今日の人169.いしかわ ひろきさん [2017年08月24日(Thu)]
今日の人は介護職のミュージシャン、いしかわひろきさんです。「非営利団体かもめのノート」と「認知症対応型通所介護デイサービス木の実」で介護職を掛け持ちしているいしかわさん。彼が大切にしている軸はパーソンセンタードケア。工場の流れ作業のような介護ではなく、一人一人の個性や特性を理解して合理的な配慮をしたケアがパーソンセンタードケア。その名の通り一人一人に寄り添っていくケアを深めていきたいといしかわさん。いしかわさん自身その想いを書いているのでぜひお読みください。→『完全即興を仕事にする: 完全即興とパーソンセンタードケア Kindle版』
そんないしかわさんはCDアルバムを出したばかり。 CDタイトルは「everlasting」 詳しくはこちらをご覧ください⇒https://hirokiishikawa.jimdo.com/everlasting/ 音楽の才能にもあふれた介護のスペシャリストなのです。 いしかわさんが生まれたのは1986年。3人兄弟の末っ子として生まれました。なぜだか小さい頃の記憶はほとんどありません。ただ、両親ともに公務員で、子ども達にも安定した公務員を望んだので「しっかり勉強して公務員になれ」とそればかり言われて育ちました。6つ年上のお兄さんはそれに反発してぐれ始めます。その頃くらいから、ようやくいしかわさんの記憶が始まります。お兄さんは茶髪にしてギターを弾き、家にいろんな友だちがやってきてよく騒いでいました。 いしかわさんはと言えば、親に反抗することもなく、言われるがままに勉強していました。公文に通い、その後は育英に通っていました。それに疑問を抱いてはいましたが、なにしろ他にやりたいこともないので、やれと言われるからやる、と言った感じでした。運動が嫌いで中学校ではパソコン部に入りましたが、そこはヤンキーの溜まり場だったので、いしかわさんはあまり部活には顔を出さず帰宅部という感じでした。 高校は呉羽高校の普通科へ。今度は友達がいたからという理由でテニス部に入りましたが、あまり部活にのめり込むことはありませんでした。どちらかと言えば、高校時代は暗黒の時代でした。自分は何者だ?という思い。何でも知っていると思う一方、何も知らない自分。それは青春時代に特有のもやもやした何かに加えて、いしかわさんの家の空気もそうさせていました。いしかわさんの家は梨農家のおじいさんと公務員のお父さんの2本の柱があって、その2本の柱の価値観は相容れないものだったので、それがいしかわさんの心理状態にも大きな影響を与えていたのです。 夢や希望が持てないまま過ごした高校時代。そんないしかわさんはお兄さんの影響もあって、高校3年生からギターを始めます。富山大学に進学してからもJAZZ研究会に入って、ギターに熱中しました。それまでの心の隙間を埋めるかのようにひたすらギターに没頭する毎日。バンドを組んで外部の人と一緒にLiveをやるうちに、県内外のライブハウスから声がかかるまでになりました。もともとロックが好きだったのですが、徐々にジャズに移っていきました。アバンギャルドなノイズ系のジャズが好きで、よくライブハウスでも演奏していましたが、それを仕事にしようとは思いませんでした。「公務員じゃないと生きていけない」という親からの洗脳が強く、そこから外れるのが怖かったのです。演奏している時だけ、生きているという実感があり、それ以外は抜け殻のような感覚でした。 こうして、親の言われるまま、公務員の職に就いたいしかわさん。しかし、その仕事は自分にはさっぱり合わないものでした。ストレスばかりが溜まりわずか1年で−20s。半年休職し、結局1年半で仕事を辞めました。運転していると、今すぐこの車が事故ったらいいのに、というような思いが常にありました。自分は長くは生きてはいないだろう。自殺願望がある人の気持ちが痛いほどよくわかるのでした。 仕事を辞めた後、失業保険給付制度を使って保育士の学校へ通いました。仕事を辞めたことで両親が困った顔をするのを見たくなかったので、なにも言わせないためにも保育士の学校に通ったのでした。その時に実習でめひの野園に行き、福祉の現場をおもいしろいと感じました。 その後で実際に就職したのは民間企業です。学校は就職率を100%にしたがったので、仕方なくそこに就職したという感じでしたが、ケンカをしまくり2か月と2週間で辞めてしまったのでした。その後は知り合いの紹介で契約社員として働いたり、整体師の現場で働いたり、カレー屋で働いたりもしました。カレー屋の時は、アトピーの症状がひどくなり、店長とケンカもしたりして、ひどくやさぐれていました。自分は何も出来ない奴なんだ、そう感じて落ち込み、本気で入れ墨を入れようかと思ったくらいです。そうして日雇いの仕事を転々として時間が過ぎていました。 そんな時に、ハローワークで見つけたのが介護系のデイサービスでの仕事でした。めひの野園に実習に行った時に福祉の現場は面白いと感じていたいしかわさんは、実際デイサービスで働いた時も面白いと感じました。もう一つ、知的障害を持つ人と一緒に外に出かける仕事も始めました。彼らと一緒にお風呂やプールに出かける仕事です。当然、外でパニック症状が出る人もいます。大きな声で叫ぶ人もいます。そんな彼らを奇異な目で見てくる人もたくさんいます。でも、いしかわさんは彼らと出かけるのがとても楽しいと言います。介護の仕事は演奏するのと似ているのです。