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今日の人171.前田昌宏さん [2017年10月19日(Thu)]
今日の人は、APA SPORTS CLUB執行役員and健康運動指導士の前田昌宏さんです。
前田さんは、とやま健泊もコーディネートして、富山の人々の健康をバックアップしています。とやま健泊は富山県内の宿泊施設に泊まって、運動指導と栄養指導を受けられるというプログラムを役安で受講できるとっても素敵なプランです。ぜひチェックしてみてください⇒http://toyama.kenpaku.jp/
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 前田さんは1967年に石川県で生まれ育ちました。男3人兄弟の真ん中だったので、常に微妙な立ち位置でした。家は温泉街で散髪屋をやっていました。そういうわけで両親はいつも忙しく、保育園にはおじいちゃんが送り迎えをしてくれました。小さい頃はおじいちゃん子だった前田さん。太っていたのでコロがあだ名でした。あんちゃん(お兄さん)の友だちと一緒に外遊びをする毎日。上の人たちからはとても可愛がられました。

 昔から根はマジメで、必ず宿題をしてから遊びに行っていました。勉強もよく出来たので、いつも学級委員に選ばれていました。でも自分の思いが通らないと泣いてしまうところがありました。今でも内面はナヨナヨしていると思っています。(外見からは全く想像できないのですが)そんな小学校時代の悲しかった思い出は、児童会長選挙に出たくないのに立候補させられて、挙句に落選してしまったというものです。勉強ができる子よりも、人気があって笑いが取れるタイプの子が選ばれやすいですものね。
 
 子どもの頃から柔道をやっていて、その後は野球をやり始めます。野球クラブではキャッチャーでした。中学校でも野球部に入り、ポジションはやはりキャッチャー。キャプテンも務めましたが、最後の大会の直前に正キャッチャーの座を奪われてしまいます。その子が試合で逆転ホームランを打ってチームが勝利したので、嬉しい反面とても複雑なのでした。中学時代のほろ苦い思い出です。けれど、後に彼が甲子園で活躍したので、その時は素直に嬉しかった前田さんでした。

 小学校の時から、将来は先生になりたいと思っていました。ずっといい子で来て、何の疑問も持たずに来たので、グレる子を見てもなんであんなことをするんだろうと不思議に思うのでした。しかし、中学校で成績が落ち始め、高校は当初のランクを落として地元の高校へ進学しました。当時流行っていたスクール・ウォーズにあこがれていたことと、ラグビーの早明戦を見て絶対高校に行ったらラグビー部へ行くぞと決めていたので部活は当然のごとくラグビー部へ。花園を目指してラクビーに燃える高校時代を送ります。しかし、思春期の悩みもありました。前田さんは両親から勉強しろと言われたことはただの一度もなかったものの、家族で宗教に入っていたので、日曜は必ずお祈りに行けと言われていました。でも、部活をやっている以上、日曜も部活に行かなければいけない日がほとんどでした。自分は部活に行きたいのですが、両親は宗教を優先しろと言う。その葛藤が常にありました。
 前田さんのご両親は理髪店をやっていたので、息子も理容学校に行けばいいという考えでした。勉強しろとは言われませんでしたが、お祈りに行けとは口酸っぱく言われました。それがイヤで、家を出たくて出たくて仕方ありませんでした。
 よし、大学進学して家を出るぞ!そう思いましたが、両親は国立でないとやれないと言いました。共通一次試験で思いのほかいい点数が取れて、前田さんは金沢大学教育学部に合格。しかし、両親はそれも宗教のおかげと言うので、前田さんはそれに反発し、どうしても家を出たいとアパートで一人暮らしを始めました。

