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今日の人225.赤池 龍さん [2024年01月13日(Sat)]
 今日の人は、一度会ったら忘れられない赤池龍さんです、なんで忘れられないって、この写真をご覧いただければ一目瞭然ですね。
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 赤池さんは一般社団法人小さな冒険学舎の理事長や、小学校のPTA会長や、ほかにもいろいろやっていらっしゃるのですが、ご本人は肩書きはどうでもいいと思っておられるので、そこには深く触れずにおきましょう。
 赤池さんが生まれたのは1978年8月1日。生まれたのは京都ですが、育ったのは大阪の枚方市です。小さい時から赤池さんは、気になることがとことん気になる性分で、知りたいことは人がどう思おうと関係なく、なんでもやってしまうのでした。なんでレバーを回すと水が出るんだろうと思って、レバーを外しちゃったり、ふたを落として割ったり、あまりになんでもやってしまうので、幼稚園の時は、クラス担任の先生の他に赤池さん専属の先生がいたくらいでした。それくらい目の離せない子だったのです。それは小学校に入っても変わらず、学校で飼っていたウサギを逃がしたり、鶏を絞めてしまって羽が抜けない(お湯に入れないと羽は抜けないのですが、そんなの小学生は知らないですね)と羽を格闘していたら人だかりができてしまったり、とにかく、お母さんはしょっちゅう菓子折りを持って学校に行って謝っていました。それでも、お母さんは赤池さんのことを怒ったりはしませんでした。
学校の先生が火災報知器を押すとすぐに消防車が来るから押してはいけないというのを聞くと、本当に消防車が来るのか、どうしても押してみたくなって、押しました。例のごとくお母さんは菓子折りを持って先生に謝りに行ったのですが、その帰り道、赤池さんに言いました。「それで消防車は本当に来たの?」「ううん。来なかったよ」
 そんな調子でしたから、赤池さんの好奇心が止むことはありませんでした。でも、何事も一度自分で体験したらそれでOKなので、同じことを何度も繰り返すことはしませんでした。
 小さい時はぜんそく気味だったこともあって、1年生から剣道を習っていたのですが、闘争心がないので、剣道といえども人を叩くのは性に合いませんでした。それでそんなに気合を入れてやっていなかったのですが、2年生の時に公益財団法人育てる会の自然体験キャンプと長期プログラムの山村留学のチラシを見て、このキャンプに行きたい!山村留学したい!と思いました。剣道で入賞したら行ってもいいよ、と言われた赤池さん。型の部門でがんばって、なんと有言実行で入賞。こうして、まずは1週間の自然体験キャンプに参加します。このキャンプが本当によかった!やっぱり長期プログラムの山村留学もしたい!やりたくなったらやらなきゃすまない赤池さんです。3年生から長野に山村留学することに決めました。決めたといっても親元を1年も2年も離れるわけだし、地元の小学校へ行くのと違ってお金もかかるので、ご両親の理解がなければ到底できることではありませんでした。山村留学する長野に行くときも、親は現地まで送っていってはいけません。実家の最寄りの駅まで送り、そこから先は自力で行きます。
 こうして3年生から、赤池さんの山村留学の日々が始まりました。好奇心の塊の赤池さんにとって、この山村留学の学校は、もってこいの場所でした。今までだったら先生に注意されていたことが、ここでは褒められるのです。何かを見つけて教頭先生のところへ持っていくと、教頭先生はそれをプレートにしてほめてくれるのでした。特に初見のものだと「すごいな!よく見つけたな!」とほめてくれます。それで、新しいものを探すのに一生懸命で、火災報知器のボタンを押すことをすっかり忘れていったのでした。もっとも、溝の奥でどろどろになって死んでいたドブネズミを持っていったときは、さすがにこれはやめとこうと言われましたが。
