 2008年08月31日 地方版



2007(平成19)年09月21日
毎日新聞
トップ>エンターテインメント>毎日の本棚>毎日新聞社の本



【話題本】『弱き者の生き方』=五木寛之/大塚初重・著
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080831-00000242-mailo-l31

『弱き者の生き方』=五木寛之/大塚初重・著

◇ 人は皆弱きもの。どう生くべきか。文芸と考古学の重鎮が赤裸々に語る。

−五木寛之(作家)×大塚初重(考古学者) 対話集−

「私はこれまで、ずいぶん多くの人々と対話を重ねてきた。
しかし、今回の大塚初重先生との対話ほど、よく笑い、かつ深く
感動した機会はなかったように思う。それは圧倒的な体験だった」

−まえがきより 五木寛之

敗戦、引揚げ、捕虜生活……。過酷な戦時下を生き延びるために
選んだやむを得ない行為が、今も2人の心に暗い影を落としている。
そんな両氏も、今や、文学と考古学という各フィールドにおいての
重鎮であるが、彼らがこれまでの命がけで歩いてきた道のりを知れば、
人を「勝ち組」「負け組」などという言葉で片付けてしまうことが、
いかに無意味なことかがわかる。
「平和な時代に改めて戦争の話を持ち出しても
野暮だと言われることを承知の上で」、
2人は重い記憶を掘り起こし、現代の私たちに問う。

年間3万人もの自殺者がいて、子殺し、親殺しが跋扈する。
戦争でもないのになぜ人の命はこんなにも軽くなってしまったのか。

人は皆、小さな弱き者にすぎない。
己の弱さと向き合い、他の弱き者の思いに寄り添うことのできる
人間でありたい。

2007年9月21日

***********

以上、引用終わり
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