 しかし、いざ一人暮らしを始めると、とても寂しく(そう、前田さんは子どもの頃からとても寂しがりやなのです)結局週に2回くらいは実家に帰っていました。教育学部で体育教師を目指しながら、体育会のラグビー部の活動やアルバイトにも忙しい日々でした。バイクの免許も取って、バイクにも乗っていました。(大学の頃は原チャリでしたが)バイク乗り、だけど一人で行動するのは嫌い、お1人様の食事なんてとんでもないことでした。でも、寂しがりやなのを人に知られるのは嫌でした。寂しいけど、ちゃんとしなければならない、ずっとそんな思いに囚われていました。その思いから解放されるのは、それからずいぶん後のことになります。

 その頃の金沢大学は今と違って兼六園の中にありました。日本で唯一お城の中にあるキャンパスだったのです。ですから、ラクビー部でのお花見も城内の桜を見られるという贅沢なものでした。もっとも、前田さんはお酒が飲めない体質だったので、お酒を飲まされても吐いてしまうのでした。その頃の体育会と言えば飲まされるのが当たり前という感じだったので、前田さんのように飲めない体質の人には、相当大変だったことでしょう。

 大学1、2年の頃は体育教師になろうと思っていました。教育学部で体育専攻なのでそれは当然の流れです。しかし、親に手を回してあるからと言われカチンと来た前田さん。
そういう所で親の力を借りるなんて真っ平ごめんだから体育の先生には絶対にならない、そう心に決めたのです。

 前田さんは自分は親に愛されていないんだ、とずっと思っていました。親は宗教が一番大事で自分のことは大事じゃないんだと。でも、親が大事にしている宗教を否定するようなことはやはりできませんでした。自分は部活が忙しいから宗教を辞めたいんだとは言いだせなかったのです。かといって部活を休むわけにもいかず、ずっとモヤモヤとした葛藤がありました。それは高校生の時だけではなく、大学生になっても続きました。

 体育教師の道をあきらめた前田さんは一般企業への就職活動をやり始めました。ラクビー部で副キャプテンを務めていた実績も買われて、就職は案外すんなりと決まりました。
 
 そうして、ある大手企業で営業職として勤務することになったのです。しかし、営業の仕事は思っていた以上にきつく、ノルマは厳しく課せられるわ、いつも怒られてしまうわで、だんだんと追い詰められていきました。この仕事は合っていない、その気持ちがどんどん膨らんで、1年でやめることになったのです。

 仕事を辞めた後、しばらくは実家で何もせずに過ごしていました。しかし何もしない生活が3か月経った頃、大学の先生から「ちょっと大学に来い」と連絡が入ります。仕事を辞めて家にいると風の噂に聞きつけた先生が、このままではよくないと呼び出してくださったのでしょう。医王山にある大学のスポーツセンターでバイトしろと言われ、そこでバイトをやり始めました。スポーツセンターの管理が主な仕事だったので、木を切ったり草を刈ったりもしていました。半年くらい経った時に、このまま大学でアルバイトをしていても仕方がないと感じ始めます。でも、スポーツセンターでバイトして思ったのは、やはり自分は得意なスポーツを使って何か仕事が出来るといいなということでした。働く人の健康づくりを手伝う仕事がしたい、そう考えて金沢でスポーツクラブの採用面接を受けた所、富山に行ってください、と言われます。

こうして、アピアスポーツクラブに営業で入ったのが23歳の秋でした。いろいろ営業をしていく中で、工場の中にフィットネスセンターを作ってほしいという話も出て、実際に工場内フィットネスセンターを作り、スタッフを派遣するくらいの盛況ぶりでした。前田さんは富山で就職した後も社会人ラクビーを続けていたのですが、仕事が忙しくなりすぎて、27歳の時にラグビーを辞めました。それまで前田さんにとっての精神的支柱はラグビーだったので、ラグビーを辞めてしまうと、なんだか自分の中にポッカリと穴が空いたような気分になりました。ラグビーの練習以上にきついものはないのですが、逆に言えばラグビー以上に熱くなれるものもまた見つからないのでした。