 山村留学中は、月の半分はみんなと同じセンターで過ごし、残り半分は農家でホームスティをして過ごします。センターにいるときは、味噌作りや椎茸栽培などをし、ホームスティの時は、3〜4人ずつのグループに分かれて農家で暮らします。洗濯など自分のことは自分でしなければなりません。昔の農家なので、トイレは家の外にありました。夜、外までトイレに行くのが面倒くさかった赤池さんは、上級生の持ち物を入れた段ボールの中に用を足していました。「誰だ?こんなところでおしっこしたやつは?」最初は黙っていましたが、嘘だけはつくな、と言われ、嘘はつかなくなりましたが、相変わらず段ボールで用は足していたのでした。でも、先輩の段ボールで用を足していることに居心地の悪さを覚えるようになり、そのうちやらなくなりました。すぐにやめんかったんかーい!と思っちゃいますが、自分が納得しないとやっちゃうのですね。集落全体で農作業をやることもしばしば。そんな時は小学生といえども大きな戦力でした。
 こうして3,4年生を山村留学で過ごした赤池さんは5年生の時に、もともといた小学校に戻りました。しかし、山の小学校と都会の小学校はなにもかも違いすぎました。もとの学校へ戻ったけれど、ずっと浮いている気持ちがしていました。山村留学から戻った生活に順応できなくて、引きこもりになってしまう人も珍しくないのですが、赤池さんは引きこもりにはなりませんでした。けれども、この5年生くらいから中学生くらいの期間の記憶がほとんどないことを思うと、やはり、相当ダメージがあったのでしょう。
 ほとんど覚えていないことと目立たないはイコールではありません。赤池さんは足が速く、運動会では花形でした。中学校でも陸上部の短距離で地区代表になるくらい早く、女の子にもとても人気がありました。生徒会では書記をしていたのですが、英検の学校受験の時に面倒くさくて行かなかったら、生徒会副会長の女の子が代わりに受けてくれました。赤池さんはなぜかいつも世話を焼いてくれる人が周りにいるのです。そういう星のもとに生まれたんですね。
 赤池さんは国語・英語・社会といった文系科目が得意でした。一方数学や物理・化学など、理系の科目は苦手でした。ところが、法学部出身のお父さんが、文系だと就職がないからと理系を強く勧めました。お父さんの強い勧めの他に動機になったのが、そのころ流行っていたゲームのドラゴンクエストです。赤池さんは自分に足りない数学と理科を入れると賢者になれると思いました。それで、自分でも行けそうな理系の学校を探していた時に富山高専を見つけます。こうして、なんと、家族みんなで富山に引っ越してきた赤池家なのでした。あっさり山村留学を許してくれたり、いくらお父様が転勤族とはいえ息子の進学先に合わせて家族で引っ越したり、すごいご両親だなと思ってしまいますが、このご両親がいたからこその赤池さんの特異なキャラクターが生まれたのだろうなと思わされます。
 さて、高専に入ると当然のことながら理系科目の授業ばかり。というか数学と理科しかやらない感じでした。そして、自分が賢者になれないことは、入って早々に分かりました。でも、赤池さんの入った物質工学科は高専の中では大変珍しく、女子が多い学科でした。そう、赤池さんの特技、女の子を味方につける!がここでも遺憾なく発揮され、女子にいろいろ見せてもらいながらスルリスルリといろいろな場面をくぐり抜けていきました。
 そんな高専3年生のある日のことです。赤池さんは3階の教室から突然飛び降りました。自殺したいとか、そんな気持ちがあったわけではありません。そんなつもりがなかったのに、ちょっとした隙間に連れていかれそうな気分になって、気がついたら飛び降りていました。足から落ち、命は無事でした。しかし足は粉砕骨折をしていました。半年の入院中、最初は寝返りさえ打ってはいけませんでした。やがて車椅子で動けるようになると、昔の癖が出てきました。病院内の鍵のかかっていないところはどこまででも行ってしまうし、車いすでどこまでいけるかやってみたくなって、富山駅まで車椅子で行きました。その時は看護師が迎えに来てくれて大目玉をくらいましたが、それで懲りる赤池さんではありませんよね。
入院していたのは整形外科だったので、みんなどこかしら不自由な部分を抱えています。そこで動ける人はご飯をとって来てあげる、手が動く人はみかんの皮をむいてあげるなど、お互いできることで助け合うことが当たり前になっていました。
 でも、この飛び降り事件がきっかけになって、付き合っていた彼女の親からは交際を反対されて別れましたし、その後も続いている友だちは数人だけになりました。足が完璧に戻らないので、バランスが悪くなり、劣等感を抱えるようにもなりました。