しかも完全即興演奏です。それがたまらなく楽しい。理屈で云々ではないのです。サラリーマンや公務員にはきっと分からないであろう、この完全即興演奏の感覚。だからこそ音楽家はもっともっと介護の世界に入ってこればいいのに、そう思っています。なぜなら音楽家は障害者と感覚で共感できる部分が多いからです。 その感覚の部分はいしかわさん自身が書いているので、興味のある方はぜひAmazonでお読みください。『言葉でコミュニケーションを取ることが難しい相手との接し方に悩んだ時に読む本: 「完全即興を仕事にする」副読本』で検索! 福祉の仕事をしていて、いしかわさんがよく感じるのは、いわゆる健常者と言われる人たちが、障害者の自尊心を傷つけているということです。接する障害者の事前情報は知っておいて損はないけれど、そこに縛られてはいけないと感じます。決めつけられるのがイヤなのは、障害者の人に関わらず、誰にでも言えることですよね。それなのに、障害者の人にあの人はこういう障害があるから、こうなんだ、って決めつけてしまっては、その人自身を見ていないことになります。そんな接し方をしていると敏感な人はすぐに感じてしまうに違いありません。 意識しすぎることなく自然体で。だから笑いたい時は爆笑する。障害者と一緒にいるからといって不自然に気を遣ったりしない。笑いたい時は笑う。怒りたい時は怒る。健常者とか障害者とかそんな言葉の縛りはくそくらえ。みんな一人の人間じゃないか。そんな余裕が出てくるようになりました。だから、今は仕事がとても楽しい。そして音楽活動は1か月〜2か月に1回ライブをするペースでやっていければいい、それが今のベストな感じです。 大学の時からずっと付き合っていた彼女とも昨年結婚したいしかわさん。でも、両親とは距離を置くようにしています。自分の場合はその方がうまくいく。いろんな問題があっても、そこから逃げることの大切さ、抱え込まないことの大切さがわかるようになりました。だから、今苦しんでいる人には、「つらくなったら逃げてほしい、そしたらきっと笑える日が来るから」そう伝えたいと思っています。 障害者と接していると、当然言葉を発することのできない人もいます。でも、いしかわさんは言葉が出せない人との言葉のやり取りを楽しんでいます。発語がなくても、感覚で理解し合える。それはミュージシャンいしかわひろきの感性が成せることなのでしょう。 そして、今は笑うことの大切さを実感しています。人が死ぬことだって、実はめでたいことかもしれない。だったら、死ぬまで笑っていようぜ。 外国人が介護の現場に入ってくることも賛成です。彼らは明るく陽気に介護することが得意な人が多い。それは福祉の世界にとって、本当に大切なことだと思うから。 そして、ミュージシャンいしかわひろきの方は8月24日にアルバムを発表しました。 アルバム情報はこちら 【 CDタイトル 】 「everlasting」 いしかわひろき,遠藤豪,たかのさおり 【 演奏者profile 】 たかのさおり 富山出身在住/うた/リコーダーやトイピアノなどおもちゃ 2002年3月友人とデュオで出場したとあるカラオケ全国大会でグランドチャンピオンの受賞をきっかけに独学で歌を始める。同年女性ボーカルグループ「grava」に加入し本格的に音楽活動をスタート。ギタリストとのユニット「monophonic」では、えかきとのコラボレーションでライブペイントイベントに多数参加。クラシックギターとのユニット「saoと大橋俊希」、ちび楽器アンサンブルと歌のバンド「BALANCE」の活動を経て現在に至る。2011年より、saomochamusic(サオモチャミュージック)として、自作音楽つきの紙芝居を上演するこどもライブの活動も積極的に行っている。また、2014年からは、うたと美術でつくる創作世界「状況劇団パッチ」の活動をはじめる。その他、CMソングの制作やご当地アイドルへの楽曲提供も行っている。 遠藤豪 1988年富山県富山市生まれ。 高校生の頃、米口 ハンニャ 篤氏からギターと音楽理論を、大学在学中に矢堀孝一氏からジャズギターを学ぶ。 大学在学中から、地元の富山県やお隣の石川県など、主に北陸で演奏活動を始める。 2014年8月から2年ほど語学と音楽の勉強のためNYに留学。現地で演奏活動やレッスンなど行う。 2016年11月帰国。 2017年7月より関西に拠点を移し活動中。 いしかわ ひろき (guitar player , composer ) 大学在学時からギターを始め、ノイズ音楽やグランジに深く傾倒しつつジャズ研究会に所属しジャズを学ぶ。 ジャズセッションに身を投じながらも現代音楽やフリージャズ、ブラックミュージックやクラブミュージックに深く傾倒する。 2014年、作曲しはじめる。 2015年、sadistic margarineにguitar playerとして加入。 2016年6月に究極のライフヒストリー小説 & CD【間違っていた人は、誰もいなかった】を発表。 2017年には富山で活躍中のアコースティックユニット、マツバラーズと共同制作した「たびびとのうた」がラジオたかおかにて起用される。 浮遊感あふれる曲調や完全即興を取り入れた演奏スタイルが定評を得ている。 購入はこちらから⇒https://hirokiishikawa.jimdo.com/everlasting/ パーソンセンタードケアの出来るミュージシャンいしかわひろきの歩みをこれからも楽しみにしています。 |