前田さんが作った工場内フィットネスクラブの会員の中に精神的に病んでいる人がいたこともあり、前田さんはカウンセリングの勉強に行くことにしました。カウンセリングの勉強をする中で、自分自身の葛藤がどんどん表に出てきました。練習で自分がカウンセリングを受ける役になった時に、思いがけずずっと抱えていた親との葛藤の話を話しました。少しだけ話すつもりだったのに、先生にどんどん話を引き出されて、いつの間にか大泣きしている自分がいました。それまでずっと抱えていた気持ちを親に伝えた方がいいんじゃないかとその時に言われ、それまで伸ばし伸ばしにしていたけれど、ちゃんと伝えようと踏ん切りがつきます。そして、宗教を辞めたいと思っている気持ちを泣きながら親に伝えます。絶対に怒られると思っていたけれど、両親から言われたのは「わかった」という言葉でした。受け入れてもらえた。宗教から離れても大切にしてもらえるとわかって、前田さんは心の重荷が取れてすごくラクになれました。この出来事は自分の中では本当に大きなターニングポイントになりましたし、カウンセリングの大切さを身を持って知ることができたのです。31歳のことでした。

 同じ時期にプロジェクトアドベンチャーも学び始めます。プロジェクトアドベンチャーとはアメリカで開発された体験学習法をベースにした教育プログラムで、人間関係で最も大切な「人を信頼する心」や成長のために必要な自分自身を見つめ直すということを冒険をベースとしたプログラムを通して体験することができます。これは企業研修にも使えるんじゃないか、前田さんはそう思いました。グループで行動していく中で多くの気づきがあるからです。そして、このプロジェクトアドベンチャーとカウンセリングを同時期に勉強できたことは、その後仕事を進めていく上で大変有意義でした。

 前田さんはアピアスポーツクラブの会員さんとの出会いの中からも新しい発見をしていきます。42歳の厄年にはバイクも乗り始めました。これも会員さんの中でバイククラブがあって、そこに参加して乗り始めたのです。それから毎年、春は日帰り、夏は一泊でツーリングに出かけています。バイクで各地に出かけるのはとても楽しい時間です。
また会員さんの中にそば打ちの先生もいて、そば打ちも始めました。今では2段の腕前。そばを打って実家に持って帰るととても喜んでくれるのが嬉しいのでした。

 人とのかかわりは好きだけど、べたべたする関係は苦手です。だから会員さんとそばを打ったり、たまにツーリングに行ったり、そんな距離感がちょうど心地いいのです。

 そんな前田さんが今、力を入れているのはとやま健泊。とやま健泊とは、健康上の問題で日常生活に制限のない期間を示す「健康寿命」を延ばそうと、富山県が昨年から行っている健康合宿です。生活習慣病予防に効果的な運動や食事について1泊2日で指導しているのですが、それを全般的にコーディネートしているのが前田さんなのです。今年は富山県内6会場で計12回実施中。立山国際ホテルや桜池クアガーデンに泊まって、1泊2食+健康指導+アクティブレジャー代金も入れて8000円という破格のお値段!みなさんもぜひホームぺージをご覧になってみてください。実は私もこのとやま健泊に参加して前田さんと知り合ったのでした。

 そんな前田さんには、もっとスポーツクラブの拠点を増やしたいという夢があります。もっともっとたくさんの人に体を動かす楽しさを伝えて、健康づくりの役に立ちたい。体の健康だけではなく、心の健康づくりもしていきたいから、カウンセリング的な仕事も増やしていきたい。またプロジェクトアドベンチャーで学んだことを生かして、キャンプをしながら子どもたちの可能性を広げていきたい。やりたいことがいっぱいあってワクワクしますね。
 
いろんな人とつながっていくと、ああ、この人とこの人がつながるとまた面白いことが起きるな、この人とこの人もつなげたいな、そんなことがたくさん起きてきます。いろんな人の可能性を見つけることができる本当にありがたい仕事をさせてもらっていると前田さん。
 これからも健康づくりを通してたくさんの人を笑顔にしてくださることでしょう。