 こうして卑屈な気持ちのまま、富大の理学部化学科に編入します。今の赤池さんからは想像できませんが、この時は同じ研究室の人とくらいしかつき合いませんでした。その後、両親の勧めもあって大学院にも進みました。就職したのは製薬会社で、麻薬研究者として薬のレシピを考える研究員になりました。赤池さんが薬のレシピを考え学位の低い人たちが実際にその薬を作るのです。それでも理系は苦手です、という赤池さん。薬を作ると最後に動物で実験しなければならないのもイヤでした。実験した後は、その動物には死が待っているからです。
 アシスタントをしていた人と結婚した赤池さんはリスクヘッジで、別々の会社で働くことにします。その時、会社を移ったのは奥さんではなく、赤池さんの方でした。ベースは理系がイヤだった上司の赤池さんが転職したのです。そんな赤池さんはとある商社の営業マンの運転手になりました。その営業マンは大変やり手の方だったのですが、癌でもう体力がなく、赤池さんがついて、ある時は長崎、ある時は岡山と、日本全国を回ることになりました。研究者だった人が運転手になる?もうその時点で頭の中は?マークでいっぱいになりそうですが、それを疑問に思わせないのが赤池さんの不思議なところです。
 そんな日々の中で、子どもがもうすぐ2歳になろうとしていた頃、奥さんが突然子どもを連れて家を出てしまいます。家族が仕事のモチベーションだった赤池さんは愕然としました。運転手をしていた営業の方が亡くなって、その仕事を引き継いで営業の仕事をするようになった赤池さんは、家にいたくなくて、ひたすら外に仕事に出かけました。そうして平日は仕事に打ち込み、休みになると、自分が変われば奥さんと子どもが家に帰ってきてくれるとばかりに自己啓発系の勉強にさんざんお金をつぎ込みました。しかし、別居して2年経っても奥さんは戻ってきませんでした。
 そのころ、亡くなった上司の家でのパーティに出たことがありました。それまで、出て行った奥さんのことを誰にも話さなかった赤池さんですが、この時、課長に話しました。すると課長は「子どもを引き取れ、会社は全面的にバックアップするから」と言ってくれたのです。赤池さんは思いました。ああ、自分は課長に愛されている。だから、この人のために頑張ろう。こうして、ますます仕事に精を出すようになりました。
 赤池さんの会社は世襲制ではなく、社長が次の社長になる人を選ぶというシステムでした。社長が指名した次期社長は赤池さんを可愛がってくれている課長でした。そうして、課長は社長になる時に、「赤池くんがすごく働いてくれているから」と役員に引き立ててくれたのです。こうして、運転手として入った会社で、赤池さんは役員になりました。
 もう出て行った奥さんは帰ってこないとうすうす感じていましたが、自己啓発系の人には相変わらず「もう少しですね。もう少しがんばれば帰って来ますよ」と言われていました。そんな時、出会ったのが今の奥さまなつこさんです。赤池さんの話を聞いて、「2年経ったのなら帰ってこないでしょう。もう無理でしょう」と初めてはっきり言ってくれたのです。そして、なつこさんがすごいなと思うのは、子どもが欲しいという赤池さんに「わかりました。私が子どもを産んであげます」となんの躊躇もなく言ったことでした。赤池さんは思いました。『ああ、神様が彼女を派遣してくれたんだな』と。
 赤池さんは元の奥さんと離婚し、なつこさんと結婚しました。そうして今は赤池さんによく似た怪獣みたいにハチャメチャな子どもたちに囲まれて楽しい毎日ですし、小学校ではPTA会長として多くの子どもたちや親御さんと関わる毎日です。もちろん、赤池さんが理事長を務める小さな冒険学舎でも。
 赤池さんはよく聞かれます。「どうやったら子どもが言うことを聞きますか?」これは本当に愚問だと思っています。多くの親は子どもとの関わり方がわからなくなり、いろいろなHowTo 本を読み、テクニックで子どもと関わろうとしている。子どもをほめろほめろと言われ、子どもたちは褒められることばかり求めるようになる。本当にそうだろうか?子どもたちは褒められることよりも、そうかそうかと自分の話を聞いてくれる人を求めているのではなかろうか。昔はおじいちゃんやおばあちゃんがいて、そうかと言ってくれる人がいたけれど、今はそうかと言ってくれる人がいない。そうして親はテクニックばかり求めようとする。でも、まずは「どうやったら?」と答えを求めることをやめたらいいと赤池さんは言います。「どうやったら言うことを聞くか?」はすなわち親のレールに乗った子を育てたいという裏返しになってしまうから。
