今日の人68.佐藤恵美さん パート.2 [2012年10月31日(Wed)]
パート.1から続きます。
彼が大学を卒業するのを待って恵美さんは20歳で結婚。 恵美さんはバイトもガンガンやって一人で生活していたのに、一人で電車に乗れないという面を持った人でした。 だから、恵美さんに向かって「あなたは何でもできる人だよね」という人と 「あなたは何もできない人よね~」という人がいるのだそうです。 一人で上京できるようになったのも、本当にここ数年のことで、旦那様から「よくここまで育ったね~」と感心されるとか。 小学校の時の通知表にも「依頼心が強い」と書いてあったわ、と恵美さん。 しかし、旦那さんのお仕事は朝7時にでかけて、終電で帰る毎日。晩御飯を一緒に食べられない、というのは恵美さんにとっても旦那さんにとってもつらいことでした。旦那さんは実家のある秋田に職を探し、秋田に移ることを決意します。恵美さんにとって秋田は初めての土地。文化もちがう、言葉もちがう、知り合いもいない、でも、家族で一緒にご飯が食べられるならと一家で秋田に引越しました。 ところがです。せっかく家族で暮らせると思っていたのに、旦那さんは長期出張扱いで、2ヶ月も3ヶ月も東京に出張という暮らしになってしまいました。秋田に月に2,3日は帰ってくるものの、それ以外はずっと東京なのです。 秋田に来て3年ほど経ち、恵美さんは2番目に授かった子を流産してしまいました。 その焦燥感から、家に閉じこもっていたら病気になると思い、外で働き始めることにしました。高校生の頃、飲食関係でバイトしていたこともあり、飲食のお店で働いたりしましたが、どうもしっくりきませんでした。自分らしい仕事ってなんだろう、そんな風に思っていた時に出会ったのが、ポーラの営業の仕事でした。天職だと思いました。 楽しく話して、みんなに喜んでもらって、そして「佐藤さんでよかった」と言ってもらえる。お客さんのために頑張ろう、心からそう思えました。そして、自分のお店を持ったのです。仕事を始めて、わずか1年半で所長と呼ばれるようになっていました。社会経験もあまりないし、経理も人材育成も全然わからず3年は手探りでしたが、仕事は楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。 長女は朝、お店に行った日に生まれて、一ヶ月検診のあとはずっとお店に連れていっていました。次女の時もそんな感じです。休もうと思っていても、スタッフから「所長の顔が見たい」とメールが入っていたら、行かないわけにいかないでしょう?と恵美さん。 自分は必要とされている、家でも職場でも自分がいなくてはならない、自分の代わりはいない、そして自分にはれっきとした居場所がある、それが恵美さんにとってはなによりも嬉しいのでした。 それでも子育てしながらのお店は10年くらいは失敗続きだったといいます。でも、子どもたちが成長すると、自分も成長できる、それをつくづくと感じました。そして、この4~5年は本当によくなってきたと感じています。15年やってきた中で、のれん分けした子もいるし、結婚した子に赤ちゃんが生まれると本当に我がこととして嬉しい。スタッフはみんな家族だと思っている恵美さん、今はたくさんの家族に囲まれて本当に幸せだと思えるのです。 こんな風に今は幸せがいっぱいの恵美さんがドリプラに出ようと思ったわけは何だったのでしょう。それは4年ほど前の大嶋啓介さんとの出会いにさかのぼります。 初めて大嶋啓介さんのセミナーに参加した恵美さんはあまりに感動しすぎて吐いてしまいます。それで、大嶋さんとも仲良くなった恵美さんは、いろんな人にたくさん会った方がいいよ、とアドバイスされて、いろんなセミナーに出るようになっていきました。福島正伸さんに初めて会ったのもてっぺんの合宿の時です。それで、ドリプラというものを初めて知ったのでした。 ある時の大嶋さんのセミナーで「親に感謝したか?」という問いかけがされました。 恵美さんは親に感謝するなんて全く思っていませんでした。むしろいなくてホッとしていました。でも、今私がやりたいことをなんでもやれる積極的な自分になっているのは、親のおかげなんじゃないか。高校の時に一人で生きられるような力をつけてくれた親のおかげ、そう思うと感謝の気持ちが湧いてきて、涙がとめどなく流れました。それを知り合ったばかりの水野元気さんに泣きながら話したのでした。 それから3年後の去年のドリプラ世界大会で恵美さんは初めてドリームプラン・プレゼンテーションを見ました。そして、あの時の水野元気さんがプレゼンターとして舞台に立っているのを見て思ったのです。ああ、3年前からつながっていたんだ。私が今日ここにいるのは絶対意味があることなんだ。よし、私もここに立とう! じゃあ、私がプレゼンしたいことは何? 仕事を通してたくさんの女性と関わってきた恵美さんは女性たちの心の叫びをたくさん聞いてきました。うつ状態になっている女性も本当にたくさんいます。家庭環境がおかしくなっている。お母さんは家の太陽。旦那さんや子どもたちの一番の居場所を作れるのは女性なのだ。私は居心地のいい家庭、居心地のいい職場をつくっていきたい。 いろいろ足りないことはあるかもしれない。でも、足りないところを見ていたらきりがない。いつも不平不満ばかり言っていたら、自分が持っている大切な幸せに気が付かなくなってしまう。そして、他の人のいい所ばかり見えてしまう。そうじゃないよ。幸せはあなたの足元にあるよ。それに気づいたら、あなたの毎日はどんなに幸せであなたが笑顔になればあなたの家族もうんと笑顔になるんだよ。恵美さんは幸せに気づく力のある人を育てていきたい、そう思っているのです。 そして、ドリプラを通して、秋田の人に元気になってもらいたい! 実は、今回ドリプラのパンフレットのデータ提出にあたって、昔の写真が必要でした。 でも、恵美さんは、前述のようにアルバムがありません。困っていた所、友だちが写メで15歳の恵美さんの写真を送ってくれました。その写真を見て、過去のいろいろな出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、ブワッと涙が溢れました。 その写真に向かって言いました。 「恵美、よくがんばってきたね」 今まで起きてきたことは、全部私にとって必要だったんだ。 確かに父に不満を抱いたこともあった。 でも、最後にお父さんと電話で雑談した時にお父さんが言われたそうです。 「お前が幸せでよかった」 …それが最後の会話になりました。 恵美さんは思います。お父さんは最高のプレゼントを残していってくれた。 自分も子どもたちに残していきたい。いっぱいの笑顔と愛を。 そして、自殺率日本一の秋田を変えたい! 小柄な身体に大きなパワーと大きな愛で、たくさんの人を笑顔にしてくれる恵美さん。 秋田発!素敵な女性たちが日本中を幸せにしていくでしょう。もちろん、私も富山発!でがんばります。 |