 私たちは小さい時から「命は大事だよ」と聞かされて育ちます。それなのに、今の日本は毎年自殺で3万人近くの人が亡くなっている。特に10代20代という若い世代の死亡率の第1位は自殺という異常な状態です。でも、この異常な状態をおかしいと思わなくなってる。それこそおかしいんじゃない?年間3万人も自殺で死ぬなんておかしい!赤池さんはそれを声を大にして言いたいのです。
 「ねえ、命は何で大事なの?」と子どもに質問された時、あなたは何と答えるでしょうか?「大事だから大事なの!」と答えに詰まってしまう人が多いのではないでしょうか。
赤池さんは言います。それは神様との約束だから。私たちはこの世に生まれる時に、神様との契約書にハンコを押して生まれてくるのだと。生まれる前に計画書を書いて、それを神様が見て、あなたが頑張ればそれをできる!というような計画書だったら神様はハンコを押してくれて、この世に生まれる。その契約書には自殺するってことは絶対に書いてない。
 例えば万引き防止のポスターの入選作などを見ていると、カメラが見ている絵が描いてあって「ダメ、絶対!」と書いてあることが多い。けれども、それはカメラが見ているからダメなの?それはちがうよね。誰も見ていなくても神様が見ている。悪いことをすると、あなたの心が汚れるよ。この世に生まれる時の神様との契約書にハンコ押したときの約束とちがうでしょ。
 こういう話をすると、おもしろい話をしてくれた、で終わることももちろんあります。けれど、年間3万人も自殺で命が奪われるこの国の現状は誰が見ても尋常だとは思わないでしょう。
でも、誰にでもふっと死神が襲ってくることがある。実は赤池さんは妹さんを自殺で失っています。妹さん前日まで普通にしていて、突然自殺しました。30歳の時でした。そんなつもりはなかったのに、ちょっとの時間で連れていかれそうになることはきっと誰にでもある。赤池さん自身もそうでした。死のうと思っていなかったのに飛び降りてしまった。じゃあ、それを思いとどまるにはどうしたらいいのか、それはその時に、神様との約束のことを思い出すか否かが大きいと赤池さんは思っています。だから赤池さんはそれを言い続けるのです。
 そうして、私たちは選ばれて生かされてこの世に存在しているのに、張り切らずに職場に行って、なんとなく過ごす1日を繰り返す人がなんと多いことでしょう。そんな人たちは何が楽しくて生きているの?ちゃんと自分で計画を立てた契約書にハンコを押して生まれているのだから、ワクワクして過ごそうよ。だから、赤池さんは、次の世代を育てるために、子どもたちと若手社員の育成に力を注いでいます。会社では理念で採用したい。子どもたちに父ちゃんすげー、母ちゃんすげーと尊敬される仕事をするそんな若手社員を育てたい。子どもたちには自らの力で社会を切り開いていく強さを持ってほしい。結果を受け入れ乗り越える、解決策を見つける、困った時は助けを求める、レジリエンスを持った強い子を育てたい、そのために小さな冒険学舎でさまざまなプログラムを展開しています。
 今の日本は、かつて戦争で命を落としていった人に胸を張れる日本だろうか。彼らはこんな日本にするために命を投げ打ったのか。否。だからこそ、ちゃんと胸を張れる日本にしたいのです。
 今はいろいろなことに配慮しすぎな世の中になって、かえって生きにくくなってしまった。アリとキリギリスのお話のキリギリスになっている人が最近増えているのではないでしょうか。コロナの時も、みんなもらおうもらおうとして、政府もこれだけあげるから許して、という姿勢。どんな汚い恰好で仕事をしていても、別に何ももらえなくても、日々の生活の感謝を忘れない日本人はどこにいったのでしょう。そんな働く姿を子どもたちが見ていて、大人の働く姿はかっこいいと思っていた日本人はどこにいったのでしょう。赤池さんはそんな大人の働く姿を子どもたちに見せたいと思っています。俺の父ちゃんってこんなにかっこいいんだぜ。母ちゃんってこんなに素敵なんだぜ。そういう子どもたちはきっと神様との約束を大切にして自ら命を落とすことはしないと思うから。
 だから赤池さんの挑戦はまだまだ続きます。そんな赤池さんが、今ホッとできる時間は、子どもたちと一緒にボーっとしたりお風呂に行ったりする時間。滑川と水橋にお気に入りのお風呂があるそうですが、それがどこかは皆さんのご想像にお任せします。もっとも、赤池さんの風貌だとすぐに見つかってしまいますね。